【犬が来る病院】読書感想文あらすじ(ネタバレ)と例文・オススメ度

読書感想文がつらい!
「読んだとしても何を書いていいものやら…」そうお悩みの方はたくさんいる事でしょう。
こちらでは課題図書【犬が来る病院】を選ぶか迷っている方にはオススメ度を。どのように感想文を書いていいのかお困りの方に感想文を書くための予習・ヒントとして管理人個人の感想をあげてみました。

実はネタバレを読む事は勉強で言う予習と同じですので、本の文章がすんなり理解しやすくなるのです。読解力・行間を読む力をUP!「自分はこんな感想をもった」と読書感想文がはかどるお手伝いができたら幸いです。

————————————————————
【犬が来る病院】おすすめ度・こんな人にオススメ
【犬が来る病院】かんたんあらすじ(ややネタバレ)
【犬が来る病院】読書感想文の書き出し・例文
【犬が来る病院】読書感想文の例文
————————————————————

Sponsored Link

【犬が来る病院】おすすめ度・こんな人にオススメ

 

 
『犬が来る病院 命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと』(KADOKAWA)
著者:大塚 敦子・著 本体価格:1,500円 224ページ
【内容情報】
聖路加国際病院は、日本で初めて小児病棟にセラピー犬の訪問を受け入れた医療機関です。本書は、著者がそこにおよそ3年半にわたり取材した中で、出会った四人の忘れがたい子どもたちの生死を通して描いた感動のノンフィクションです。四人のうち二人は生還できましたが、二人は幼くして世を去りました。亡くなった子どもたちは、短い人生の最後の日々をどう生きたのか。また、退院した子どもたちは、小児病棟での日々から自分の人生に、どのような影響を受け今を生きているのか。入院中であっても、子どもたちが豊かな時間を過ごし、困難を乗り越えていけるように、医師や看護師、保育士、心理士、チャプレン(病院等で働く牧師)など数多くのスタッフたちで行われる取り組みについて、四人の子どもたちを通して描いた感動の記録。
 
簡単に読める度 ★★☆☆☆
簡単に書ける度 ★★☆☆☆
こんな人におすすめ
・医療に興味のある人
・身近に病気(心、体など)の人がいる人
・死ぬ事が怖い人
・死生観について知りたい
 
簡単感想
タイトルに犬がついていますが、犬(セラピードック)の話は第一章、第二章に少々しか出てきません。この作者は主に動物と死生観を組み合わせた作品が多いのですが「子供と動物には適わない」と言いますのでそういう意味ではキャッチーなタイトルは商魂たくましさを感じてしまいます。ホスピス犬の話を期待している人は肩透かしですが「小児病棟の子供たちの現実を伝えたい思いが強いの本」とやさしく前向きに受け止めて読み始めるのがベターです。
幼くして病床にふせる子供の生活、それを支える人、家族、死に方、その後の生き方などを知る事ができます。小児病棟ルポという感じですので、読みやすくはありませんが、病気の子供の現実を知る事ができます。

【読書感想文課題図書】高校生・簡単に読める書ける本はどれ?

自分にぴったりな本を選んでみよう。

スポンサーリンク

【犬が来る病院】かんたんあらすじ(ややネタバレ)

 

 
第一章
セラピー犬の訪問活動の意義は入院中の子供たちの心のケアと良い経験をしてもらいたい思いの一環です。子供が子供らしくいられる様々なイベントで先の見えない不安を明日を楽しみに過ごせる工夫をします。そして患者の兄弟の心のケアの必要性も紹介されます

第二章
小1のちぃちゃんは白血病。骨髄採取の強烈な痛みに引き裂かれるような叫びを上げても弱音も吐かない。母は交換日記で絆を深めセラピードックに癒されても辛い治療を拒否はしないわが子に心を痛める。
陽気な性格のダウン症の信ちゃんも白血病、小5の翔太君は潰瘍性大腸炎。入院生活が長引く翔太君は病院内学級で信ちゃんのお兄さん的存在となる。「生徒である」ことが子供のアイデンティティの維持と集団の必要性が知れる

第三章
中二の悦子さんも白血病。骨髄炎へと悪化し、年頃の子が親におむつ交換をされる不憫さを父は物語る。入院で進級できず同級生に遅れをとる事は焦りを生み、殻に閉じこもるようになる。
その頃ちぃちゃんが再入院。入院にためらわない姿に「もっと子供のままでいさせてあげたかった」と親は涙ぐみ葛藤する。
ちぃちゃんは物怖じせず悦子さんに近づき心を開くようになる一方でちぃちゃん自身は「自分が悪いから病気になったのか?」と悩む。

第四章
ちぃちゃんは骨髄移植後36日目再々発。緩和ケアしかない現実に両親は希望と絶望に揺れ動き、医療チームはQOLを豊かにする治療方針を目的とする。
ちぃちゃんは「涙が出ないんだ」と言ったり仲の良かった星来ちゃんの命が残されていない時に星来ちゃんの絵を書いてみたり、大好きな先生と劇でお嫁さん役をやれて「もう十分!」と答える。星来ちゃんの為にケーキを作り「明日じゃダメなの」と言った翌日に星来ちゃんは亡くなる。
母はその死にわが子に重ね、医師がちぃちゃんに「亡くなった人を思い出すことがその人と一緒に生きる事」の話に自分のためにも話してくれているのではと感じ、ちぃちゃんは発病から2年弱で亡くなる。悦子さんは1週間後にちぃちゃんと前の病院での友達の訃報を同時期に聞き、ちぃちゃんと約束した紙芝居の絵を完成させ退院していった。

第五章
信ちゃんは、翔太君もそれぞれ退院し特別支援校、中学入学。だが信ちゃんは再入院後、病状悪化。意識反応がない状態のなか誕生日を迎える。1ヶ月ほどで目を覚ますが足が弱り歩けなくなる。家族で治療への意見が分かれるがドナーがいない信ちゃんは自宅介護をすることになる。
思い出作りに医療設備の整ったキャンプ場へ家族で参加し歩けるようになったり猫を飼い始め我慢させている妹のコンパニオン的な存在になる。
だが在宅ケアは家族への負担も大きく信ちゃんは最後の入院をする。同じ頃翔太君も再入院して2人はまた寄りそったが、翌年翔太君は転院。そして信ちゃんは亡くなった。
母は「何も求めずそばにいてくれた翔太君にだけは伝えたい」とメールを送り、翔太君は「助けられなくても最後まで見守りたい」と医師への進路の決意を固める

第六章
悦子さんは高校入学後も車椅子を必要とする生活。高2の秋に左股関節に痛みを感じ人工股関節入れる手術を受ける。だが歩行の筋肉が弱りリハビリがはかどらず留年へのあせりと理学療法士の一言と留年の決定でまた自分の殻に閉じこもってしまう。
ちょうど悦子さんの母も乳がん手術を受けながら看病してくれ、母や家族への罪悪感と自責の念を感じる。弱音を吐かないが、悩みを一人で抱えるタイプなのだ。
小児科医のスタッフは「絡み合った根をほぐすように、悦子さんが自問自答する問題を聞き、自己肯定感を築いてもらう」話し合いと小さな目標設定と成功体験で気持を上向かせた。悦子さんは将来、患者の気持がわかる理学療法士になれるはずとの思いが芽生える。

第七章
翔太君は医大に合格ほぼ健康な生活を送れるようになった。「命を預かる責任」に不安を感じつつがんばっている子供たちがいるのだから、自分も。と小児科を希望している。
悦子さんは大学の心理学科に合格、身体的問題から臨床心理士に進路変更し悩みのある子供の力になることを希望している。
悦子さんは母が亡くなり、家族の為に母と同じような料理を作っている。それまでより内面の強さがにじみ出ていて、不便な大学生活も体の限界で心理士の仕事に不安は多い。
親しい人の死や不自由な体については「どうにもならないことは考えない」「病気を受け入れレアな体験をした」と明るく笑う。そして一人では頑張れなかったこと、時々ちぃちゃんを思い出すこと、病院の友達は苦しさを共に乗り越えていく仲間だから結びつきの強さが違う」と話す。
亡くなった子供たちの家族も「命は循環していく事」を知り、命と向き合う仕事をしたり、思い出の跡形をそのままにしたり、新たに犬を飼いそれぞれが悲嘆と折り合いをつけるのでした。
  

【犬が来る病院】読書感想文の書き出し・例文

 
・医療に興味のある人
命の現場に立つことは、サポートに回る側も命をかけることなのかもしれません。

・身近に病気(心、体など)の人がいる人
人は心から病気になるのでしょうか?体から病気になるのでしょうか?いずれにしても病とは人の心も体も蝕むもので、その両方が健康でないと生きる力がわかないものなのだと痛感した思いです。

・死ぬ事が怖い人
幼い時は考えなかった死は正体不明で漠然としながらも、成長するにつれ意識する事がたまにあり、恐怖心だけが強くなるのは人生への向き合い方が定まっていなかったからなのかもしれないと気が付かされました。
 
・死生観について知りたい
死生観とは死を通した生の見方の事を言います。メメント・モリは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。本書は患者である子供たちの病と死とそして生と向き合う病院での話です。
  

【犬が来る病院】読書感想文の例文 

読書感想文のルール
原稿用紙を使用し、縦書きで自筆してください。原稿用紙の大きさ、字詰に規定はありません。
文字数については下記のとおりです。

・高等学校の部 本文2,000字以内
※句読点はそれぞれ1字に数えます。改行のための空白か所は字数として数えます。
※題名、学校名、氏名は字数に数えません。

【読書感想文・2225文字】

『人は平等ではない! 生まれつき足の早い者 美しい者 親が貧しい者 病弱の身体を持つ者、生まれも育ちも、才能も人間は皆違っておるのだ。…だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。』この本を読んで思い出したのはとあるアニメのこのセリフでした。一見ひどく冷淡で情もなく、勝者もしくは人生を思い上がった人間のセリフのように感じる人もいるかもしれません。ですがたぶんこれが現実なのでしょう。そして遅かれ早かれ誰もがこの現実に気付いた時に自分がどの立場にいて、どのように生きていくかの選択肢は迫られるものだと思いました。

「犬が来る病院」で著者が出会った患者は子供たちです。病棟での生活の1ページにセラピードックがどのように子供たちと触れ合っていくのかに興味を惹かれるタイトルでしたが、現実はアットホームな一場面が全てではなく、激痛を伴う闘病といつ亡くなってもおかしくない現実がありました。病魔と闘う子供たちの命の行方はもろくとも命の限り生きる子供たちの事を伝えるべく、本書は実は大人向けのノンフィクションとして書かれたものです。

子供たちは思い通りにならない体で不自由な生活を過ごす日々を過ごします。病院では「できる限り普通の子供のように」と院内学校で学び、イベントを行い子供らしくいられる尊厳を守ろうとします。健康ではない事は普通の生活から排除され、取り残される思い、病状の改善が見られずいつまでも退院のめども付かない生活は心の苦しみを背負い続けているようなものです。

大人と子供の時間の流れ方は違います。大人より子供の方が時間はゆっくり感じるのです。大人でも苦しい入院生活は明るい未来の想像は難しいものだと思います。
小学校1年生のちぃちゃんは病院のチャプレンに「私は何か悪い事をしたのか?神様はどうして二度(再発)も私を病気にしたのか?」との悩みに突き当たります。「ちぃちゃんが悪いことをしたからではない」との答えでその悩みを吹っ切るのですが母は「もっと子供らしくいさせたかった」と悩み、わがままも言わず素直で聡明になってしまうことに痛みを感じえずにいられませんでした。。
病人がいるということは、本来あるべき家庭生活を家族が過ごせなくなるという事です。病気の子に兄弟も親を独占され、残された兄弟は頭では理解してもその孤独を埋める寂しさの問題にも心のケアを必要とします。親も日常生活と介護、経済的な負担も担い、そして健康で産んであげられなかった事を嘆くのです。病気とは本人も家族も誰も悪くないのに、それぞれが自分を責めてしまう感情を抱くものなのです。
なんとか病状を克服し、これからの人生を前向きに生きようとする子もいます。彼らは健康に生きてきた同年代の子よりもある意味大人びてしまいます。凛とした雰囲気の子や病気での経験を胸に刻み、医療の道へ使命感を持って道を進める子など闘病の経験がその後の人生に大きな影響を与えるのです。

人には忘れる能力があると言われていますが、それは記憶の奥にしまい込んだだけで実は忘れている訳ではないともいわれています。
生死の局面と対峙した本人も家族も周辺の人間もその記憶をしまいこむ事はできる物ではありません。彼らの辛い経験をどう受け止めるのか?と読者が思う疑問同様に著者は質問します。「病院での様々な喪失体験したことを何でだろうと思うことはある?」と。小児病棟患者だった悦子さんは「あまり考えない…どうにもならない事はウジウジ考えないようにしている」と答え、それはアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉と同じだと著者は言います。
『神よ、変えることができないものについては、それをそのままに受け入れる平等な心を、変えることのできるものについては、それを変える勇気を、そして、変えられることと変えられないことの違いを見極める知恵を、私たちにお与えください」
悦子さんは病気を「レアな体験をした」「一人じゃ頑張れなかった」と語ります。亡くなって行った仲間たちと共に困難な体験をした結びつきが彼女にしなかやかな強さを与えたからでした。

世の中は公平ではないことに気付かされた時、重要なのはそれを知った後にどのように生きぬくか?がなのだと思います。
不平等な世の中を自分はどのような武器を持ち自分を生かし、進歩させ、幸福を感じられる人生にするか?は誰にとっても人生の課題です。
幼くして病に倒れる子供は日本では全体数で見ると多くないのかもしれません。生還した子供たちはその喪失や苦しみの経験と引き換えにこれからの人生をよどむ事無く生きていく決意を得る事ができました。多くの人はそのようなレアでおそろしい体験もないかわりにゆるぎない決意を持つ事は難しいのかもしれません。逆境の中でも人はギフトをつかみ取る力があるということなのかもしれません。

変えることのできない不平等な世の中を、セラピードックが、それぞれの医療の専門家があたたかくケアしているように、医療とは別の世界に生きている人も何かの形で応援する事ができるのかもしれません。
健康を自負していても、人の命というものは「今日は幸運だった日」の連続で日々生きているのが本当なのかもしれません。自覚はないにしても明日、事件、事故、天災などあっても不思議はないのです。今日に感謝し、明日に希望を抱き、誰かの幸福を願い行動できる人生を不平等な世の中を生きていく選択肢にしたいと思います。


あくまでも感想文の例文ですのでこれがオススメなわけではありません。いちど人が書いた感想文を読んでみると「どんな内容なのだろう?」と興味がわくかもしれません。他の課題図書と比べてみるのに参考にしてみてくださいね。マネッコはだめですよ~

関連記事と広告


関連記事


サブコンテンツ