朝ドラ「らんまん」モデル牧野富太郎はどんな人?経歴と生涯・気になる重要キャスト

俳優の神木隆之介さんが、2023年度前期に放送されるNHK連続テレビ小説第108作『らんまん』で主演を務めることになりました。『らんまん』は日本の植物学の父・牧野富太郎という実在の人物である牧野富太郎をモデルにただひたすらに愛する草花と向き合い続けた、ある植物学者の波乱万丈の物語です。
 
越知町ホームより牧野富太郎氏ご尊顔
 
今回の牧野富太郎氏をモデルとした朝ドラは牧野富太郎の出身地・高知県高岡郡佐川の「朝ドラ誘致活動」を平成元年から始め、2022年の牧野富太郎生誕160周年の放送をめがけ30年以上前から活動して実現したと言う、地元佐川の方々の富太郎イズムを引き継いだ活動で実現させた朝ドラです。

越知町ホーム

2021年の小学生の読書感想文課題図書になっています

「牧野富太郎【日本植物学の父】」あらすじネタバレ・読書感想文の書き方のコツポイント

「植物を愛する人」となるとなんとなく「心のキレイな人」とか「やさしい人」をイメージしますが、世界的研究者として認められるには、お金がかかります・・・。そして「突き抜けた人」じゃないとそんな偉業を成すことができません。今回の朝ドラは現存している牧野富太郎氏に関する書籍や資料から一部改称してその功績や人間像をフィクションとして描かれることになりますが「牧野富太郎とはどんな人?」なのかご紹介いたします。

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牧野富太郎はどんな人?牧野富太郎の経歴と生涯
『らんまん』気になる重要キャストは誰
うんちく・牧野富太郎はADHD?人たらし?

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牧野富太郎はどんな人?牧野富太郎の経歴と生涯

牧野富太郎は長年好きな植物の研究成果で「日本植物学の父」と言われる第一人者です。現代までも植物学研究をする人には神様のような存在になりました。ですが「偉業を足し遂げた人は、その人ひとりの力でなったわけじゃないな」とよくわかるのが、牧野富太郎氏の経歴です。

牧野富太郎の経歴


1862年5月22日(文久2年4月24日)~1957年(昭和32年)1月18日 94歳没)
高知県高岡郡「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれる。 幼少より植物に興味を示す。
1865年(元治2年)成太郎(富太郎)3歳 父死去
1867年(慶応2年)成太郎(富太郎)5歳 母死去
1868年(慶応3年)成太郎(富太郎)6歳 祖父死去。
・不幸続きで縁起が悪いので「富太郎」に改名。祖母が育児家業を継ぐ
※慶応3年大政奉還
※慶応4年戊辰戦争
1872年(明治5年)富太郎10歳 寺子屋へ通う
1873年(明治6年)富太郎11歳 私塾で儒学、英語、物理、地理、自然を学ぶ
1875年(明治8年)富太郎13歳 学制改革で佐川小学校2年で中退。
・家業を継ぐ名目でニートになり裏山で好きな植物採集、写生、観察にあけくれる
1877年(明治10年)富太郎15歳 佐川小学校臨時教員として2年ほど教鞭
※明治10年西南戦争
1879年(明治12年)富太郎17歳 高知師範学校教師で翻訳者・永沼小一郎から欧米植物学や江戸時代の本草学を知る。感銘を受け「日本の植物図鑑を作りたい」と夢を抱く
1881年(明治14年)富太郎19歳 第2回内国勧業博覧会見物と書籍・顕微鏡購入を目的に2名の従業員と当時、海外旅行なみ初上京する。
・博物局に行き研究者、田中芳男(43)と小野職愨と意気投合し、田中の師・伊藤圭介の力添えもあり後に東大出入り出来るようになる
1884年(明治17年)富太郎22歳 祖母を説得し仕送りをもらいつつ上京生活開始
・現・東京大学理学部植物学教室の矢田部良吉教授に作成した地元の植物観察記録「土佐植物目録」でプレゼンし、同教室の出入り文献・資料などの使用を許可をもらう。
・東アジア植物研究の第一人者ロシアのマキシモヴィッチに標本と図を送りコンタクトを取る。
1887年(明治20年)富太郎25歳 同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと共同で『植物学雑誌』を創刊。ほか澤田駒次郎、白井光太郎、三好学らも参加。
・家業を営み仕送りしてくれる祖母が死去
1888年(明治21年)富太郎26歳 自費出版で植物図鑑のはしり『日本植物志図篇』の刊行開始。マキシモヴィッチからも高評価。
・家業の経営が傾むき仕送りが難しくなる
1890年(明治23年)富太郎28歳 日本発ムジナモを発見。命名「ヤマトグサ」とし論文報告。世界的に名を知られる。

・菓子屋の娘、小澤寿衛子に一目惚れし印刷所社長に口利きしてもらいと結婚。長女園子も生まれる。
矢田部教授、松村任三らにより「学位もないのに東大の資料を利用し論文を出した」と出禁にされる
・『日本植物志図篇』の刊行も六巻で中断
・ロシアで研究続投を考えたがマキシモヴィッチが死去しており実現不能となる
・帰郷し家業を親戚に譲り整理。
・働かないが地元の植物研究、西洋音楽会開催、音楽指導して過ごす
1893年(明治26年)富太郎31歳 
・矢田部教授が退任。松村が教授となりに助手職に誘われるが「人に使われたくない」とまごまごする
・東京に残した長女、園子が急死し急ぎ帰郷。助手職に就く。
・薄給でも研究書籍購入、子供も次々生まれ借金、家賃不払いで立ち退き引越、家財道具が競売にかけられる
・研究ははかどり学位なしの論文発表、大学所蔵文献の未返却、教授連への間違い指摘など研究室の人々や松村教授とも軋轢が生じる
同郷の法科・土方教授が総長にかけあい大学出版として『大日本植物誌』を刊行が始まったが松村教授の妨害で四巻で中断
同郷の出世頭・三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の弟・弥之助に借金を肩代わりしてもらう
※1894年~1895年日清戦争
※1904年~1905年日露戦争
1909年(明治42年)富太郎47歳 
・「植物同好会」を作り富太郎ファンや研究家の全国ネットワークができる
・東大での富太郎講座は人気講座となる
・借金で身なりはボロボロだがウナギやすき焼きを学生におごったりする
1910年(明治43年)富太郎48歳 うとましがられ助手職をクビになる
1912年(明治45年)富太郎50歳 味方の助けで東京帝国大学理科大学講師として30円に昇給復職
※1914年~1918年第一次世界大戦
1916年(大正5年)富太郎54歳 借金苦で「海外に標本を売る」と知った新聞記者が紙面に「国家的に価値の高い文化資産を海外流出させるのは国の恥」とリーク。
・「牧野ファン」20歳の京大生・池長孟がタニマチになり、標本を買い取りと池長会館に所蔵し「研究費」の補助もする。


1926年(昭和元年)富太郎64歳 津村順天堂(現、ツムラ)の協力で個人で『植物研究雑誌』を創刊。(3号で休刊したが以降は津村の協力により編集委員制で現在も刊行)

~妻の寿衛子54歳~
貧乏生活打破のため料理屋(当時の水商売)開業。
聞こえが悪いので寿衛子は別居し、商才があり繁盛した。貧乏脱却のきざしのころ関東大震災(1923年9月富太郎61歳)が起き「安全な資料保管場所がほしい」のと商売も東大にバレてはじめ、商売も下降してきたので店を売却「安全な田舎」練馬区大泉に屋敷を富太郎に建ててあげる

 
1927年(昭和2年)富太郎65歳 
・富太郎、東京帝国大学から理学博士を受ける
・発見した新種の笹に妻の名をとって「スエコザサ」と名付ける
・寿衛子55歳 体調を崩し死亡
・母没後、出もどりの次女・鶴代が富太郎アシスタントとなる
1934年(昭和9年)富太郎72歳 「牧野植物学全集」を刊行しこのシリーズで朝日文化賞受賞
※1937年~1945年日中戦争
1939年(昭和14年)富太郎77歳 東大退職
1940年(昭和15年)富太郎78歳 研究の集大成の「牧野日本植物図鑑」を出版、ヒット重版をかさねる
1941年~1945年(昭和16~20年)富太郎79歳~83歳 太平洋戦争中、最重要資料を東大分室にあずけ自宅も資料も無事に済む
※1941年~1945年8月第二次世界大戦
※1945年3月東京大空襲
1947年(昭和22年)富太郎85歳 ひ孫もでき世界中から植物学の研究者が訪れる
・小学生時代からのファン小山鐡夫は植物学者から牧野植物園の15代園長となる
・陛下のご進講をたまわり「世界の植物界に大切な人なので、体をいたわって下さい」とねぎらいの言葉をいただく
1949年(昭和24年)富太郎87歳 大腸カタルで一旦危篤状態となるも回復
1950年(昭和25年)富太郎88歳 日本学士院会員となる
・文化功労者に選ばれる(他、ノーベル賞の湯川秀樹、横山大観、谷崎潤一郎と)
1951年(昭和26年)富太郎89歳 未整理の植物標本約50万点を整理すべく「牧野博士標本保存委員会」が組織
1953年(昭和28年)富太郎91歳 東京都名誉都民
1954年(昭和29年)富太郎92歳 病気がちになり寝込むことが多くなる
1956年(昭和31年)富太郎93歳 「植物学九十年」「牧野富太郎自叙伝」を刊行
・郷里の高知県佐川町の名誉町民
・高知県に牧野植物園が設立決定
1957年(昭和32年)富太郎94歳 死去
・没後従三位に叙され、勲二等旭日重光章と文化勲章を追贈される

牧野富太郎氏を一言でいうと「植物一直線」悪く言うなら「植物バカ」です。
植物が大好きすぎる、今でいう「オタク」なのですが植物の研究以外、特に「お金に頓着しない」「誰かが助けてくれる」という人生で成し遂げた功績のようにも思えます。

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『らんまん』気になる重要キャストは誰

本作は、春らんまんの明治の世を天真らんまんに駆け抜けた、がモデル。その喜びと発見に満ちた生命力あふれる人生を、美しい草花やみずみずしい里山の情景とともに描き、日本の朝に癒やしと感動のひとときを届ける。

脚本を手掛ける長田育恵氏は
「時代のうねりの中、彼の生き方は簡単に理解を得られるものではありませんでした。そんな彼を支え、磨き抜いていったのが、鮮やかな出逢いの数々です。生涯で約1500種類以上の新種を発表し、約40万点以上の植物標本を残した富太郎。けれど、その足跡を見渡せば、富太郎という広場に集った人々こそが、花のように咲き誇っていることでしょう」と続け、「富太郎をモデルに描く主人公、槙野万太郎。ありのままの生を見つめる明るい眼差しと、植物が光に向かうような生命力、そしてひたむきに何かを愛する心が、観てくださる方の『今日』を彩ることを願っています」と語った。

牧野富太郎の功績には、彼を金銭的に支える人物がたくさん登場します。
また、学位を取らない牧野富太郎に嫉妬したり、逆に学術的対立で牧野富太郎が攻撃した人もいます。

牧野富太郎・祖母→ 働かない富太郎に資金援助
翻訳者・永沼小一郎→ 欧米の植物学や江戸時代の本草学の世界を教える
博物局研究者、田中芳男と小野職愨→ 東大に出入りするきっかけをくれる 
矢田部良吉教授→ 富太郎の教室の出入り許可を出したが後に反目する
松村任三教授→ クビになった富太郎を再雇用するが学術的に何かとぶつかる
教室仲間・大久保三郎、田中延次郎、染谷徳五郎、澤田駒次郎、白井光太郎、三好学→『植物学雑誌』を創刊
牧野寿衛子→ 富太郎の妻、水商売で家計を支え研究室兼自宅を建てた翌年死去
次女・鶴代→ 寿衛子死後、アシスタントとなる

土方教授→ 大学出版として『大日本植物誌』を後押し
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の弟・弥之助→ 借金を肩代わり
新聞記者・渡辺忠吾→ 富太郎が資料を海外転売しようとしたことを「国の恥」とリーク
池長孟→ 貧乏な富太郎のファンでタニマチになり資料買取と研究費補助
津村順天堂(現、ツムラ)→『植物研究雑誌』を創刊

 


現代でも日本の研究職の最大のハードルは「研究費の捻出」です。研究者になること自体狭き門で研究費も「大学・企業・国」のどこからか出ているのですが「思い通りに研究費がもらえない」と外国資本に頼り成果を海外流出させたり、研究したくて外国に帰化して日本人をやめる研究者までいる時代です。
当時もどこが出資をするにしても富太郎は学位のない人で学生ですらありませんでしたから、天才でも奨学金や投資する対象にもなりえません。なのでどうしてもお金は誰かの援助・仕事の紹介・優遇など誰かしらの支援でやってこれた人生でした。それが妻の死後、理学博士をとったあたりからやっと資金的援助を受けなくなったようですから、一人前になったのが65歳という感じです。

元々裕福な家の生まれの「お坊ちゃん」で「金に頓着しない性格?」と思われたのかもしれません。が、好きなものごとだけに集中したバランスの欠いた性格はもしかしたら「ADHD?」の「別名:天才病の人」だったのでは?の可能性も疑われるようになりました。


富太郎は「ADHD」もしくは「人たらし」だった?

「ADHD」注意欠如・多動症
(別名:天才病)
・年齢に見合わない「不注意さ」
・好きなこと以外に対する集中力がなくほとんど関心や興味を示さない「多動性」
・思いついたことをよく考えずに即座に行動に移してしまう「衝動性」
・臨機応変が苦手。
・好きな分野や特異な分野では集中力の持続可能、ミスも少ない
・独自の視点や豊かな発想を持つことでその才能が開花
・衝動性も適切な方向で発揮することで行動力につながる(社会適応能力あり)

 
「ADHD」の天才
トーマス・エジソン、モーツァルト スティーヴン・スピルバーグ、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ウィル・スミス、​ パリス・ヒルトン、山下清(画家)黒柳徹子、武田双雲(書道家) さかなクン、栗原類、甲本ヒロト、堀江貴文、三木谷浩史(楽天)

「人たらし」
人付き合い方が上手く場合により相手をコントロールできるほど対人コミュニケーションに優れた人
・常に笑顔で人と接する
・ポジティブな考え方を持っている
・好奇心旺盛で人の話を楽しそうに聞き人懐っこい
・同性異性かかわらずモテる
・リアクションが面白いほど大きい、素直
・人間関係のためにはお金を惜しまない、気配り。
・誘いに対してのフットワークが軽い、マメ。
・他人を上手に頼る甘え上手
・見た目一見とにかく普通。一般的に「良い人」という印象
・だらしなくてもなぜか憎まれない、許される。

 
「チャラ男よりタチが悪い」と言われているのが「人たらし」です。
豊臣秀吉は下層の平民でしたが、織田信長に気に入られ出世したというのは有名な話。戦国大名であり関白まで上り詰めた人たらしの才能で天下をつかんだと言っても過言ではありません。「人の心をつかむのが上手な人」のことですが、「自然に出来る才能タイプ」と「自ら人たらしになっている努力タイプ」に分かれると言われています。


牧野富太郎はどんな人?


牧野富太郎氏の人柄として笑顔と天真爛漫さからドラマタイトルも『らんまん』になりました。
貧乏の(まわりの)苦労を感じさせない明るいドラマになる予定のようですが、富太郎が学位もないセミプロなのに研究教室の教授を攻撃したり、祖母や妻・寿衛子に金銭的依存したりが許されるタイプからして「牧野富太郎は何かある人」としか思えません。
そんな主人公・槙野万太郎(まきの・まんたろう)を主演に選ばれた神木隆之介さんはどう表現するのか?また金策に苦労する家族や友人知人たちが、どんな俳優さんでまわりを固めるのか?こうご期待です。

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