【おちょやん・あらすじネタバレ】18 週「うちの原点だす」感想
【おちょやん・あらすじネタバレ】18 週「うちの原点だす」
4月5日 (月)
昭和20年3月13日深夜、大阪の街が大空襲に見舞われた。公演のため京都に来ていた千代と一平は、急ぎ大坂に戻ると道頓堀は壮絶な光景が広がっていた。福富楽器店は焼かれて跡形もなく、岡安の店前もひどいありさまだった。シズの安否が気がかりな千代は近所の人から「遺体安置所にいる」と聞く。
そこに行ってみると、ぎりぎりで疎開し助かったシズ、宗助は亡骸となった菊、福松にみつえと共に寄り添っていた。
疎開先からお茶屋時代の「福富」の暖簾を取りに戻ったところで空襲で亡くなったのだ。みつえは「2人を守れなかった」と泣き崩れ、シズは「姐さんの福富は自分が引き継ぐ」と無念を口にする。
みつえは燃え残った千代たちの家に居候し、福助を待つというと今度は寛治が「満州の慰問団」に行きたいと言い出す。
4月6日 (火)
一平は寛治と2人きりで「日本は負けるから絶対行くな」と心から説得する。寛治は心から感謝するが家庭劇のおかげで人の役に立ちたい自分になれた、と旅立ちを決めた。つため出ていこうとした。大反対するが、寛治は、千代と一平、そして劇団のおかげで初めて人の役に立ちたいと思うようになった気持ちを真剣に語るのだった。数日後、朝早くに旅立とうとする寛治を前に、千代は消息を知るために「毎月必ず給金を送れ」「危ないと思ったらすぐ逃げ帰れ」と条件を突き付け、寛治を送り出し千代は寛治を失ったことで初めてみつえの気持ちが分かったと謝った。
空襲でボロボロになった稽古場で一人台詞ををまわしていたら、見回りの警官や人々から不謹慎だと罵倒され捕まりかける千代。そこを万太郎がごまかして助けてられる。いつかまたほかの国の芝居を楽しめる日も来ると励まされる。
昭和20年7月寛治からは最初の1か月だけしか給金は送られず心配していた。その頃寛治は満州で博打にはまっていた。
4月7日 (水)
昭和20年7月、大空襲以降も大阪には大規模な空襲がやってきていた。そんな中、最近の千代の様子がおかしいことに気が付く一平とみつえ。たまに夜中に家に居ないことがあり、昼間にうたた寝をすることも。その態度からみつえは、千代が誰かと密会していると疑う。一方で、寛治のことで悩んでいた千代を支えなかった一平のことを責め立てる。ある夜、こそこそ出て行く千代。一平が後をつけると稽古場で台詞の練習をしていた。「お客さんを喜ばせたいというより、自分がつらいことを乗り越えるためにずっと芝居をしていたい」と気づいたという。
家に帰ると、福助の戦死の通知がきておりみつえは訃報を信じず、一福の励ましの言葉にも「お父ちゃんはもっと生きたかったはず」と寝込んでしまった。シズと宗助も見舞いに来て千代も励ますが「あんたにうちの気持ちはわからない」というとシズはみつえを叱りつけるが千代はみつえの言う通りだと言う。
一福は少年兵に志願すると言い、座員のひゃっくりの訃報を聞いてから自責の念から一平は飲んだくれ喧嘩して歩く日々。農家に物々交換に行くと足元を見られ「少しは世の中の役に立つことしろ」と言われ立ち行かない現状に崩れ落ちる。
4月8日 (木)
昭和20年8月15日、日本は戦争に負けた。
床に伏せたままのみつえ。無気力な一平。縁側に座ったままの一福。千代は、何とか一福に寄り添おうとするが、一福の「嘘つき」という言葉に、千代は声を震わせながら死んだ「福助が命がけで戦ったのは一服とみつえを守るため」「福助は無駄しにじゃない」と言い、『私はただしようと思う事は、是非しなくちゃならないと思うばかりです」と台詞を繰り返し千代は「うちの原点だす」と一平に言う。
一平は座員を再結集し道頓堀の復興まで日本中を回ることを決めた。戦後最初の演目は、マットン婆さん。みんなに、みつえに、笑ってほしいと千代はみつえに必ず舞台を見に来て欲しいとたのむ。
4月9日 (金)
一平は芝居をすることを福助やひゃっくりは許してくれるだろうか?との迷いはあったが「みんな間違ったけど、間違ったまま立ち止まらず正しく変わるよう進まなにゃならん」と鼓舞する千代。
瓦礫の中で一座は「マットン婆さん」を公開し、シズに無理やり連れられたみつえもやってきた。
その舞台には亡き父・福助のトランペットと向き合おうとする一福を上がらせ、みつえを笑わせようと舞台に立たせた。芝居はしくじったがみつえは笑顔を取り戻した。鶴亀家庭劇は芝居の公演に旅立って行った。