【おまじない】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない】は西加奈子さん2年ぶりの短編小説で、それぞれにちょっとした「生きづらさ」を感じている女の子(?)たちがたまたま聞いたオジサンたちの一言で目からウロコ的に悩みから解放される物語です。
少女、ファッションモデル、キャバ嬢、レズビアン、妊婦……
さまざまな人生を生きる女の子たちの背中をそっと押す「悩みを抱える女の子」が「おじさん」に救われる「魔法のひとこと」。
悩んだり傷つきながらも、他者との関わりのなかで生きていく姿を描いたキラメキの8編。大人になって、大丈夫なふりをしていても、
ちゃんと自分の人生のページをめくったら、傷ついてきたことはたくさんある――。
それでも、誰かの何気ないひとことで、世界は救われる。
悩んだり傷ついたり、生きづらさを抱えながらも生きていくすべての人の背中をそっと押す、キラメキの8編。
【収録作品】
1 燃やす
2 いちご
3 孫係
4 あねご
5 オーロラ
6 マタニティ
7 ドブロブニク
8 ドラゴン・スープレックス
全ての物語が読み切りで15ページ以内。読書感想文を書くには最適なのです。
得に本作は作品によっては女子小学生から女子高生までと対象年齢の幅の広さもうれしいところです。
こちらでは【おまじない】の…
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【おまじない・燃やす】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない・いちご】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない・孫係】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない・あねご】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない・オーロラ】あらすじ(ネタバレ)と感想文の書き方
【おまじない・マタニティ】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
【おまじない・ドブロブニク】あらすじ(ネタバレ)と感想文の書き方
【おまじない・ドラゴンスープレックス】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
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【おまじない・燃やす】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
あらすじ(ネタバレ)
ケイちゃん(私)はずっと2人のお兄ちゃんのおさがりのズボンをはいている男勝りな女の子。「はすっぱ※」なお母さんはそれを喜びお兄ちゃんたちが「マッチョ」なことをするのを嫌がった。オシャレなおばあちゃんは嫌な顔をして2人は目を合わせて話すことはない。小5になっておばあちゃんは入院。お兄ちゃん達はスポーツに夢中。私は胸が膨らみ始め、近所の人から「可愛い」と言われ、クラスの女子も男子も私への接し方が変わった。ついにスカートを穿くことにすると、お母さんは身構えたがおばあちゃんは喜んだ。
ある学校帰りに知らないオジサンから「可愛いね」と声を掛けられ、スカートに男のアレがべっとりつけられた。お母さんは私を乱暴に洗いながら「ほらね!」と叫んだ。学校で私は「可愛そうな子」になり、またズボンを穿くようになりスカートはお母さんに庭で燃やされた。それからお母さんは怒ると何か「燃やす」ようになり、まだ生きているおばあちゃんや家に帰って来ない2人のお兄ちゃんの服も燃やすようになった。
その頃、学校の裏のおじさん(用務員)が中庭でなんでも燃やしている事に気が付いた。おじさんはお母さんと違い、何かを慰めるようなやり方で燃やし、授業を抜け出しても私は怒られず、おじさんもただ「何か燃やしたいものはないですか?」と敬語で話しかけれ「可哀想な子」としても接しなかった。
私は雨の日に燃やすものを持たずに来たので「言葉を。」「『ほらね』を燃やすことは出来ますか。私、スカートを穿いて。でも、おかしな人に会って。それで、お母さんが。」「きっと、私が悪いって。」と言った。私の握った手の中にはお母さんの「ほらね。」があった。私は、お母さんの願いに反して女の子らしく可愛いと言われて喜んだことへのバチが当たったと思っていた。
おじさんは「あなたは、悪くないんです。絶対に、分かりますか。」と断言した。
おじさんの言葉は私の体をあたため拳の中の「ほらね」に震えることはなかったし、雨は降っていたけど、私は悪くないのだから、体はあたたかかった。
その夜、おばあちゃんが死んだ。おばあちゃんが燃やされる煙を見ながら、お母さんはみんなが驚くくらい大声で泣いておばあちゃんの事を「ママ」と呼ぶことを初めて知った。
「はすっぱ」※
《名・ダナ》女の態度や行いが軽はずみで下品なこと。浮気で品行のよくないこと。そういう女。
■おすすめ年齢 小学生から
■こんな人にオススメ
・母親とあまり仲良くない、性格が合わない人
・男の子に嫌な目に合わされたことがある
・女らしくすることに抵抗がある
・お母さんが変わっている
【感想文の書き方・例文680文字】
これは少年のような少女が「女性らしさ」を取り戻す物語です。
小さい時はなんとなく、親のいう事が世間ずれしていたとしても「そんなものかな」と素直にしたがうものです。
ですが思春期になると自我が芽生え、親が言う事にも疑問を持つようになります。それがたとえ親のいう事と反していても、外からの情報の方が正しいし、新しいし、自分の願望を叶えたくなるのが自然なのです。思春期には誰にでもこのような親との意見の相違が生じるものです。
ケイちゃんの場合は自我を通したことで深く後悔する事になります。お母さんの言う通りだった、自分が悪かったと傷つくことになります。
それを慰めてくれたのが無口な用務員のおじさんでした。
おじさんは「あなたは、悪くないんです。絶対に、分かりますか。」と断言します。
きっと事情を知っていたのでしょう。お母さんの「ほらね」を知りませんし、女の子がスカートを穿きたい気持ちになにも間違いがないと言っただけです。多くは語らないけどケイちゃんが側にいるのを許してくれたおじさんの言葉で救われます。
不思議なのはお母さんの考え方や行動です。
これは想像ですが、もしお母さんも子供の時にケイちゃんと同じような経験を知らないオジサンにやられていたとしたら?
そしてお母さんには「用務員のおじさんは現れなかった」
お母さんが何かに傷ついたままならスカートどころか女性らしさを感じさせない「はすっぱ」を装う気持ちや、お兄ちゃんたちに「マッチョ」になることを嫌う気持も理解できます。
お母さんの「ほらね」はケイちゃんに言ったのではなく、過去の自分や女らしいオシャレなおばあちゃんに言いたかったのではないでしょうか?
ワンポイント
「母親との確執」「性的な被害」など思春期をむかえたころ、女子なら向き合う問題かもしれません。あまり明け透けに自分の事を感想文に書かなくても良いでしょうが、この物語の救いはケイちゃんが自分の女性らしさを失わなかった事です。お母さんと仲良しなのは良い事ですが、お母さんの言う事が本当にすべて正しいのか?冷静になるきっかけづくりになる物語です。親の人格と愛情がどれほど子に影響を与えるかが物語の根本にあります。
【おまじない・いちご】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
あらすじ(ネタバレ)
親戚の浮ちゃんはいちごを育てていた。ほとんど血の繋がりはないが親切な浮ちゃんは全然見た目が変わらない。
浮ちゃんは奧さんを早くに亡くし、集落から出た事もなく、NHKしか信じない。私と弟にはおやつはグリコのキャラメルしかくれず、商品のデザインが変わると「ちゃらちゃらしよって!」とえらく怒った。いちごの収穫期には私と弟は「食えっ!食えっ!」と死ぬほど食べさせられた。
浮ちゃんは蛇やテンなど見つけるとぶん回してぶん投げた。だがいちごを食べてダメにするカタツムリはめちゃくちゃに踏みつぶした。私は大人の前で無邪気に子供ぶることで大人にサービスし可愛がってもらっていた。が、その一件がトラウマになり浮ちゃんの前では子供ぶることを止めた。
私は両親・親戚の良いところだけを受け継ぎ、高校2年でモデルスカウトされ上京し18歳で「正統派美少女モデル」でデビューした。親は私が載った雑誌を浮ちゃんにも送ったが、椅子の高さの調整で足に噛まされていたらしい。
大学に行きながらモデルをし、芸能人があつまる店に連れて行かれ、モデル仲間と合コンに行き、スポーツ選手で処女を喪失した。お酒も覚え、たくさんの人に体を開き、恋人を何人も作り、一度ヤフーニュースにも載り、腰に小さなタトゥーを入れた。世界は拡散し続けた。
気が付いたら私は29歳になっていた。モデルとしてはコンサバティブな自分が恥ずかしく思い、整形、ダイエット、英会話、着付け、乗馬をし、車を買い替え、引っ越してインスタを始め、タトゥーのデザインを変えた。相変わらず私の世界は拡散し続けたけどどこに向かっているのかわからなかった。
父の伯母の葬式で10年ぶりに行く事にした。私は浮ちゃんに会いたかったのだと気が付いた。浮ちゃんは90歳に手が届くはずなのに全く変わらず、私と会えたことも喜んでいなく、懐かしくもなさそうだった。みんなのように騒がず、浮ちゃんは絶対に浮ちゃんで「いちご見るか」とそれしかないのだった。「食えっ!食えっ!」と浮ちゃんの攻撃はまったく衰えていなかった。「こんなに食べられないよ…家に送ってくれない?」というと「東京ちうたら、とちおとめとあまおうがしのぎを削ってるとこじゃな」と断固たる態度で言った。
ハウスの中で冬眠から目覚めた蛇を見つけた浮ちゃんは、つかめてぶん回してぶん投げた。
■おすすめ年齢 高校生から
■こんな人にオススメ
・人づきあいや人間関係に疲れた人
・とても好きな世界、モノがある
・自分の目標ややりたい事がわからない人
【感想文の書き方・例文578文字】
小さい時から少しあざとかった私は、大人の前で子供らしい素振りをする事が愛されて可愛がられるコツであると知っていた。それはどこか大人を軽く見ていたという事なのかもしれない。でも唯一それが通用しないのが浮ちゃんだった。
浮ちゃんは私と弟を子供扱いしなかった。子供らしい可愛らしい素振りは通用せず分かりやすい優しさはない。ただいちご栽培に人生をかけ、私と弟を弟子のごとくいちごについて教えた。
若い時、自分の人生と将来に対して夢や期待を抱くものである。
どんな素晴らしい世界、素敵な人、経験やモノ、面白いものに出会えるか漠然としながらでも夢を見るものだ。私はモデルになりそんな素晴らしい世界に受け入れられていく。華やかな人たち、オシャレでかっこよくて、優越感に浸れる世界で「もっともっと」と世界を広げていく。でも広がり過ぎて、終点も見えない世界で私はどこに向かっているのか?何者になりたかったのか?わからないことに初めて気づくのだった。
人は遠回りしてみて初めてわかることがあるのかもしれない。幸せはすぐそばにあったことに。
浮ちゃんは何も変わらない。世界も狭い。いちごの事しか頭にない。だが私にとって確立した世界を持つ浮ちゃんは恰好いいのだ。世界は広くなくても良い。世界なんていちごのように大切なもの一つあれば充分というおじさんは生きる姿勢でそれを伝えてくれたのが分かる
ワンポイント
華やかなで目立って、時代の最先端でみんなにチヤホヤされる。
誰でも世間から脚光を浴びて、キラキラした自分になれることに憧れはもつものです。
でもそれって永遠に続くの?
どこに行っても人にジロジロ見られるし、悪く言われる事もある。それ以前に飽きられてもくる。
みんなにずっと好かれるために何をすればいいの?探し続ければきっと何か見つかるかも。
そうやって自分探しを続けてみたとき、同じことをずっと同じ情熱で続けている人の生き方に見逃していた幸せに気づく物語。
【おまじない・孫係】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
あらすじ(ネタバレ)
長野で大学教授をしているおじいちゃまが1か月うちで暮らすことになった。一人っ子でファザコンのママは本当に嬉しそうで興奮し、いつも完璧なおじいちゃまを「お父様は、本当に、本当に素敵なお父様で、私はいつも幸せだったわ!」と叫ぶように言った。
おじいちゃまはお洒落で気前よく優しいが、スミレは遊んでもらった記憶もないし、遊びに行っても書斎に引っ込んでしまう…ひんやりした感じがある。私もパパも犬のラブもなんだかぎくしゃくし、自分の家なのに、なんだかぐったりした。ほっとするのは寝る時だけで瞼の裏に「あと何日」と思った。
ママは信じられないほど素敵でまっすぐで困った人は助け、間違いは指摘し、自分の家の範囲を超えて町の掃除する感謝される人だ。パパも素直で断れない性格で、みんなに慕われていた。
私だけがひねくれ者で、両親のように素直に感情表現できないし、運動会もピアノもめんどくさいし、同級生はガキっぽくてしんどいし、先生や大人の前ではうまく振る舞うと褒める大人をどこか馬鹿にした。そんなタチが悪い自分を汚い、ズルい人間だと思う。おじいちゃまのことでも自分は嫌な孫だとため息が出た。
家に帰ると誰もいなくて「やった」と声が出た。ソファでどしーんと横になり、おやつを手あたり次第食べて、つまらないテレビを見て、自由をしみじみ感じ「ひとりになりたいなぁ」と独り言を言った。すると散歩に行ったはずのおじいちゃまが出てきて冷や汗をかいたが、おじいちゃまはホッとしたように「私もです。」と言った。
おじいちゃまは私の隣に座り、かりんとうをつまみ、綺麗な洋服に古びた5本指靴下をはいてだらしなく見えた。そして大きなため息をついてママの事は「娘だし気遣いは嬉しいけど、まっすぐ愛情をぶつけられたら疲れるんですよ。ひとりになりたい。早く長野に帰りたいです。」そしてすみれはおじいちゃんと亡くなったおばあちゃんにすごく似ていると言う。
おばあちゃまはおじいちゃまと2人の時は、毒舌家で悪態をつき友達の悪口をいう人だったそうだ。「(ママには)良いところしか見せてこなかったから、いい子に育ってしまって。ちょっとしんどい」「(娘・孫)だから無条件にかわいいなんてことない」に私は爆笑した。
そしておじいちゃまと私は協定を取り結び、すみれは孫係、おじいちゃまは爺係をちゃんとつとめあげようとなった。
2人は夕食時に仲良くおしゃべりし、ラヴをかわいがり、家では常に一緒にいた。ママは涙を浮かべて喜ぶので、ますます係の任務を頑張った。そして夕方ラヴの散歩に行ってそれぞれ一日分の悪態をついた。
おじいちゃまは「私たちは、この世界で役割を与えられた係なんだ。」と私を楽にしてくれた。それから学校でも「優しいお友達」「優秀なすみれちゃん」をこなした。
「友達に優しく振る舞ったり、先生の期待に応えようとするのは思いやりの心からくるんです」「みんな根は良い子なんだ。それをどれだけ態度に表せられるかですよ。」「正直なことと優しいことは別なんだ。」「悪態をつくのは限られた人にだけ…みんなを思いやって、望むことを全力でやって、疲れたら私だけにそっと悪態をつく。だから誰かを傷つけることは絶対になかった。」
おじいちゃんが帰る日、ママはぽろぽろ涙をながしがけど、もしかしたらママも「お父様の事だが大好きな娘」をこなしているのかもしれない。二人の姿はお互いの役割を思いやりを持ってこなしている、立派な生き物に見えた。
■おすすめ年齢 小学生から
■こんな人にオススメ
・友達との付き合い方に悩んでいる
・ホンネとタテマエの使い分けについて
・世渡り上手になりたい
【感想文の書き方・例文801文字】
完璧すぎる人といると緊張するものです。相手の正しさや清らかさを自分と比べたり、リラックスできないからです。でも完璧で優秀と思っていた人が実は「あえて気を付けて完璧にしていた」と知ったら?
主人公のすみれはおじいちゃまに一気に親近感を覚えることとなります。そこには「おじいちゃまも自分と同じように感じる人間だった」という親和性からです。
すみれは最近両親のように素直でもなければ、学校の人間関係もめんどくさく感じるくせにそつなくこなして褒められる「卑怯でいやらしい子」だと自覚していました。
心ではめんどくさいのに、友好的であることを求められるジレンマにおちいることは誰にでもあるかもしれません。正しい事に前向きになれない自分はどこかおかしい、正確が悪いんじゃないだろうか?すみれは自分に両親のような善良さがない事に悩み自己嫌悪するのですが、両親ではなく祖父母と同じアイデンティティに安心し、生き方を学ぶのでした。
見方を変えると祖父母は今まで家族全員を騙してきた事になります。
「良い子ぶって心の中で舌を出していたの?!」と思うと腹が立ちますが、おじいちゃまの考えに不愉快さを感じるとしたら、もしかしたら他人にそれだけ期待や依存心が強いということかもしれません。
おじいちゃまは「正直な事と優しい事は別」と言い、相手が期待する自分として振る舞う事は思いやり(マナー)なのだと言います。それは大人になるにしたがって心にもないお世辞を言うことに罪悪感を感じなくなるおまじないかもしれません。
ただこの物語では、その生き方の中で唯一悪態をつける相手の見つけた方をおじいちゃまは教えてくれません。おじいちゃまはおばあちゃまを亡くしてさびしい思いをしていたのは、心を開ける相手を失ったからでしょう。
外面を良くして人づきあいを円滑にすることは人生の大切な技術です。ただそこには孤独になる事も覚悟しなければいけないなと思いました。
ワンポイント
「おまじない」の中で一番評判の良い「孫娘」です。が純粋な人が読むとおじいちゃまとおばあちゃまは、なかなかヒドい性格をしていると言えます。ただ人づきあいはオフィシャルになるにつれて、誰とでも円滑に付き合える技術が必要になります。「大人の世界」を垣間見るのは早めですが小学生からも読書感想文としておすすめです。
【おまじない・あねご】あらすじ(ネタバレ)と感想文の書き方
あらすじ(ネタバレ)
17歳で初めて飲んだ。
初対面のニキビだらけの男の人とファーストキスをし、短大は毎日飲んで、入学1か月で名前を知らない男の人に体を開いた。その頃から「あねご」とあだ名をつけられ、私が酔っぱらうと「さすがあねご!」と盛り上がり、卒業後、派遣先の歓送迎会で「あねご」と呼ばれた過去を明かし「酒癖が悪い」がステータスになった。酒ネタでみんなに笑われ「そそられない」と言われつつ何人か勢いで関係を持っても誰にもバレず、最初の会社も次の会社も2年の契約は更新されなかった。
次の仕事にグズグズしていた時、後輩に「夜の店が合う」と言われた事を思い出し、キャバクラでおばさんキャラでいく事にした。客には「ラズボス」「ババぁでブス」「バケモノじゃん」と言われつつ客ウケも良く、指名も入り、達成感やどんな子とでも仲良さそうにする空間が心地よかった。
『オカアサン』から電話があったが食品会社のOLだと思ってるし、飲むのを嫌うから家では飲まない。
お母さんは自分の父(おじいちゃん)が酒飲みで苦労させられたから酔っぱらいが嫌いで、お父さんは転職後、会社で飲むことを強いられみっともない酔っぱらい方をした。お母さんはお父さんが酔ってやったことを一部始終聞かせ、夜の言動をテープで録音することもあった。「本当に、見ていられない」と私が11歳の時に2人は別れた。
ある日、有名な俳優Aさんが来ておどけて見せたが、Aさんは機嫌を損ね怒らせた。そこに数年前に少しだけ売れた「電話番号だけが出回っていて、おごると言うとどこにでも来る」との噂の頭の禿げたみずぼらしい芸人「モリ」が来た。Aさんと私の間にモリは座り、私とモリをくっつけようとする流れになり、モリは動くたびにフケが舞い、話すたびにツバが飛ぶのを私はそっとぬぐった。そして周りからキスするようはやし立てられ、初めてモリの目を見たとき「お父さんだ」と思った。モリさんの目は怒っても怯えてもなく、ただまっすぐ私を見ていた。
トイレに立ったモリさんを追いかけ、出てきたモリさんの頭についたポップコーンと大きめのフケを取り、もし「かわいそうに」「見てられない」とモリさんに言われたらその場でなんとか死のうと本気でそう思っていた。モリさんは「あなたがいてくれて、本当に楽しいです。」と静かな声で言った。
短大や会社員の時、私を心から軽蔑している人がいることを知っていた。かわいくも、面白くもないけどお酒は簡単に人と近づけて、求められるのだと知り笑われているとわかっていてもそれで救われた。ただ「かわいそう」だとは、絶対の思って欲しくなかった。
お父さんの気持が今ならわかる。お酒は好きじゃない、でも飲んで酔っ払わないと恥ずかしくてどうしようもなくていられない。お父さんは、頑張っていたんだ。私は「あなたがいてくれて、本当に楽しいです」と言って泣いていた。モリさんの袖口から蛇の刺青が見えたので隠してあげた。モリさんが手を拭いたタオルで涙を拭い、モリさんと手を繋いで席に戻った。
■おすすめ年齢 中学生から
■こんな人にオススメ
・自分に自信がない
・家族親族などにアル中がいる
・お酒に興味がある
【感想文の書き方・例文591文字】
大人がお酒を飲むのは一般的には「おいしいから」そして「楽しくなるから」が理由なのでしょう。楽しい気持ちは辛い事や悲しい現実を簡単に忘れさせてくれます。酔っぱらい方によっては「あねご」のように人との付き合いを楽にする手段として飲んでいる人もいます。
あねごのお母さんのように、酒癖の悪い人を嫌悪する気持はよくわかります。でもここにきて、飲まないと人生と戦えない、繊細な人も世の中にはいるのです。
あねごとモリさんが求めるのは「あなたがいてくれて、本当に楽しいです」と存在を認めて受け入れてもらう事。世間は人を無条件で受け入れてくれるほどやさしい世界ではないのが現実です。やはり秀でていて役に立つものから受け入れられるのです。2人は頑張って飲んで自分の居場所を求めていた。「笑われても良い、でもかわいそうだと思われたくない」は彼らの最後のプライドで笑われることは最後の救いだったのかもしれない。
何もない自分でも存在する事を受け入れてくれる「承認欲求」を誰しもが求めています。ですが「現実を直視しろ」「酒に逃げるな」というのは正論ですし、そうしないと本当の意味で人生は救われないでしょう。お酒と言う手段でずっと居場所を求め続けるのは無理があるのは当事者が一番よく分かっているハズなのです。人は自分にめげることなく人生を戦える武器を何か持たなければならないのかもしれない。
ワンポイント
一言で言うと「得られなかった承認欲求をむさぼる話」です。
こう書くと惨めでみっともない酔っ払いの話で、物語のオカアサンのように「見ていられない」と切り捨てるようになります。ですが人は多かれ少なかれ皆、承認欲求はかならず求めているです。はたから見るとワタシとモリさんが弱すぎてお酒でその欲求を満たしているという話です。人は大人になるにつれて、生きる技術を持たなければならなくなります。何もないからと後ろ向きで引きこもり、自分の不遇さを誰かのせいにするよりは、「かわいそうとだけは言われたくない」とジタバタ酒の力を借りてでももがき戦う姿のほうが美しいかも?という見方もあります。
【おまじない・オーロラ】あらすじ(ネタバレ)と感想文の書き方
あらすじ(ネタバレ)
ダンサーのトーラと会社員の私はアラスカに行くことにした。トーラが「心がない場所」に行きたいと言ったからだ。シアトル経由でアンカレジに入り、レンタカーで北を目指した。
トーラとは私の働く外資系化粧品ブランドのパーティーで出逢った。彼女は私より小さいのに誰より大きく見えて神様が彼女に特別な何かを与えたように思えた。
旅先でトーラは英語が話せないフリをして、とにかく人と接しないと心に決めているらしい。ロッジで職業を聞かれてもトーラは薄く微笑んでいるだけだった。「オーロラが見れるかも」と教えられてもトーラはとにかく何もないハイウェイを走りたい、それだけを考えている顔をしていた。
トーラと出会って1週間ほどしか経っていなかったころ、パーティーで連絡先を聞かれ毎日電話をかけてきて、我慢できなくなったように、山奥の温泉に誘われた。
夜中に2人でオーロラが見えるかねばったが見えることはなく、空港に向かい小さなカフェでコーヒーを飲んだ。
アラスカでよく見かけるハンターのような老人が私たちに話しかけたが、トーラは無視をした。「オーロラを見に来たのか?」と聞かれ「オーロラまた戻って来てくれるといいんですが」というと「オーロラは戻ってこない…戻ってくるのはあんただよ」と言われた。
私は(私だけが)ここに戻って来て、またオーロラを待つ。そばにトーラはいないだろう。体を何かに貫かれたような気持だった。
私とトーラの間にはもう恋はない。恋の代わりに愛着のある時間が生まれ始めていたが、ふたりの関係を終わらせるきっかけが、この度にあっただろうか。トーラが隣で小さなため息をついた。
■おすすめ年齢 特になし
■こんな人にオススメ
・村上春樹好き?
ワンポイント
女性同士の恋人関係では「愛着のある時間」だけではその関係は成立しないのだろうか?
若い恋人のトーラとの情熱的な恋に、その激しい愛が無くなったころ終わりを告げようとしていた。トーラが行きたがった「心がない場所」とはそこでなら、ふたりの関係を終わらせるきっかけをつかめると思ったのかもしれない。
マイノリティの恋愛観は異性間でのそれとは違うものなのか?理解するにはその価値観を知らなけらばならない作品であるので、感想文を書くには村上春樹のアンニュイさが好きな人じゃないと勧められない。
【おまじない・マタニティ】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
あらすじ(ネタバレ)
待望の子供が出来た。でも私はトイレでしばらく呆然としていた。
彼とは4か月前に出会い、デリカシーのない32歳の同僚田端が大学のバツイチの同級生を飲み会に連れてきた。
38歳の私筆頭に37歳、36歳の独身女性3人にお前らは相手の離婚歴なんてすでに「気にしてられない」レベルなんだぞ的な言い方をされたが、現れた徳永亮平は清潔感がありお洒落でよく「残っていてくれた」と思った。そして私が彼の心をつかんだ。
もちろん歯石取りや髪や爪の手入れをして2人で会う機会を作り、ユーモアのある会話と話をよく聴き「頼りになる女性」を演出。でも無邪気なところも忘れない努力した。だが決定打は私が猫を飼っていた事で彼は俄然前のめりになり、やって来た翌朝には付き合う事になった。けれど「彼は私のことが好きなのではなく、モイ(猫)に会いたいだけでは?」と不安になった。
私は小さいころから嬉しいことがあると、それと同等の悪いことを考えて不安になる。この性格はネガティブな母に似たのだ。良い事があっても否定的な意見を言い、父は64歳で死ぬまで、母の心底喜ぶ顔を見たことなかったんじゃないだろうか?私は母のこういうところが大嫌いだったのにその性質は自分に引き継がれていた。
彼は私とモイを大切にする素晴らしい人であればあるほど「でもどうしてバツイチ?」とか「ゲスな田端となぜ友達?」とかDV、借金、重婚、詐欺など探偵を雇うのを努力して我慢するほどのネガティブな想像で吐きそうになった。
次に妊娠して「意図的に子供を作ったと思われたらどうしよう」だった。飲み会の田端たちは彼と付き合っている事を知らない。(田端の紹介で男と付き合う事に恥ずかしさを感じたもいたのだ)私は「下衆な母」でこんな風に考える自分がおそましいと思った。
「私は母親になれる?」「彼は喜んでくれる?」「ちゃんと育てられる?」自分がどれに悩んでいるのか分からなくなり「なんだか分からないけど怖い」という感情でパニックになった。
翌日午後から半休をとり病院に行った。病院ではテレビでワイドショーがながれ、かつてスターサッカー選手で後に覚せい剤で落ちぶれすっかり肥え太り全盛期の光は見る影もない若鷺が日本と世界情勢についてのコメントを求められていた。
「弱いことってそんないけないんですか?」「弱い人間でも生きていけるのが社会なんじゃないんですか?」「僕、強い男でないと生きてる資格ないって強がるほど苦しくなってあんなものに手出しちゃって」「でも、自分が弱い人間なんだってはっきり自覚したら生きやすくなったんです。自分の弱さを認めたら、逆に強くなれたんです」
私は「正論」を叫んでいるコメンテーターより若鷺を信じられると思った。私は弱い、弱い人間だ。なんてダサい、そして下衆な人間なのだろう。
看護師に呼ばれて立ち上がると、視界がなんだかクリアになり、薄く張っていた膜がぽろりと取れた。そこには勇敢さはなかった。何もなかった。ただこの下衆いからだで生きてゆくのだという、妙な実感だけがあった。
■おすすめ年齢 中学生以上
■こんな人にオススメ
・心配性な人
・神経質な人
・ネガティブな人
・完璧主義の人
【感想文の書き方・例文572文字】
誰よりも幸せを望んでいるのに、幸せを素直に受け止められないし、悪い方へ悪い方へ考える…心配性はプラスに働くと準備や努力を怠らない努力家と言える人になるのかもしれない。逆にマイナスに働くと何事もネガティブに悪い方向に考え、恐ろしさのあまり行動しない人になってしまう。そう、心配性の悪い面は行動しない理由を無理矢理見つけてしまう事にあるのだ。
物語には30代後半の独身女性が出てくる。晩婚化が進み、結婚しない事も珍しくなくなってきた昨今でもしかして焦りが出る年齢までパートナーを選ばないのは「仕事が忙しい」などの正当な理由づけではないのではないだろうか?本音で言うと女性であっても結婚という生き方に責任を負いたくないからではないだろうか?
女性の方が結婚に関して出遅れると圧倒的に不利だ。だから結婚を焦る女とみられたくないと見栄を張ることになってしまう。見栄を張ること自体も心配性であることも、もしかしたら本当の自分と向き合っていない事なのかもしれない。
「本当の自分はとても弱くて、ダサくて、下衆な人間だ。それでも下衆い体で生きてゆく」と覚悟を決めるという事ではないだろうか?
ありもしないネガティブな発想も見栄も、現実に向き合わずに済む自分自身への目くらましなのだ。弱さを受け入れ等身大の自分を知ることで初めて新しい世界にチャレンジできるのかもしれない。
ワンポイント
ありもしない心配をして動けなくなる人の背中を押す話
心配性の人がいたら、その人に必要なのは「大丈夫だよ」「杞憂だよ」ではなく「そうなるかもね、でも頑張れ」というのが正解。なぜなら妄想に苦しむより、ツライ現実でもそれに対峙するほうが問題が解決するから。
心配性の人の心が楽になる物語。
【おまじない・ドブロブニク】あらすじ(ネタバレ)と感想文の書き方
あらすじ(ネタバレ)
小さなころから、映画が好きだった。
7歳の時、父に連れられ「地獄の黙示録」を見たのが最初の記憶だ。実父ではない父は翌年家を出て行った。
私はいつもひとりで、幼稚園も小学校もなじめず子供が怖かった。先生や大人は私が何を考えているのか探ってくるような気がして心が開けず、母は次々新しい恋をして、私のことなどかまっていられなかった。
だから私の友達は頭の中にいるララやヌヌ、ペペやダダで彼らは声も荒げず暴力も振るわず、絶対に私を愛し、些細な事でも私を祝福してくれた。だから何かあっても黙って周囲を見ていることが出来た。
14歳で一人で映画に行くようになり、17歳で舞台に興味を持ち衝撃を受け、バイト代は全て舞台鑑賞に使い、頭の中でみんなが「素敵な舞台を見たんでしょ?おめでとう」と言ってくれた。私がずっと脳内でしていたことと演劇はとても近しい事だと気づき、舞台を作った人の脳内を見たいと切望した。
演劇が有名な大学に入りたいと母を説き伏せ、演劇部に入った。
「演じる」選択肢はなく、脚本ならと考えたが圧倒的に才能のある人物を目の当たりにして発表できなかったが、彼らを近くで目撃できて誇らしかった。大道具や小道具、進行、宣伝、裏方の仕事をなんでもやり、誰かの景色を共有し、拡散してゆく時間、初めて生身の友達が出来ると私の脳内の「彼ら」はいなくなってしまった。
大学卒業後、仲間と劇団を立ち上げ、母は苛立ち始めたのと再婚するので家を出た。劇団仲間3人で貧乏な共同生活は「生身の友達」と味わう自由は何にも代えがたかった。劇団主催の梨木陽平には才能があり、徐々に演劇界に知れ渡り、その頃私は広報短刀となった。梨木曰く「誰より一番この劇団を愛している」のが私だった。私は彼の才能を信じ、この劇団を大きくしてゆこうと決意していた。
20年たち私は44歳になった。劇団は解体を繰り返したが成功していると言って良かった。生活の全てを劇団の為に費やし、今も独身でヴァージンでもある。「おめでとう」その言葉は私を素通りし、会う人は皆梨木を見ていて、私はいつの間にか劇団の足を引っ張り、梨木に主催以上の感情を持っている噂もあった。梨木は私に気を使い、私は自分の居場所を確保してもらっていると思うようになった。梨木に休暇を取るように言われ一人フィンランドに旅をすることにした。
一人でバーに入り、日本にいる時以上に梨木の事を考えていた時、初老の男が自分で初めて録った自主製作映画のチケットを買わされた。私が「おめでとう」と日本語で言うと彼も私に「おめでとう」とその言葉をくれた。
私の脳内で「ゆきちゃん、おめでとう」と誰にも侵されない、私の場所に彼らはずっと存在していた。この景色は私のものだ。誰とも共有できないものであったとしても、私のためだけにあるものだ。「おめでとう。」私はそう言い続けた。
■おすすめ年齢 中学生以上
■こんな人にオススメ
・人見知りな人
・孤独な人
・寂しがり屋の人
・自分の役割に悩んでいる人
・自意識が強い人
・愛に飢えている人
ワンポイント
「絶対に私を愛し、些細な事でも私を祝福してくれた」
物語は主人公の母親が恋愛体質で子供であるワタシを顧みることがなく、圧倒的な孤独を背負った。自分を慰めてきた妄想の世界を現実に作りさせる演劇そして仲間との交流が一時期は孤独を埋めたが、中年になり厄介者扱いになってきた。
私はいつでも「おめでとう」と祝福される存在でいることを願っていた…と気づく話です。
もしかしたら、本書の中で一番救いがないような物語です。これから先も彼女の現実は変わりそうにないからです。劇団にワタシはこれからも居場所を確保しておかないと更に孤独になりそうな、切ない読後感です。
【おまじない・ドラゴンスープレックス】あらすじ(ネタバレ)と感想文例文
あらすじ(ネタバレ)
私のひいおばあちゃんは信心深い人だった。
特におまじないにご執心で、出かける時カラスが頭上を飛んだり、続けて信号にぶつかるとブツブツ唱えていた。
私の両親は何らかの事情で遠くに住んでいたので、母方のひいおじいちゃんとおばあちゃんに育てられた。おばあちゃんは学生運動や「革命」に夢中で若くして生んだママをひいおばあちゃんに預けた。ママは髪をプレイズ編みで爪と唇はピンクや紫に塗って時々やってきて、私の肌や髪を本当に羨ましがった。本名は樹絵瑠(ジュエル)だがひいおばあちゃんはその名を嫌って「喜恵」と呼ぶがみんなが見るのでやめてほしかった。ママも魔女みたいなメイクや背中がぱっくり開いたワンピースにひいおばあちゃんは露骨に嫌な顔をする。私のパパはアフリカ系の人で私は日本人に見えなかった。
「あんたはそんな顔してるから、何にも染まったらあかんで。目立たんようしとったらあかんもんはつかへん」とおばあちゃんのおまじないは私に「あかんもん」がつないようにするためのものだった。
家にはおばあちゃんからおまじないを教えてもらうために色んな人がきた。中に一人だけ男の人がいて働かず、90近い母親のスネをかじる生活は非難されたがそれ以上に豊富な知識量でイタコ的なことをしてもお金を取らず「女性は我々の太陽や」など鼻浮くような台詞を口にしておばさんたちを笑わせた。
高校生になった時、ひいおばあちゃんが死んだ。葬式で初めて本当のおばあちゃんに会い、その人は美しい女性といった感じで驚いた。「変なものを口にしない」というママのママ(おばあちゃん)はママとちっとも似ていなくてコーラを飲むママに「あんなもの毒よ」と言った。
私はママとママの恋人のジャマイカ人ダミアンと住むようになり、私の髪をブレイズにされ、ジャンクフードばかり食べ、たちまち太った。そして時に爪を紫に塗り、肌を露出した服の私に信奉者だった人たちから避けられ顔をしかめられた。
それでもおっさんは家にやってきて、レゲエの分野でも博識なんでダミアンを感嘆させて「ハーブ」を吸ってとろんとした目で饒舌になった。新学期になり先生に呼び出され、ママに言われた通り「親を呼んでください」と伝え、先生はママとダミアンが論破した。ママのママは出した本が話題になり、テレビで色んな人と討論していた。ママとママのママの相手をバッタバッタと切り捨てて行く姿はよく似ていた。
夏の暑さが和らいだ頃、おっさんのお母さんが死んだ。葬式でおっさんは71歳だとわかり、人目をはばからず泣いていた。ママのママも葬式に来たけど、ママは無視しながらおっさんの背中を毒コーラを飲みながら撫でていた。葬式はおばあちゃんと同じ会館で、おばあちゃんのお墓もあるので見に行くと、おっさんもやってきた。
おっさんは「まじないの縁起なんて自分で決めるもんやねん」「ヨウヨウオンゴーオマモリヨは、ようようおなごをお守りくださいって言ってるねん」「おばあちゃんは裕子(ばあちゃん)と息吹(ママ)とお前が幸せならそれで良かったんや。ふたりも、それを分かっとったと思う」二人は愛された人間特有の健やかさをよく感じた。
「お前がお前であること、見た目は選べへんやけどその容姿やその血やからお前でおるわけやないねん。お前がお前やと思うお前が、そのお前だけが、お前やねん」
葬式が終わってママと裕子さんが二人で「ハーブ」を吸っていた。
■おすすめ年齢 中学生以上
■こんな人にオススメ
・自分のアイデンティティに悩んでいる人
・親がネグレクト、自分勝手
・親が普通ではない
【感想文の書き方・例文408文字】
親が宗教や政治、男などある種の独特な思想に浸りきっていたら?
それを自分も引き継ぐのかどうかは、親との信頼関係で決まるのかもしれない。
ワタシのママもそのママも子供からしたら、少しも母親たる自覚のない自由気ままな社会を逸脱した人だ。産まれた私は合うことのない異国の父親で、その父親にそっくりな為にやや生きずらさも感じたりする。
母は自分の価値観に疑問がないので、自分のルールそのままで子の幸せを願いを押し付けてしまう。家族の呪縛は根が深い。「血は争えない」とあるが、ママもママのママも「愛された人特有の健やかさ」で身勝手に生きている。ワタシも実はひいおばあちゃんにちゃんと愛されていたと気が付くのだ。
おっさんに言われた「お前がお前やと思うお前が、そのお前だけが、お前やねん。」親がめちゃくちゃでも、肌が黒くても、髪がチリチリでも、日本人に見えなくても「私は私」と信念を持てば強く生きれると思えるおまじないをくれるのだった。
ワンポイント
めちゃくちゃな家庭環境に翻弄され、母親のひとときの情事の末に生まれたようなワタシ。
親子代々それぞれ自己中心的でアイデンティティさえ曖昧なワタシは翻弄されていくが、おっさんに「お前が自分で決めろ」的な事を言われ、少しだけ肯定と同意と安心をもらえる。
親子関係の理不尽さを感じた人は、幾つになっても割り切れなければ親を恨み続ける者です。「親を諦めろ」とは書いていませんが、ある種精神の自立を促すような物語です。
全ての物語の共通するのは、どんな境遇でも自分の心を殺すのは自分次第
ときには、自分だけが気づく背中を押してくれる言葉で立ち直れることもあります。