映画「フクシマ50」中学生もわかる!あらすじ・ネタバレ(解説)



3月11日は東北地方太平洋沖地震が起きた日です。

フクシマ50( Fukushima 50)は
東北震災の際、福島第一原子力発電所の対応業務に
同発電所の事故が発生した後も残った
約50名の作業員に(実際は70人近くいました)
欧米など日本国外のメディアが与えた呼称です。

映画本編ではテレビで見たことのある俳優さんが
たくさん出演しますが
全員が緊迫し、疲弊していく姿の演技に
心臓をにぎり潰されるような硬直感を感じる
ノンフィクションです。

3.11のあの巨大地震で起きた原発事故とは何なのか?
あの中で本当は何が起きていたのか?
真実は何か?
苦渋の決断を迫られる彼らが胸の内に秘めた思いとは?

世界の歴史に残し語り継がないといけない事実です。
日本人なら知るべき内容なのです。

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【Fukushima 50】登場人物
【3月11日】東日本大震災発生から津波到達
【3月12日】地震発生2日目「ベント」と総理大臣
【3月13日】地震発生3日目~海水使用の禁止
【3月14日】地震発生4日目~3号機爆発と残った「フクシマ50」
【3月15日】地震発生5日目~死の淵を見た男
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【Fukushima 50】登場人物


主要人物

伊崎利夫(佐藤浩市)
福島第一原発 1・2号機当直長。
吉田とは同じ年で気の知れた関係

吉田昌郎(渡辺謙)
福島第一原発 所長。
現場責任者で現状認識に違いのある
本店と政府官僚に振り回される。

前田拓実(吉岡秀隆)
福島第一原発 5・6号機当直長。
伊崎の高校の後輩で10年間“1号機”に育てられた
「アイツを助けたい」と駆けつける。

大森久夫(火野正平)
福島第一原発 管理グループ当直長。
1号機ベント作業に向かう。

伊崎遥香(吉岡里帆)
伊崎利夫の一人娘。
震災前、恋人の事で伊崎ともめていた。

伊崎智子(富田靖子)
伊崎利夫の妻。遥香とともに避難所に避難し、伊崎を案じる。

内閣総理大臣(佐野史郎)
首相官邸内の危機管理センターにて陣頭指揮を執り
突如自ら福島第一原発へ向かい現場を混乱させる。

浅野真理(安田成美)
福島第一原発 緊急対策室総務班職員
食・衛生・緊急案内・心理的にも作業員たちを
影ながら支え、総理大臣にも屈せずに
総務としてできる事をする。

その他
辺見秀雄(前川泰之)
陸上自衛隊 陸曹長。
消火活動のために派遣されメルトダウン寸前に
吉田に解散するよう言われても
「民間じゃないから帰らない」と現場に残る

ジョニー(ダニエル・カール)
在日米軍 将校。
“トモダチ作戦”を実行する。
 
 

【3月11日】東日本大震災発生から津波到達

午後2時46分
マグニチュード9.0、最大震度7
日本の観測史上最大
「東日本大震災」が発生します。

福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫は
原発の緊急停止“スクラム”対応をし
吉田所長は免震災緊急対策室へ急行し対処します。
やがて大津波警報が発令され巨大津波で
発電機が水没、電気が止まり
SEO(全交流電源喪失)が宣言されました。

【原子力は冷やして制御】
緊急停止させてもすぐに原子炉は冷えません
冷却装置が動かないと高熱の核燃料で
原子炉内の水が蒸発し核燃料が
自らの熱で溶け格納容器を突き抜ける
メルトダウン (炉心溶融)になります。

チェルノブイリ原発事故は格納容器が爆発
4000平方㎞300年人が住めない
「放射能汚染」された土地になりました。

福島がこの原発事故を起こすと
東日本全体が汚染され住めなくなり
日本が壊滅する大事故となるのです

 
未曽有の大震災と危機的状況に日本政府は混乱
アメリカ大使は本国に緊急対応を求め
世界中に震災のニュースが駆け巡ります。
原発から半径3㎞の住民に避難指示が出ます。

【3月12日】地震発生2日目「ベント」と総理大臣

原子炉格納容器の圧力も上がり
爆発しかねない状況
唯一の対応策は「ベント」です。

被ばくの可能性のある原子炉内に突入し
手作業で圧を抜く原子炉を爆発させないための作業です。
「ベント」で出る蒸気には放射性物質が含まれ
それは格納容器が爆発よりも、ずっとマシな事。
輩出される放射性物質がろ過されているので
メルトダウンよりずっと少ないからです。

ですが「ベント」は
世界中で未だかつて実施された事がない
危険な作業です。

当直長・伊崎利夫は自分が行くと言いますが
職員たちも責任感から自分が行くと言い出し
「若い者はダメだ」と年配者に行ってもらうよう
頭を下げるのです。
ですが、その作業にとりかかるのも困難を極めます。


放射線の被ばく線量

人体は放射線にさらされると「被ばく」します
自然界でも微量に放射線はありますし
レントゲン、X線、CT検査でも微量に
放射線を浴びますが、健康に害のない量です。

「これ以上浴びては危険な放射線量」があります。

原子力発電所
「作業での国際的な放射線被曝限界」

・5年間平均で年20ミリシーベルト
(1年あたり50ミリシーベルトを越えてはならない)
ただし
※アメリカ合衆国環境保護庁の緊急時対処要員
「高い財産を保護するため」
100ミリシーベルト
「多くの人々の生命を助け保護するため」
250ミリシーベルト

震災当時の日本の最大許容量は
1年で100ミリシーベルト

原子炉内、2号機は100ミリシーベルトを
超える勢いでした。
多量の放射線はDNAを傷つけガンの
発生要因となります。

ベント作業準備の中
東京本店から「総理大臣が視察に行く」
「安全にお迎えを」と命令が下ります。
それどころじゃない状況
現場と本店・官邸の認識の差に
吉田所長は断るように激しく怒りますが
本店は決定事項と受け付けません。

総理大臣は現場で怒鳴りまくり
「ベントがなぜ進まないのか?」
一方的にまくしたてます。
吉田所長は怒りをこらえて
「こちらは決死隊を作っている」
毅然と対応します。

ですが心強い援助も来ます。
消化任務にあたる自衛隊が到着したのです。
いよいよ作業第1班が1号機「ベント」に成功します。
ですが第2班は放射線量が高く、作業を断念します。

1号機ベントは成功したと判断もつかの間
突然水素爆発を起こします。
ベントで圧力を下げていたので格納容器は
破壊されずに済みました。

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【3月13日】地震発生3日目~海水使用の禁止

吉田所長は1号機をとにかく冷やす為に
車のバッテリーを集め海水を利用しますが
それについても総理大臣から中止を言われます。
吉田所長はごまかして官邸と本店を騙し
作業し続けます。

つぎに3号機がメルトダウンの効能性があり
作業員を一度非難させ、伊崎のいた
中央制御室を5人交代制に移行します。

【3月14日】地震発生4日目~3号機爆発と残った「フクシマ50」

ついに3号機も水素爆発した。
一時40名が行方不明となります。
吉田所長は「生きて帰るわけにいかない」と
死を覚悟しますが、40名に死者は出ませんでした。

この爆発で海水注入のホース全て破損
2号機は高圧で水も入らず爆発寸前の状態

吉田所長は600人いる協力企業関係者
作業に関係のない者に礼を言い
撤退避難を促します。
現場には後に海外から「フクシマ50」と呼ばれる
69人の作業員が残りました。

総理大臣は作業員が「全員逃げ出した」と
聞き違いしテレビ会議で激高します。
「60になる幹部連中は現地に行って死んでいいんだ
覚悟を決めてやれ」
吉田所長、現場は膝が崩れ落ちるほど
力を失くしつつ、心底怒りを感じます。

【3月15日】地震発生5日目~死の淵を見た男

 

本店からは「ドライウェル・ベント」という
格納容器を壊さないために放射能物質を
ろ過しないで放出する方法を取れと支持が来て
吉田所長はベントよりも放射線を多量に排出する
それに苦悩します。

ですがそれもうまくいかずまた衝撃が走り
3号機の水素の影響で4号機が爆発したのでした。

2号機は爆発する事はなく水素が漏れだし
今だ原因は明確でないものの炉心溶融は
なんとか回避できました。

その後、福島第一原発は全て停止しました。

原子炉を冷やさなければなりませんが
放射線量が多くて近づけません。
首相は自衛隊に要請しヘリで空中から水を撒く
作業をさせます。
吉田所長は「セミのションベン程度だ」と
鼻白みます。

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福島原発1号機から4号機は、2012年4月19日付で廃止
地震当日、定期点検のため停止中の5号機、6号機は
再稼働せず2014年1月31日付で廃止しました。
使用済み燃料の取り出し、溶け落ちた燃料の取り出しには
40年かかると言われます。
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疲れ切った吉田所長と伊崎当直長は
2人不潔なトイレでタバコを吸いながら話します。
伊崎当直長「俺たちなにか間違っていたのかな?」
吉田所長「…間違ってはいない」

「俺たちは自然の力をなめていたんだ。
10m以上の津波は来ないとずっと思い込んでいた、確かな根拠もなく。
…自然を支配したつもりになっていた。慢心だ。」

伊崎はやっと避難所の家族と対面でき
アメリカ軍が“トモダチ作戦”の救援物資が届けます。

【2014年春】
伊崎は2013年の吉田所長の葬儀で弔辞を読みました。
翌年の春に伊崎は立ち入り禁止区域になった桜並木で
吉田所長と原発に想いを馳せるのです。(完)

吉田所長は4号機爆発の後も勤務していましたが
食道癌がみつかり2011年11月24日に入院
入退院を繰り返し2013年7月9日亡くなりました。
吉田所長の被曝線量は累計約70ミリシーベルトは
被曝と病気の因果関係は極めて低くく
「職責などからくる極度のストレスが原因ではないか」
と指摘しています。

 


なぜ「fukusima50」か?

東日本大震災の時、世界は一斉に地震報道しました。
2011年日本のGNPは世界3位
日本が地震で経済崩壊した場合の世界への影響は
計り知れません。

チェルノブイリ原子力発電所事故の無責任さを考えると
「逃げるのは仕方ない」と考える人も多いのです。
ですが日本人は逃げずに最後まで戦う姿は
例えるなら特攻隊や切腹のような
日本人のスゴみを感じるのです。

しかも最悪の原発事故を食い止めたのが
国の指導ではなく民間のサラリーマン。
世界は安堵と共に日本人の民族性に驚き
“Fukushima 50”と称賛するのです。

●フランス国際ニュース・チャンネルFrance 24
“Japan’s faceless heroes”
(日本の顔が知れない英雄たち)
●イギリスの新聞ガーディアン
“Other nuclear power employees, as well as the wider population, can only look on in admiration”
(他の原子力発電所に従事する者たちは、他の多くの人々と同様に、強い賞賛をもって見ていることしかできない)
●ドイツのニュースサイト
“Japan aktuell: Die 50 von Fukushima ? die modernen 47 Ronin?”
(福島県出身の50人-現代の47人の浪人か?)
●中国語のニュースサイト
“福島50死士”と名づけた
●2011年9月7日にスペイン皇太子賞(アストゥリアス皇太子賞)
の授与発表。同年10月22日に同賞平和部門を
警察、消防、自衛隊の現場指揮官ら計5人が代表として受賞した。


感想まとめ

fukusima50は実話に仮想の人物を当て込んだ物語です。

東電の原発の問題の批判はなくなる事はありません。
故郷を奪われた人々
東電に怒りを覚える人がいるのも当然です。
福島原発廃炉作業にまだ何十年もかかる
「死の遺産」になったからです。

ですが、日本が「まだその状態」でいられる事は
「救いがある状態」なのです。

人は不幸に見舞われると「犯人」を決めつけたがります。
当時、関わった作業員たちは今も贖罪の念を
持っているとも言います。
ですが、本当に彼らは「戦犯なのか?」
「あの時何があったのか?」
当時の責任者、吉田所長にインタビューし
世間のバッシングや新聞捏造報道を
くつがえす為に著したのがノンフィクション作家の
門田隆将さんです。

作業員たちは原発マンである仕事に
誇りを持っています。
原発が世に与える恩恵も、恐ろしさも
知り尽くしているのが彼らであり
放射能にさらされて、死ぬ覚悟で
作業をやめなかった勇気・責任感・覚悟は
同じ日本人には伝わらないのに
多角的に考える海外からは評価と驚きをもって
問われるのです。
「どうしてあなたたちは戦えたのか?」

作者の門田隆将さんはあとがきで
「戦後我々は自分を大切にする生き方を選んだ。
福島原発で戦った人々を見ると、戦後の日本にも
人のために生きようとする人が沢山いるのではないか」
という思いを書きました。

福島原発も一企業ですから女性社員もいます。
総務班の浅野は作業員の安全確保、食事・衛生
緊急連絡までこなす「何でも係」に徹し彼らを支えます。
緊張と怒り、恐怖で疲弊した作業員や吉田所長たちの
母、妻のように一瞬の安らぎをあたえます。
作業員ではない総務のエピソードが盛り込まれたのは
どんな仕事・役割にも命懸けで働くことが
どれだけ重要なのか?垣間見えます。

“fukusima50”は「仕事の責任感とは何か」
「日本人の持つ魂とは何か」を知り
日本人としての誇り高さ、アイデンティティを
思い出せる作品です。


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