『人がつくった川・荒川』読書感想文あらすじ・感想文書き方(Chat GPT・答え)
人がつくった川・荒川 水害からいのちを守り、暮らしを豊かにする
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旬報社 刊
2022年8月10日 発行
定価1760円(税込)
199ページ
対象:小学校高学年から
解説:首都圏をつらぬき、流域に約1000万人が住む荒川は、人の手でつくられた川であることを知っていますか。
かつて、荒ぶる川=荒川の流れを変えることで江戸の繁栄はうみだされ、たび重なる洪水から人々を守ってきました。
川の歴史と流域の暮らしの変化をていねいに追いかけながら、地球温暖化が原因とされる近年の大規模な水害をどう防ぐかまで、荒川の過去・現在・未来を旅します。
こちらでは
2023年「第69回 青少年読書感想文全国コンクール」中学生の課題図書の「人がつくった川・荒川 水害からいのちを守り、暮らしを豊かにする」の「あらすじ・ネタバレ」読書感想文の書き方のコツ・ポイントをご紹介いたします。
こちらでは
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『人がつくった川・荒川』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ
『人がつくった川・荒川』読書感想文の書き方・大ヒント
読書感想文をChatGPTで書いたらバレる?感想文での使い方とは?
うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!
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などをご紹介させていただきます。
『人がつくった川・荒川』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ
『人がつくった川・荒川』おすすめ度
読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
・エピソードは「小見出し」の通りで内容は薄いのに、話が回りくどい。
・歴史や地政学がテーマの本が、取ってつけた環境問題に大人の事情を感じる。
・Sdgsの「3 世界の水問題に対して私たちにできること5選」に結び付けると書ける。
こんな子にオススメ
・川が好き
・地理や地形に興味がある
・川の近くに住んでいる
・川にまつわる仕事に興味がある
・川に関する思い出がある
・首都圏在住
『人がつくった川・荒川』ネタバレ
第1章 時代とともに、変化した川・荒川
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●大きく変化していった荒川の流れ
荒川は“江戸時代前”と“江戸~明治時代”を比べると川の流れが東から西の方にうつっています。また、“江戸~明治時代”と“現代”では荒川下流が2本に分かれ、西は隅田川、東は荒川になります。今のルートは人が作り変えたからです。
●生活を豊かにするために川の流れを変えた
「利水」のため・・・川を使って船で運送や交通網として利用や生活用水、農業用水の確保に川を利用すること。
●人々を水害から守るため、新しく川をつくった
「治水」のため・・・大雨による川の増水の被害対策のこと。
岩淵(東京都北区)から西に隅田川を残し、放水路としての荒川を作りました。台風時に「岩淵水門」を閉めることでこの2本の川の堤防の決壊防止になります。
●人々は川とどのように向き合ってきたのだろう
「流域」・・・降った雨が高い方(内陸)から低い方(海)に流れる時、いくつかの小さな川から、1つの大きな川に集まっていく大地の範囲のこと。(例:荒川流域とか、利根川流域とか…)
川の流域に住めるのは、「利水」「治水」がしっかりできているからです。そして昔の人は川を利用し生活することができました。ただし完全に安心ではなく、今の私たちに考えなければいけない「問題」もあります。
第2章 荒川があったから、江戸も農村も発展した!?
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●日本一広い平野・関東平野の中を流れる
「源流点」・・・川の始まりの場所
荒川の源流点→甲武信ヶ岳(標高2475mの山)
荒川の終点→東京湾
「舟運」・・・船を使った移動や物資の運送の事
中流から下流は、日本一広くおだやかな傾斜の“関東平野”を船で行き来しました。
●下流になってから東京都に入る
荒川(全長173㎞)の約2/3の流域が埼玉県、残り20~30㎞が東京都。隅田川で江戸の人口100万人の生活用品の「舟運」をし、現代は隅田川クルーズ、花見、花火大会、ジョギングなどで親しまれていますが、川沿いの道の「緊急用河川敷道路」→大地震など災害時の緊急車輌専用道です。
●縄文時代のころ、関東平野の大部分は海だった?
「沖積平野」・・・約7000年前、縄文時代前半は関東平野は地球気温の高温期で海でしたが、約7000年半ばごろから地球気温の低温期に入り水位が下がって関東平野ができました。
●広い平野はできたけど、米つくりには苦労した
「治水」「利水」の技術のない時代は川が大雨で流れを変えるので、農業がうまくいきません。
●江戸は川のおかげで、昔から栄えていた!
徳川家康(47歳)は上司・豊臣秀吉に国替えでボロボロの関東平野の担当となり整備を始めました。
●土木技術の発展で、田んぼがどんどん増えていく
上司・豊臣秀吉が亡くなったので、徳川家康が国のトップに立ち関東平野に「江戸幕府」を開き開発していきます。なぜなら「土木技術」「治水・利水」をすると「農業効率が上がる(農民支持率上がる)」「敵が攻めにくい城づくり」「金山、銀山の開発」と開発すれば“地政学”的にかなりメリットのある地方と見抜いたからです。
●伊奈忠治、荒川の流れを西に、利根川の流れを東にうつす
「荒川西遷(西にうつす)」・・・1616年家康(73)の死後、代官の伊奈忠治が1629年に手がけました。よく氾濫する「埼玉県東部を開発」
「利根川東遷(東にうつす)」・・・利根川と常陸川もつないで東に移しました
●川の流れを変えることのメリットとデメリット
荒川西遷でメリット「水量が増え「舟運」ができる」>デメリット「水害が起きやすい地点ができた」メリットを取ったと思われます。
●大囲堤で、おしよせる水をブロック
「大囲堤」・・・水害対策の堤防の1つ。村や田畑をぐるりと輪のように囲む。ですが1か所守られたら、他が犠牲になる欠陥があり村同士のいさかいになりました。
●江戸に築かれた二つの堤防・日本堤と隅田堤
江戸時代には江戸を守るのが優先で、北側を犠牲にしました。
●水塚のあるまち・志木市宗岡を訪ねてみた
「水塚(宗岡)」・・・水害がおきる地域では、「水塚」という土台を高くした蔵を建て避難しました。舟も持っていたそうです。
埼玉県(吉見町、川島町、富士見市、志木市宗岡地区)東京(北区)
悪いことばかりでなく、洪水になると上流から栄養分の高い土(エグミ)も流れてくるため、氾濫した年は米が豊作になりました。
●舟運のために川をくねくねと曲がらせる
「河岸場」・・・舟運のための船着場のこと。「九十曲がり」と言われるほど曲がった川にしたのは、水の流れるスピードをおさえ水量を一定に保つこうかがあるためです。ただし、大雨がふると氾濫しやすくなりました。
●ウンチとオシッコが、船で運ばれてきたワケとは?
江戸から荒川領域に向けては、油、塩、石炭、石材、「し尿(ウンチとオシッコ)」が肥料としてはこばれました。おなじころイギリスセーヌ川は「し尿」によりひどい衛生状態でしたが、江戸は川の水が飲めるほど清潔で衛生的な都市でした。
徳川家康が優秀なのは、当時の関東地方の「インフラ」を整えて、災害対策、経済、衛生環境などをおもいっきり整えたことです。
現代の具体例を挙げると、上下水道や道路・鉄道、発電所・通信施設・送電網・ダムなど「産業の基盤となる施設」を指します。
家康の死後も伊奈忠治が荒川西遷事業を手掛けたのは、家康が自分の任期だけじゃなく「100年200年と未来へ続く開発の必要性を伝えていた」のと、「現代でも関東の水害対策の基盤ができている」ということで、水害対策を考えた江戸時代の武士たちはかなり優秀な人たちだったのでしょう。
NHK大河ドラマ「どうする家康」でもこのエピソードはかなり後半のほうになると思います。ちなみに家康が47歳ごろの時に関東をもらい受けます。
「インフラストラクチャー」の略語です。 この言葉には「下部構造」という意味がありますが、近年ではこれを転じて「毎日の生活や産業活動を行うにあたり基盤となる整備施設」のことを指すようになりました。
第3章 東京を水害から守る!-荒川放水路の建設
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●隅田川ぞいにどんどん工場が建てられる
明治時代となり、舟運を利用できるよう荒川下流(隅田川)に様々な工場が建てられました。工場への水害対策「治水」が急がれましたが1910年(明治43)に大水害が生じます
●大水害をきっかけに荒川放水路の建設が決定
大水害により、墨田区、江東区などに浸水被害が起きるため、1910年荒川放水路の建設が決まりました。
●放水路のために、家や土地を手放さなくてはいけなかった人たち
工事は当時の“内務省”が行いました。約1300件の主に農家が安い料金で立ち退きました。
●最初は機械を使わず、人の手で掘った
1913年(大正2)より工事が始まりました
「人力掘削」・・・水が通る一番底(低水路)と2番目(高水路)は人力と機械を使い分けて掘りました。1930年20年かけて完成しました。
●日本人でただ1人、パナマ運河の建設工事に参加
この工事にリーダーは、東大卒で日本人で唯一「20世紀最大の土木工事」と呼ばれるパナマ運河の建設に参加した青山士が指揮をとりました。
パナマ運河はアメリカ大陸のつなぎ目にでき、東西をつないだので1か月かかるルートを約10時間で通行できるようになった運河です。
●ともに働く仲間をとても大切にした青山士
青山のパナマでの経験から、基礎を川底から20m下まで掘る事、鉄筋コンクリートを使用したことなど、軟弱な地盤の基礎作りのおかげで1923年(大正12)の関東大震災でも岩淵水門は被害がありませんでした。
危険な工事で事故や死人も出ました。青山はパナマの工事に見習い業界ではじめて「労災保険」を導入したり、関東大震災時には「朝鮮人」にまつわるデマで殺人も起き、工事現場の朝鮮人を家にかくまいました。
●荒川の中流でも水害対策のための工事が行われる
1910年(明治43)荒川の中流にあたる埼玉も水害対策を望まれ、1918年に今の深谷市から北区までの62.3キロを「荒川上流改修工事」されました。関東大震災と戦争で長引き就労したのは1954年(昭和29)37年かかりました。
●川を直線にする工事がおこなわれ、舟運はおとろえる
1896年(明治29)「河川法」・・・「川の整備は、氾濫が起きるのを防ぐことを目的に行う」と決められ、氾濫しやすい蛇行した川を直線化し、舟運に向かない川になりました。交通手段も船から鉄道にかわりました。
●日本一の川幅と横堤が、荒川の氾濫を防いでいる
荒川は下流より中流のほうが川幅が広いのは、洪水が起きた時に中流でとどまり、下流への被害が少なくできるからです。
第4章 今の時代の荒川と、わたしたち
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●カスリーン台風のとき、もし放水路がなかったら!?
岩淵水門に水位をはかるポールがあり、1947年(昭和22)カスリーン台風の時、最高水位8,6mになりました。でも荒川放水路、岩淵水門のおかげで氾濫がおきることはありませんでした。
●ダム・調節池・放水路でまちを水害から守る!
2019年(令和元年)東日本台風の時、三万棟が浸水し、94名亡くなりましたが、荒川の上流に水をため込むダムや調節池も作ったので氾濫を防げました。
荒川はダム、調節池、放水路&岩淵水門の3点で守られています
●地球温暖化で雨の降り方が変わった?
荒川では、第二調節池、第三調節池の設計計画が進んでいます。なぜなら昔より降水量が2019年までの30年で1,7倍になったからです。原因は地球温暖化?と言われています。
●流域全体で水害を防ぐ「流域治水」の考え方
「流水治水」・・・川の流域の人それぞれが「水をためる」場所を作ること。「治水」だけでは限界になってきています。
学校→グランドにためる
家庭→「雨水浸透ます」大雨の日は洗い物やふろ水を捨てをやめる
小さな取り組みでも、国や都、県だけにたよらず、「自分に出来ることは何だろう?」と考えなくてはいけない時代になっていきたことだと思います。
●川が氾濫した時、避難はどうする?
荒川下流の江東五区(墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区)の下町エリアは工業用水のくみ上げや天然ガスのくみ上げで「地盤沈下」が進み「ゼロメートル地帯」と呼ばれます。
沈んだ土地は元には戻りません。高潮などの大波がきたら10m水かさが増し、2週間親水が続くと言われます。250万人の自宅が浸水するといわれています。そのため避難計画を心得ておくことが大切です。
2、区、市、都と協力して「区外の避難所」を用意して非難する
3、区が用意した「区内の避難所」に避難
4、水がやってくる不安のない高層の階に避難する
●浸水しても、しばらく生活ができるまちをつくる
「江東五区の水害への取り組み」を葛飾区に聞いてみると…
「親水対応型市街地構想」・・・町が浸水してもそのまま生活できる街づくり
2、20年後までにマンションに太陽光パネル、蓄電池、備蓄倉庫、ゴムボートを設置。学校体育館を2階以上に建設する。
3、30年後までに、避難場所で2週間暮らせる状態を作る。「高台」にヘリやボートをつけられる場所を作る
●みんなに参加してもらうには、「楽しい!」がキーワード
災害時は消防より先に「家族」「友人・隣人」が助けるのが多いです。葛飾区町内の避難訓練で「楽しい」と感じてもらい、災害への理解と助け合いの信頼関係を作っています。
●いろんな人が集まり、まちづくりのアイデアを出す
「輪中会議」で町内会以外の「安全なまちづくり研究」をしている人と「水害に強いまちづくり」を話し合います。
●地域をささえていいくのは小学生と中学生
「輪中会議」のメンバーは小中学校で防災への指導、活動支援をしています。地域密着型の子供のほうが家族を巻き込むことができるからです。
●「もしも」のときのために、準備しておきたいこと
・気象庁発表の「早期注意情報」「大雨・洪水・高潮注意報」を確認
・「高齢者等避難」→「避難指示」→「緊急避難案内」の順で緊急度が増します
・家族で「どの段階で非難するか」の「マイ・タイムライン」を決めておく
と、いざという時あわてずに済みます。
第5章 荒川と世界の未来のためにできること
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●隅田川が汚すぎて、花火大会が中止になる
1962(昭和37)~1977年(昭和52)まで隅田川花火大会は、戦後復興後に立てられた工場の汚水により花火大会は中止されていました。悪臭や有毒ガスによる呼吸器病患者もふえ、公害と人権問題まで発展し「川の埋め立て」が住民から望まれていました。
●わたしたちの生活に、川をふたたび身近な存在にするために
隅田川汚染は、底にたまったヘドロをしゅんせつ船で取り除くことで解消されましたが、根本原因は下水道が整備されず、工業用水と生活汚水が流れ出ていたためです。現在汚水は100%下水処理場に運ばれ、1978年(昭和53)隅田川花火大会は復活しました。
●荒川のごみ拾いに参加してみたら…
残る問題は「プラスチックごみ」です。
河川敷にはプラスチック系のごみが今でもたくさんあり、特にレジ袋は土の中に残りやすいゴミです。それが時間がたつとちぎれて5ミリ以下の「マイクロプラスチック」ゴミになります。川沿いの生物がそれを食べてしまいます。
●荒川のプラスチックごみも、世界の海をよごしている
小さな川は海へとつながり、世界の海でもプラスチックゴミが社会問題となっています。
●生まれてきたときよりも、よりよくして残したい
問題解決には「ごみを捨てる人を減らして、拾う人を増やすこと」です。
直接捨てていなくても、風にのって川や海に流れていくこともあります。実際にごみ拾いイベントに参加すると「とんでもないことになっている」と意識が変わります。わたしたちも、荒川の未来と、世界の海の未来のために、自分でできることに取り組んでいきたいものです。
あとがき
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「なぜ、このまちはこんなに発展したんだろう?」を考えると、このまちの成り立ち、地理、自然に注目すると答えが見えてきます。
一方で、まちをもっと安全で便利にするために、荒川放水路のように、地理や自然を変えることもできます。
そのまちの歩みや特徴、あり方について理解を深めたい時、そういう視点で考えることが大切であると気づかされます。
『人がつくった川・荒川』読書感想文の書き方・大ヒントとこたえ
・中学生の部 本文 2000字以内
(作文用紙400字×5枚)
字数が足りない場合は、以下のサイトの「文字数が足らない場合の対策」の部分が大変参考になります。
⇒ 読書感想文の書き方 構成とコツ【中学生・高校生】コピペOK
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○ 応募規定にあっているか
○ 発達段階に応じた適切な本を選んでいるか
○ 読書のよろこび、楽しみが感じとれるか
○ 広い視野から作品を評価しているか
○ 登場人物の心情や、作品の語っているものを的確にとらえているか
○ 著者の論旨を的確にとらえているか
○ 事実と著者の意見とを区別してとらえているか
○ 自分の意見・感想を率直に述べているか
○ 自分のことばで表現しているか
○ 発達段階に応じた考え方が表現されているか
○ 規定の文字数を十分に生かし、自己の思いを表現しているか
○ 読書によって得た自己の変革がみられるか
○ 規定の文字数を十分に生かし、自己の思いを表現しているか
あらすじは簡単でもいいですが
・自分がどう感じたか?
・本を読んで何を感じ、今後にどう生かすか?
・「似たような経験」の自己開示 → 高得点ポイントです
『人がつくった川・荒川』読書感想文のこたえ
『人がつくった川・荒川』は
前半:現在の荒川のなりたちは昔の人のおかげ
後半:温暖化で水害が起きたらヤバイので自分でできることをしましょう
を、通してSdgsの「3 世界の水問題に対して私たちにできること5選」に結び付けるとよいでしょう。
3.1 ①洗濯・トイレなど水の無駄遣いを減らす
3.2 ②調理器具や食器は油や汚れを拭てから洗う
3.3 ③お風呂の残り湯を有効活用する
3.4 ④石けんや洗剤を使いすぎない
3.5 ⑤世界のSDGs目標6に関する現状を知る
著者的にはあらすじの「なぜ、このまちはこんなに発展したんだろう?」という視点を持つことで、視野と世界の見方が変わると伝えたいのだと思います。
ですが徳川家康や伊奈忠治、青山士らの功績にさらりと感謝しつつ、「自分に出来ることは何だろう?」に熱量をおいたSdgs作文として書いたほうが、読書感想文コンクール的には「学習効果が出たので良い!」とされるでしょう。
参考感想文
水害とたたかい、川の流れを変え、江戸と東京の発展を支えてきた荒川の過去・現在・未来を旅しよう!埼玉県から東京都に入り、東京湾へそそぐ荒川。長さは173キロに及び、日本で15番目に長い川だそうです。皆さんの暮らしている地域にも川はあるでしょう。川は人の生活に密着した存在です。わたしもずっと浅川のそばに暮らし、小中高と学校は多摩川のそばでした。川は身近なものとしてあります。
さて荒川です。大雨が降るとひんぱんに田畑や家を水浸しにして人々を困らせる「荒れる川」だったので「荒川」と名づけられたといわれているのだとか。そんな荒川は江戸時代から現在まで、川の流れが2回も大きく変わったユニークな川です。
なぜ、荒川の流れは変化したのか、過去をさかのぼって探ります。
「時代とともに、変化した川・荒川」「荒川があったから、江戸時代も農村も発展した!?」「東京を水害から守る!~荒川放水路の建設~」「今の時代の荒川と、わたしたち」「荒川と世界の未来のためにできること」の章立て。写真や地図もたくさん掲載されていて、理解の一助となるでしょう。自然や地理の影響をわたしたちは大きく受けて暮らしているのだと、しみじみ感じました。皆さんの暮らしている地域の川にも、この本に書かれていることと同じようなことがあるに違いありません。 教文館公式サイト ナルニア国日記 (す)
読書感想文ChatGPTで書いたらバレる?感想文での使い方
話題のChat GPTですが、読書感想文でのChat GPTの使用は原則禁止です。
ですがこれからの社会Chat GPTを上手に使いこなす能力も必要です。
(文部科学省が、学校向けのガイドライン作成を検討を始めました)
もし読書感想文でChat GPTを使用した場合・・・生徒をよく見ている教員ほど「本人が書いたものではない」ということを見抜くことができます。
アジア圏の日本人学校で教員が、小学5年生の女子生徒が書いた「ハリー・ポッター」の読書感想文を「本人が書いたものではない」と勘づき、やはりChat GPTに書かせたということがわかりました。
・内容に違和感を覚える
・文章の構成と言葉遣いがいつもとちがう
・Chat GPTの文章にはその生徒の個性がない
・書かれた文章の内容の質問に答えられない など
将来、Chat GPTを使うスキルが必要かもしれません。そこで問題のケースでは「Chat GPTを使って学びを深める方法」を生徒たちと話し合いました。
・AIが書いた文章は読みやすい(メリット)
・文章添削では早く的確でわかりやすい回答がくる(メリット)
・人間味や面白味がない(デメリット)
作文を自分で書く
↓
ChatGPTで添削
(文章の書き方や構成の作り方)
(変更した理由)
↓
自分の感想文と読み比べる
↓
AIが出せない味は消さない
「自分らしさ(個性)」
「自分のエピソードや表現の仕方」
「会話文から始める構成」
↓
AIを生かせる部分
「文章校正」
「誤字脱字」
を修正するなどで利用する
Chat GPTは“きれいごと”の返答が多いと言われます。ですが精度が上がりユーザーの個性を分析し、まるで子ども本人が書いたのような回答ができる日が来るかもしれません。
上手にAIを使いこなすことは、処世術として必要ですが、読書感想文などは思考力の訓練です。
思考力は書くことで鍛えられるので、その機会が少なくなると言われ、なにかの判断をChat GPTにゆだねるうちにChat GPTの指示に従うのが正攻法と思うようになる世界は「AIを使っているつもりが、使われている」ことになるのかもしれません。
・自分で考える事、自分の意見を書く必要性を教える
・Chat GPTは文章の添削、文章校正や誤字脱字など感想文の基本を学ぶために使う
という、教え方が適切なようです。
うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!
読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!
考える読書 第68回青少年読書感想文全国コンクール入賞作品集
全国学校図書館協議会
発売日:2023年05月01日頃
去年の課題図書でコンクールの賞を取った子もいます。賞ねらいじゃなくても、読書感想文の得意な子の作品を参考にするのも一考です。
内閣総理大臣賞<中学生の部>
◆山田慶吾 鹿児島県 鹿児島市立鹿児島玉龍中1年
「江戸のジャーナリスト葛飾北斎」(国土社)
文部科学大臣賞<小学校高学年の部>
◆長谷美波 東京都 江東区立第二南砂中3年
「夜と霧 新版」(みすず書房)
読書感想文の入賞作は審査員の合格基準に達した書き方をしています。大切なのは「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」です。参考になる入賞作は大いに参考になります。昨年の入賞作2点を参考に、書き方のコツを頂きましょう。
●読書感想文、課題図書には「隠れたテーマ」があるので、それに回答する
●読書感想文の書き方は「気づき」「反省」「挑戦への意欲」を書くと心象が良い
●入賞している人の書き方を参考に勉強する
同学年でもおどろくほど大人っぽい感想文を書いている人もいます。そこまでできなくても、冒頭の書きだしや感想文の話の流れのスムーズさ、物語の捉え方や意見のまとめ方など文章の組み立て方を参考にしましょう。