【母性(映画化・小説)】あらすじネタバレと感想「愛能う限り」の意味

内容紹介(出版社より)
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。
世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。
……遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語(ミステリー)。 

「映画」【母性】は人気作家・湊かなえ氏の累計発行部数90万部を超えるミステリー小説です。
2022年秋に映画公開予定で、監督は「余命1ヶ月の花嫁」「さよなら歌舞伎町」「娚の一生」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の廣木隆一氏です。

こちらでは
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【母性】登場人物と小説・映画のキャスト 
【母性】原作あらすじネタバレ
【母性】映画・小説おすすめ度と読書感想文「愛能う限り」の意味

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【母性】登場人物と小説・映画のキャスト


母・ルミ子:戸田恵梨香
短大卒業後、絵画教室で知り合った母が気に入った田所と結婚。母親(祖母)と友達親子のように仲が良く慕っている

娘・清佳:永野芽郁
ルミ子の娘。母の愛情が自分に向いていないことを感じています。

田所哲史(たどころさとし):三浦誠己
父。ルミ子と絵画教室で知り合い結婚。有名大学を出たが学生時代に闘争などやり、現在は鉄工所に勤める

おばあちゃん・ルミ子の母:大地真央
ルミ子を愛し、清佳を慈しむ愛情の深い人

【田所家】———————–
義父
夫婦でいつも口論している。ルミ子にそう嫌がらせはしない

義母:高畑淳子
夫婦でいつも口論するが、最終的にはルミ子に八つ当たりやイヤミ、意地悪をする

律子(りっちゃん):山下リオ
田所の妹で次女。都会の大学卒業後、実家に戻り引きこもりになる。

森崎憲子
田所の妹で長女。隣町の名家・森崎家に嫁いだが息子の奇行が目立ち、実家に頻繁にくるようになった

森崎英紀
憲子の息子(4歳)成長するにつれ、行動が乱暴になり発達障害を感じられる
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中峰敏子
ルミ子が流産した時、助けてくれた近所の人。敏子主宰で手芸教室をしている

彰子
敏子の姉で占いができるという。

佐々木仁美:中村ゆり
絵画教室の知り合い。田所哲史は彼女の同級生で結婚に反対する。

中谷亨:高橋侃
清佳の高校時代の彼氏

中谷春奈
亨の2歳下の妹でフワフワしたイメージの子

女教師
女子高生の不審死のニュースで、母親のコメントにひっかかり「母性」について考える

国語教師
女教師の疑問に答える。わりと間のいい先輩教師。

牧師:吹越満

—-原作者—————————————
湊かなえ
「告白」
「夜行観覧車」
「Nのために」
「山女日記」

——【主題歌】————————————–
JUJU 「花」

—-【監督】————————————–
小泉 徳宏
「ヴァイブレーター」
「余命1ヶ月の花嫁」
「軽蔑」
「さよなら歌舞伎町」

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【母性】原作あらすじネタバレ

——第一章 厳粛な時————————————
【母性について】
10月20日午後6時ごろ、県営住宅中庭で、女子高生(17)が倒れているのを、母親が見つけ、警察に通報した。警察は4Fにあり自宅からの転落として事故と自殺の両方で原因を調べている。母親は「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて信じられません」と言葉を詰まらせた。

【母の手記】

私は愛能う限り、娘を大切に育ててきました。でも神父様は「なぜですか?」とお尋ねになりました。
よくよく考えたらおかしな質問です。「なぜ」は悪いことに対して用いられるのではないでしょうか?神父様は「自分の心に向き合い、溢れ出る言葉をそのままお書きなさい」と—

 
短大卒業後、同僚に誘われ入った絵画教室で田所哲史と知り合い結婚します。
同じ教室で田所の同級生、佐々木仁美からは彼が学生運動したり、親も偏屈で苦労するから結婚をやめるよう忠告されました。
私は彼の絵は暗くて嫌いでしたが、その暗く赤いバラの絵を母が絶賛したので、その絵が欲しくて近づくと交際に発展し、「バラの絵」と「リルケの詩集」をプレゼントしてくれたり、彼の思考が亡き父とも似てる部分があったので結婚しました。

「美しい家」を作りたいという田所の言葉から、私は花の咲き乱れた家で夫婦と子供、私の母が笑い合う姿を思い浮かべました。
結婚後は田所の親が「同居はする必要ない」と家を用意してくれた高台の家で専業主婦になり、三食丼とハンバーグしかパートリーがないので母に習いに行き、料理は田所は褒めなくとも、母が「哲史さんに愛されているのね」というので満たされました。

半年後に妊娠出産し、新しい生き物にすべてを奪われる不安で母を呼ぶと「自分の命がより未来に繋がること。、私という存在があったから歴史の中で点でなく線で存在できる。こんな素敵な幸せなことはないでしょう。」と言われ不安が消えました。
生まれたばかりの赤紫色のかたまりの子に母ががっかりするのでは?とか「お母さん」とは私の母たた1人のための言葉だから用いたくないと思いましたが、母にほめられ頭に手を乗せられ、人生で一番幸福な日でした。
本当は、不幸の始まりであったのに。

一晩明けた赤ん坊は美しい顔になり義母や義妹が「田所の顔だ」とか名前も勝手に決められた不快感も母が「団子っ鼻の一族が…わたしやあなたと同じ顔をしているっていうのにねぇ」と言い「私の優秀な親友2人から1文字ずつ取った名前」と言われ救われました。
母乳を嫌がる娘は物心つくまえから拒否された気がしましたが、母がくれたアルバムに「リルケ詩集」の文章を添えたり、母と一緒に洋服を縫ったり、そして私のように、誰からも愛される子になるように「他人を思いやる心」も教えました。
おかげで娘は私が一番望む答えを返せるようになり、初めて義母に褒められ、母からも「あなたは本当によくがんばっている。お母さんそれが一番嬉しい」思い描いたままの「美しい家」幸福を噛み締めていました。

神父様 ―。
なぜ、私が娘を、愛能う限り大切に育てたのか。本当に答えが存在するのでしょうか。もし答えをお存じなら教えてください。

 
【娘の回想】

愛されていない子どもには、あそびがない。
それは他者から「まじめ」という誉め言葉で表現されるので、欠けているものに気付こうとしない。だが答えがわかる頃には、大概が手遅れになっているものだ。

わたしは、特に大人から感じのいい子、行動や言葉は喜んでもらえているか?を気にする子に育った。
中学の時はバス停で同級生に他の客のために騒ぐのを制止しイヤな空気になった。間違ったことはしていないのに「おまえの言っていることは正しいけど、情がない」と付き合って間もない中谷亨に言われた。泣きながら遊びがないので極端な例をあげて反論すると、彼は「まぁいっか」と頭を搔きながら苦笑した。

でも私にとっては「許される=愛される」こと。愛されるためには正しいことをしなければならないし、私が暗闇の中で求めていたのは、無償の愛、だ。

もし無償の愛に包まれて育ったら違ったのか?
高台の家での記憶では2割は休みの日には私をモデルにカンバスに向かう父と、それをカメラに撮る母。そして夫婦でリルケを唱和する。
でも実際の8割は、父は鉄工所勤務で作業着にカブで出勤し、シャツとパンツでソファー転がりナイターを競馬新聞とビールと栄養ドリンク片手に見てて、母の料理のレパートリーは少なく、慈善団体から買わされたクッキーにカレーをかけて出されたりした。
日曜の午後に「田所食堂」といって父が母とわたしに軽食を作ったり、母が作ったおそろいの服で“祖母の気に入るセリフ”を教わりながら行くが、結局母が言ってしまったり・・・それで“母が望む言葉”を伝えられるようになったが、本当に祖母からは無償の愛を感じ「おばあちゃん、大好き」と言っていた。
だが、母にとって私の存在は、母の描く幸せの言う絵のほんの一部、小道具に過ぎなかった。

愛という言葉を使いたがるのは、愛されていない証拠だ。愛していない証拠でもあるのだろうか。 そんなことは、まあいっか。わたしに欠けているあそびに部分は、亨の口ぐせ「まあいっか」にした。今更気付いてももう遅い。すべてを崩壊させたのはわたしだ。

——第二章 立像の歌————————————
【母性について】
高校教師の私は、女子高生のアパート転落事件の「母親のコメント」が小骨のように引っかかった。
職業柄たくさんのバカ親と接する機会は多く、世間一般の女、メスには母性が備わっているのが当然とされるのは本当にそうなのか?母性など本来存在せず、学習で形成されるもので、母性がないと指摘されると人格否定のような錯覚に陥り必死に補おうとする。
10歳上の国語教師の前任校の生徒で、この人はごく稀に、気付かずに重要なことをさらりと口にするので、この人と話したいと思った。

【母の手記】

神父様は「辛かった出来事こそ、自分を偽ることなく書き記すように」とおっしゃいました。すべてを否定されたような気持になり、ノートを破り捨ててしまいたくなりました。
この手記を書く目的は、私がどれだけ娘に愛情を注いでいたかを知ってもらうためと認識しています。まずは神父様に。そして、私に非情の目を向ける世の人たちに。

 

結婚7年、私が31になったばかりで娘があと半年で小学校に入学するという頃のこと。
夜勤のある田所がいない日の夜は、怖いので母に泊まりに来てくれることになりワクワクする日になりました。
一緒に入学準備に母が袋などに小鳥の刺繍をしたのに、なんと娘はキャラクターものを頼み母を否定したように思え、この子は自分の分身と思えませんでした。なのに母は気をつかってキティちゃんの筆箱を買ってくれたのです。「何遠慮してるの。たった一人の宝物じゃない」の言葉にそれは私のことか、娘のことなのか疑問を抱きました。

その日の夜、台風が来る予報でした。
就寝後、私が雨音が尋常じゃないと気がついた時、裏山が崩れ、土砂で家が押しつぶされ、一緒に寝ていた母親と娘がタンスの下敷きになっていました。
助けを呼びに行くまえに、居間のろうそくが倒れて出火し、母は娘を助けるよう懇願し「親なら子供を助けなさい」と言われても母の手を離すことができず「イヤよイヤ。私はお母さんを助けたいの。子どもなんてまた産めるじゃない」・・・私は何か間違ったことを書いているのでしょうか?

「お願い、お母さんの言う事を聞いて。わたしは自分が助かるよりも、自分の命が未来に繋がっていく方が嬉しいの。だから」「あなたを産んで、お母さんは本当に幸せだった。ありがとう、ね。あなたの愛を今度はあの子に、愛能う限り、大切に育ててあげて」

その後、記憶は曖昧となっていますが、娘を助け出し外に出たのだと思います。
母の命と引き換えに娘が助かったことを知っているのは、私だけです。
 

愛能う限り‥‥答えがわかりました
私が娘を大切に育てたのは、それが母の最期の願いだったからです。その私が、娘の命など、この手で奪えるはずがないではありませんか。

 
【娘の回想】

美しい家族の絵は、炎により焼き払われ、たった一人わたしに「無償の愛」を注いでくれたおばあちゃんとの永遠の別れでした。おばあちゃんの記憶は温かい手の温度の記憶で、だから中谷亨を好きになった。

高一の野外合宿でバンガローで男女入り乱れて寝ることになり、余っている者が私と中谷亨がとなりになった。
お互いほとんどどんな人かもわからないクラスメイトだったが、寒くて寝付けず寝返り時に中谷亨の足に、冷え切った私の足がぶつかり、彼がどうにしかしてやった方がいいのでは?と私の布団の中に足を入れて挟み温めるうち彼女のような気分になったとかで告白され付き合うことになった。

なんとなくその行動も私の一番幸せな記憶と一致したり、わたしを見てくれていて、私の持ち物に小鳥が多いと気づくと、自分で小鳥を描いた鏡をプレゼントしてくれたり、おばあちゃんの良い思い出だけ話すと「会って見たかったな」と言ってくれた。

両親はケンカや言い争いはなかったが、おばあちゃんがいない時以外は笑顔を見せることはなかった。
あの日は台風がくるのでいつもと少し違う行動のせいで、鮮明に想いだすことができる。
おばあちゃんと一緒にタンスに押しつぶされ、朦朧とした意識の中、母がおばあちゃんを救助しようとしてるのは感じたが、母の悲鳴が響いたのはおばあちゃんが息を引き取った瞬間ではないだろうか。
おばあちゃんの死因は「圧死」だと思っていたが父方の祖父母は「焼死」と言い、両親は死因についてもあの日の出来事についても語ることはなかった。あのとき、わたしが死んでいればよかった…母から殺したいほど憎まれる、というよりは。

—–第三章 嘆き————————————
【母性について】
女性教師と国語教師は『りっちゃん』という夜は飲み屋になるたこ焼きで、事件について話します。
国語教師から「飛び降り自殺になぜ興味をもつのか」と問われ、それを語る上で女性教師は身の上話をするかどうか、食べながら考えることにします。

【母の手記】

父も母も失い、私の家族はこの世に誰もいなくなって一人ぼっちになりました。
あなたはお日様のような子。
母は私をそんな風に言ってくれましたが、母こそが私の太陽だったのです。母が太陽なら私は月…人工の灯りでもいい、誰かもう一度優しく照らしてくれないか、と。田所と娘は共に生活をする者の意味では家族ですが、私にとっての家族は共に喜びを分かち合うもののことを言うのです。

 
3人は田所家に移り住むことになり、義母からは遠回しに同居を言っていたのに戻ってきたことに嫌味を言われました。

田所家では夫と娘はすっかりくつろぎ、私だけが息をひそめ、体調が悪くても家事に畑仕事とあらゆる作業をこなし、辛くて母の49日の朝、庭の木で首を吊って死のうとしたら12月なのにしだれ桜に一輪桜が咲いたのは母だと思い止まりました。
3年過ぎ、次女・律子が大学を卒業して戻るため離れを義母に作ってもらえました。
でも生活に変化はなく食事の席で毎度義両親が口論し、意見を求められても遠慮して答えられないと短大卒をバカにされ、夫も律子も親を無視し、最終的にはわたしへのイヤミで終わります。
それでも少しずつ土台を固めて行けばいいと思っていたのに、娘は小学生なのに正論でむしろ私と同じ意見で論破するのです。
「生意気だ」と一括されてもひるむことなく更なる正論と事実で抗議して火に油を注ぎに行く子どもだったのです。

ある日、律子に明らかに金目的の男・黒岩克利がいることに気づき、わたしに生家を売った金を貸してくれと来たのです。生家は庭の手入れもする条件で仁美さんに貸していてそんなお金ありません。
結局、義母にバレ、わたしと娘だけ蚊帳の外の家族会議をし、もう近づかないよう一筆書かせ追い出し、律子は部屋に閉じ籠るようになりました。
収穫期に、娘に律子の見張りをさせましたが、娘が目を離した隙に律子は家を出て行ってしまいます。義母と田所が大阪で律子が黒岩とたこ焼きを売っているところを発見しますが、「死んだ者として扱ってほしい」と言われ、義母は寝室に籠り泣き続け、律子との交流は断たれました。

律子を逃がしたので娘の10歳の誕生日はプレゼント以外特別な事はしませんでした。その反省に頭を撫でようとしたら拒否されました。
母のように眠る娘の頭を撫でようと触れた瞬間、無意識に手を強くはじいたのです。

でもあの日以来、娘に触れるのも触れられるのも避けていました。
私には母親がいないのに、この子にはいる。母を亡くした私の気持におかまいなしに甘えてくる…娘に握られた手を振り払うこともあり、その罪滅ぼしだったのに…あの子は私を拒否しました。

義母は「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」と何年も恨まれました。

何故、私のせいなのでしょう。あの子の罪は私の罪―では、母が死んだのも私の罪なのでしょうか

 
【娘の回想】

親に愛されない子どもが、他人から愛されることなどあり得るのだろうか。

食事も風呂も温かい布団もきれいな洋服も与えられたけど、中谷亨はそういうのは愛と呼ばない、体裁を整えているだけと言った。
ある日試験明けに入った映画館で寝てしまい、亨が顔にかかった髪をよけようとした時、力いっぱい亨の手を弾いてしまった。
私は他人触れるのも触れられるのもなれていないのは、わたしが母に触れた時「触らないで。あんたの手は生温かくて、ベタベタして気持ち悪いのよ」そう言われたから。
自分から触れたりできる子は自分が拒否されるとは思いもよらないのだろう。

父の実家で暮らすことになり、いつも眉間にシワを寄せている祖父母に子ども心に不満が募るばかりだった。
母を使用人のようにこき使い、食事がまずいと嫌がらせをし、そのくせ衝動的に何十万もする物売りからツボなどを買ったり、寺に何百万もお布施する。だが生活費はすべて父がまかなうのに、外には母に聞こえるのに、金目当てで戻ったという。
何よりの不満は父が祖父母に何も言わなかったこと・・・わたしが母を守ってあげよう。その思いで一人祖母立ち向かっていった。
だが、祖父が半額の婦人用セーターを母に買った日から、祖母のいやがらせが始まった。反撃して祖母の分が悪くなると「家から出て行け」と言われた。そんな夜は母が「なんで、なんでなの…」と泣きながら寝ている背中や脇腹を拳で殴られ続けた。

父は気づいているのに何もしてくれない。祖父のたばこをコソ泥のようにかすめに行く父。夢の家の焼失で父とも別れたのだ。

大学卒業後、律子おばさん(りっちゃん)が戻り、祖母が離れを作り、自室ができて拳を受けることもなくなった。
昔は母は風呂上がりの顔の手入れ中、振り向いてハンドクリームを塗ってくれたが、長く話しかけ続けると「もういいでしょ、あっちいきなさい」と追い払われるのだが、真子ちゃんというお母さんが水道屋の男と駆け落ちした子の話をするときは長く話せてほめてもらえた。思えばりっちゃんは焦点の定まらないカワイソウな人な印象が真子ちゃんに似ていると気が付いた。

ある日、りっちゃんをめぐり家族会議となり、父が相手の男を軽蔑する口ぶりが祖母の話し方そっくりで、それ以上に真子ちゃんをからかう下衆な子とニュアンスでこの人の子供なのかと情けなくなった。
収穫日にりっちゃんの見張りが必要で祖母は私に見張りさせることに難色を示したが、「見張り出来たら誕生日会に真子ちゃんを招待していい」を交換条件に頑張るフリをした。わたしは早い段階から逃亡に協力することにしていたし、りっちゃんから3日で戻ると言われたし…でも戻ってこなくて、祖母は泣いていたけど、好きな人と一緒なら楽しいのではないか?わたしも母とたこ焼きを売るのを想像するのは、とても幸せな事だった。

誕生日会はなくなったけど、真子ちゃんは生意気にも「今日から別の子と遊ぶ」と言われ母と長い会話ができなくなるのが寂しくてトイレで泣いた。私のたった一つの望みは、母に優しく触れてもらうことだった。よくがんばったわね、と頭を撫でてもらいたかった。そういう愛がほしかった。

—–第四章 ああ涙でいっぱいの人よ————
【母性について】

たこ焼き屋でりっちゃんが料理の注文を訊いてきたのでおまかせを頼んだ。
最初の豚バラのもやし炒めをたべながら、なぜ興味を持つのか聞かれ「母親の証言にひっかかるところがあったからです」と答えた。

【母の手記】
 
手を払われ母としての自信を無くしかけた時、子どもが他にもいたらと考えました。田所も男の子を欲しがっていました。

義母は意気消沈し、寝室に籠るようになり翌年、義父があっけなく亡くなりましたが忙しさは変わりません。ですが6年後の母親の命日に妊娠が発覚します。
ところが、名家に嫁いだ長女の憲子が表向き「ふさぎこんだ母が心配」と4歳の英紀を連れ毎日来るようになったのです。
嫁ぎ先の森崎家から英紀を病院で見てもらえに、母娘で憤慨しましたが午後には英紀に疲れ、わたしが意外と上手に扱えるので、毎日のように通うようになっていました。

夕食の支度を手伝う娘がいると英紀は機嫌が悪くなり、律子の件依頼、義母に口答えもせず、憲子と英紀にも文句は言わないものの、娘が気を許せる子じゃないのを感じ取ったのでしょう。
娘以上に手をかけて英紀の世話をしたのに、憲子は私の妊娠を歓迎しなかったので、田所が初めて反論しました。
義母も憲子の子は森崎の子と厳しく言い放ったので、うれしくて胸がいっぱいでした。

今度こそ、私の気持に寄り添ってくれるような子が生まれてくるのではないだろうか。母のような…。そして生まれる子は女の子だろうと確信し「桜」と名前も密かに決めていました。

安定期に入る一週間前に軽い出血で絶対安静を言い渡された私は、娘に家事をたのみ休んでいると、田所が作ったチャーハンを持って来て、娘は温かい牛乳を持って来てくれてうれしくて「こんなしっかりしたお姉ちゃんがいてくれて、赤ちゃんも幸せね」と誉めたのに厳しい顔で押し黙っていたので、鏡台のハンドクリームを塗ってあげました。
また手を払われたらという恐怖はありましたが濡らせてくれて「毎晩、食器洗いしてくれていたのに、気付かなくてごめんね、赤ちゃんも撫でられるとビックリしちゃうから自分用の買ってらっしゃいと千円握らせました。
でも娘はいってきますとだけいい、いつのまにか陰気な子になった。娘は私の気持を汲み取ろうとしないと少し不満でしたが、桜が周囲の人を変えてくれると思いました。

夜になり憲子は英紀を離れに連れてきて、散歩してくれと頼みこみ、部屋にあがりこもうとした英紀に娘がキレて「やめな!この、バカ」と頭をぶったのでわが目を疑いました。しかも「黙れ、バカ親。だいたいこんな時までうちに来るなんて、頭おかしいんじゃないの?ガツガツ食べて、昼寝して、また食べて。豚と同じ。今日の餌はもうやったんだからこのバカ連れて、とっとと帰れ!」
私はその汚い言葉に絶望し、怒るよりも先に英紀と散歩に出かけてしまいます。
しかし道中、娘からお腹に赤ちゃんがいることを知らされていた英紀は私を突き飛ばして先に帰ってしまいました。

私は流産し通りかかった人に助けられ、気が付くと病院のベットで田所と娘はただ涙を流していました。
憲子と英紀が来ることはなくなったのは罪悪感ではなく娘が天ぷら油で英紀に火傷を負わせたというのです。手の甲に水膨れができた程度でしたが、そんなことする子ではないと、庇うこともできませんでした。
憲子さんの旦那が大阪で仕事を仕切りなおすおのことで、元の生活にもどったけど、桜を失った喪失感で覆いつくしました。

娘が英紀に赤ちゃんの存在を打ち明けなければ…でも私は決して娘をうらんだりしません。
母の血を未来に繋いでくれるあの子を、大切に思わないわけありません。

 
【娘の回想】

温かい手の記憶には、亨の2つ下の妹、春奈ちゃんの手もあった。
妹がクッキー作りにハマってると、家に招待されることになった。亨の家は高台の家に似ていて亡くなったおばあちゃんの家の近くだと気づいた。

春奈ちゃんは大切にされてきたんだろうなと感じるふわふわした空気をまとう女の子で、柔らかい手で手を引かれると鼻の奥がツンとなりそうな感触だった。亨と春奈ちゃんのやりとりを見て、きょうだいがいたら今ほどに母の愛情を求めていただろうか?と考えた。
小学校6年の時、母の妊娠に「きょうだいが出来たら私などもう必要とされなくなる」とか「英紀のせいで年下の子供は鬱陶しいだけの存在」となっていた。

憲子おばさんはまるまると太りささくれ1つ無い真っ赤なマニュキュアなのに、英紀のせいで人間扱いされてないというが、オマエの方が母を奴隷扱いしているではないかと喉元まで出たが、母が倍返しされるのでグッと呑み込んだ。食事し、ごろごろとテレビを見て、夕食を食べて帰る。
週末に家族全員で畑に行く時、祖母が家に籠るので最初は適当なモノを作っていたが、憲子おばさんが来るようになってから揚げ物をリクエストされた。
おそらく太り過ぎの英紀を森崎家が心配していたのだろうが、おばさんが作ればいい言ってみると「恐ろしい子だよ、おまえは」を言われるので、揚げ物をよく作るようになった。
しかも英紀がいたら休めないと300円渡されてスーパーに連れて行くと、300円以上のものをねだるのでダメだと頭をはたき、ほおっておくとあきらめる。おばさんはぐずる英紀を見て私を責め、サル以下の動物のクセに自分は私の母から愛されていると信じている。

母の妊娠に最初心臓をつかまれたような気がしたが、祖母と憲子おばさんが嫌味を言って、父が珍しく反論したのでこれほど父を頼もしく思えたことはなかった。
父が言った「跡取り」との言葉が響き祖母も農作業に出るようになり、憲子おばさんに怒りはあるが、母と赤ちゃんのために家の家事をがんばっていた。

母が絶対安静になり、それでもおばさんはやってくる。
ひとりじゃ大変だろ、と父がもやし炒めを作ってくれコッソリもどったが、祖母と憲子おばさんいには「これだけ?」と文句を言われ唐揚げを作り、母にも栄養が足りなかったか?と牛乳を持って行った。

母は優しい言葉をかけてくれ、うれしくて涙がこみあげてハンドクリームも塗ってくれ、ずっと焦がれていたことがふいに叶ったうれしさ8割、母の手がゴツゴツになっている悲しさ2割の涙があふれそうだった。
そしてハンドクリームを買いなさいとおこずかいをくれて、スーパーに行くところを英紀に見つかり仕方なく連れていき、その時にゆっくり話せば理解できるだろうと母の妊娠を教えたがまったく理解できていなかった。

昼寝の後、かつてないほどの癇癪を起し、英紀が母のもとに行くのを母が断れないとわかっているのが許せず「やめな!この、バカ」と強く頭をはたいた。
憲子おばさんが私を責めたけど、何も間違ったことはしていない。血がつながっているから言ってやるんだと罵倒したが、母が散歩に連れて行くとものすごく悲しそうな顔でいうので、母は私を責めているのではないかと思った。
しばらくして、英紀だけ先に戻り近所の人から救急車を呼んだと電話があった。私は自分を責めた。

翌日も憲子おばさんはやって来て、父に「どのつら下げてきた」と言われ一瞬シュンとしてもすぐに流産を英紀のせいじゃないと言い出した。
怒りで血液が逆流するような感覚のころ、英紀が火を止めた油の中にあったウィンナーの天ぷらを、手で取ろうとしてイタイ、イタイとわめく声が聞こえた。私は手を水で冷やしてやりながら「死んだ赤ちゃんも、おばちゃんも、もっと痛かっただろうね」とささやいた。
母がわたしの手にハンドクリームを塗ってくれることは二度となかった。

—–第五章 涙の壺—————————-
【母性について】
「愛能う限り、って何なんでしょうね」
「大切に育てましたってことじゃないのか?」
「じゃあ、そう言えばいいのに」
喉の奥に小骨が刺さったような感覚をどう伝えればいいのだろう。
話していくうちに国語教師は「おまえが言いたいのは、後ろめたい思いがあるからこそ、大袈裟な言葉で取り繕っているんじゃないか、ってことだな」に女性教師は「そうです」とうなずきます。
そして女教師はこの母親と娘の関係が気になることと、できれば当事者に会って「愛を求めることについて」話してみたいと思った。

【母の手記】

世の中「家族」という言葉を神聖化しすぎではないかと私は思います。家族こそが強い絆で結ばれており、いざというときに助け合える存在なのだ、など、どこの家庭を例にとって言っているのでしょう

 
桜を失い、私を救ってくれたのは、中峰敏子さんでした。
英紀に突き飛ばされた際、救急車を呼んでくれたうえ、大つぶのぶとうを持ってお見舞いにも来てくれ、「子どもを守れなかったと自分を責めてはいけない」に初めて声を出して泣くことができました。
娘も中学で家事もできるし敏子さんの手芸教室に週1で義母には“婦人会”と言って通い始めました。とても楽しく、いつの間にかそれぞれの家庭の悩みになり、皆、親元から離れた名士に嫁ぎ、家族の誰かを亡くしている共通点もありこの出会いをくれた敏子さんに感謝しました。

田所の鉄工所は倒産してもおかしくない状態で、転職して出て行く人もいましたが、本人はそんな必要ないというので心配せず、義母のほうが妄想じみたことを言うようになりましたが、自分でお手洗いに行けるうちは大丈夫と聞き、ほおっておきました。

1年後、敏子さんは姓名判断ができるという姉の彰子さんを連れてきて、皆、軽いノリで占ってもらいました。
わたしだけ彰子さんの占いは核心に触れたものだと驚き、母と同じ感性を感じなにより娘を炎に例えたことにおどろきました。娘の名前がちがえば…そう思ってもすべては手遅れだし、弱ってきた義母は最近、私を頼るようになりようやく私を家族として受け入れようとしている。きっと母も見ていると信じていました。

そんなある日、敏子さんから皆に内緒でと、映画に誘われ行くと彰子さんもいました。
ランチ時に占いの話になり、私は流産後夫が触れてこなくなったこと、娘がますます私に身構え、目を合わせず、言葉を詰まらせるようになったことを話しました。教室で作った小物を、これくらいの年になれば自分も作ってみたい気持ちを抱くはずが、全くその血を受け継いでいないのが歯がゆくてたまりませんでした。
そして母の名前を見てもらった時、まぎれもなく母の言葉だと思える温かいメッセージを聞かせてもらい涙しました、しかし後日、2人に呼び出され「私の不幸はすべて娘に起因している」と言われ娘の悪いオルグ(気)を直す高価な薬を購入し、娘に飲ませました。
薬の効果は目に見えて現れ、娘の成績は上がり、委員会に立候補するほど積極的になります。
しかし娘は義母の前で薬を飲み、敏子さんは昔から水晶や印鑑など高額で売りつける詐欺師だというのです。
「流産に付け込まれたんだろうが、腹の中に2,3か月いただけの赤ん坊に魂もなにもあったもんじゃない、あんたと同じ経験した女なんて、この世にごまんといるのに自分の意思で立ち直れてなくてどうするんだ」
「詐欺師につけこまれるのは、家族としての結束が弱い証拠だ…この家に残ったもの同士、助け合っていこうじゃないか」

日ごろ義母と目も合わせない娘がなぜ余計なところで結束するのか、田所の血を濃く受け継いでいるからか。

敏子さんたちと関係を断たざるをえなくなりましたが、彰子さんの力は本物でした。義母に気付かれなければ、この先に起きる不幸を食い止められたかもしれないと悔やむのです。

 
【娘の回想】

わたしが中学に入った頃、母が中峰さんの手芸教室に通いだして、楽し気に作品を見せてくれて、夢の家での母が戻ったようで火曜日が待ち遠しかった。
私は母に喜んでもらうことをいつも考えていたが、わたしの愛はそれと感じてもらえず、守ることばかり考えていて、「母が田所家から出る」のが答えで、それは悲しかったが、母が帰るまで祖母の言いつけを聞くために母屋にいることが一番喜ばれていたから、手芸品をくれたのだと思った。

その頃地元の一大産業の父の鉄工所があぶないのは、親が務めている子もいて中学でも話題になり、父に尋ねたら「組合があるから簡単につぶれない、律子の部屋にある資本論を読め」と大学時代の父の本だというインテリア化したマルクスを父と取りに行った。

部屋には直径15㎝あある大きなガラス玉が金色の座布団の上に置かれ、父が祖母の部屋に持って行き聞くと、祖母が血相変えて「お守りだよ」とオルグという気を見る事ができる先生から買ったもので、律子の状態がわかるという。
父は呆れて「騙されたんだよ」と言ったが“おふくろ”ではなく“母さん”と呼び、上手に持ち上げ祖母が律子に信頼されているのだから何かあれば戻るし、便りがないのは元気だからだとあっという間に説得した。

どうして祖母に対していつも黙っているのか?母になぜ教えないのか?父に聞くと
祖母は「ガラス玉が相当高額で、またカモにされる可能性があることと、いざとなればおだてればいいから」で母は「ママには自分流の信念みたいのがあるから、やらなくていいと今さら言われたら人生否定された気分になるだろ」
つまり、母のやっていることを否定せず、いつもありがとうとか言う方が嬉しいという事らしい。父は家の事から目をそらしたわけではなかったが、ママには「言わなくても、わかってるだろ」と今になって父もわたしも感謝や愛しているのかを言っていなかったのが間違いだったと気づいた。

一年たったころ、母はニキビの薬を買ってきてくれたが、逆に悪化し、テストの結果が悪ければ間違えた数だけぶたれて、いい点が取れたらおじいちゃんの血だと満足した。クラス委員やボランティア活動をしないのかと言われ気乗りしないがはたした。
母はよその子を褒めながら私の気に入らないところを羅列してけなし、そのたびに自分が消えていくようだった。
それでも母に愛されたい。たどり着く先はいつも同じだった。

ニキビの薬は火曜だけミルクに砂糖と混ぜるとおいしいと飲んでいたら祖母に「これは大豆だ」と気づかれ、母が中峰さんに頼んでいた事を話した。
母は手芸教室を一年半でやめた。祖母に何か言われたのか疑念もあったが、最近は母に頼ることが多いので前より優しくなっているし、母を守る必要がなくそれも寂しかった。
いつも私は母を求めているだけで、母が私を愛してくれない理由に気付けなかった。

—–第六章 来るがいい、最後の苦痛よ————–
【母性について】
女教師は「本心を知りたいのは事件の母の方ですが、娘の方と話したい」と、国語教師に言います。
最後の締めにたこ焼き茶漬けをりっちゃんにたのんだ。
娘にアドバイスはないが「女には二種類、“母と娘”があることを伝えたいと思う」と付け加えました。

「子供を産んだ女が全員、母親になれるわけではありません。
母性なんて、女ならだれでも備わっているわけじゃない
備わっていなくても、子どもは産めるんです
子どもが生まれてから、母性が芽生える人もいます。
逆に母性を持ち合わせているにも関わらず、誰かの娘、庇護されてる立場でありたいと願いが、母性を排除する女性もいます」

「母性を持たない女の娘として生まれてきたとしても、悲観せずにがんばれ、とでも言ってやりたいのか?」
国語教師に問われ、女性教師はそんな簡単な答えもあったことに気がつきました。
「自分が同じ立場になろうとしているから、気になるんだろうってな」
女教師が妊娠していることに国語教師は気づいていた

【母の手記】 

田所と結婚して十八年、一度も「愛している」と言われなくても、胸の奥の一番大切な場所に押し込めている人だと理解しています。
言葉は戦うためにある。

義母と過ごす時間が長くなり、昔話を聞かせるようになり、田所についての話は興味深く聞きました。
義父は自分は甘やかされて育ったくせに、哲史が障子につかまり立ちして破ったと1歳の我が子を殴りつけ、脳の機能がおかしくなるのではと懇願してもやめてくれなかった。「田所の跡継ぎは厳しく育てて当然だ」と。
義母にできることは密かにお菓子を与え甘やかすことだが、優しい哲史は「僕は大丈夫だよ」と半分菓子をくれるような子だった。
それが小学校では神童と呼ばれるほど出来が良く、義父は自慢しつつも自分は人並み以下だったため、ケチをつけてはますます手を挙げるようになった。反抗的もなく、逆に中学で美術部に入り一層無口になった。その作品も重く暗い父親への不満をすべて閉じ込めていると解釈したが、それでいつも賞をもらっていた。わたしはあの子を、こんな田舎に呼び戻さず、世界中を飛び回る画家にしてやりたかったよ―。

私の知っている義父と田所との人物像とはずれていますが、田所の暗い表情や両親の口喧嘩い関与しない「なぜ」は腑に落ちました。
田所が目指した「美しい家」は家族の心のつながりの美しさを指していて、彼も実家に息苦しい思いをし、失望し続けていたはずです。だから、田所は娘にあの悪夢の日の出来事を伝え、姿を消してしまったのでしょうか。

神父様、ついに、娘が自ら命を断とうとした日のことを書きます。

娘が帰宅したのは午後十時をまわってからでした。
男の子と会っている予感はありましたが、そんな報告どころか友達も学校の事ですら全く教えてくれませんでした。
娘は私の望むようには成長しないし、そうなるのは娘の生まれ持った資質であって、私の育て方によるものでないと納得もできていたのです。
1年ほど前から田所もサービス残業が増え、0時近くに帰ることが多くなりましたが、大変な世の中になったと思うだけで、母に田所が料理を作ってくれたと報告しただけで難色を示されました。今の自分は母の育て方の結果なのに、娘はどうして私の願うような子に育たなかったのか…母が私に注いでくれた愛情と同じくらい、私も娘に愛情を注いだというのに。

私は優しく声をかけることにしましたが、帰ってきた娘の目は真っ赤に腫れあがり涙が流れ出してきました。優しく笑顔を抑え気味に「何かあったの?」と訪ねると嗚咽を押し殺すように言ったのです
「おばあちゃんが、わたしを助けるために、自殺したって本当なの?」
気を失いそうになりました。

母は自らの舌を噛み、命を断ったのです。
私に娘を助けさせるために、私を真の母親にするために

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
顔をゆがめながら許しを請う言葉を口にしています。私は今こそ、この子に愛していると伝えなければならない…「愛している」しかし、その思いは伝わらなかったのです。いいえ、伝わったからこそ自分が私から奪ったものの大きさに気付き、死を以て償おうとしたのかもしれません。

娘は抱きしめた手を振り払い、自室に駆けて行きましたが気力もなく孤独を感じながらうとうと眠ってしまい
外から義母の悲鳴のような「何やってるんだ!」との叫び声で目が覚めました。
しだれ桜の木の元に座り込んだ義母と、横たわっている娘の姿です。
動けないわたしに「肝心なときに怖気づいて、それでも母親か」と義母は母屋に駆けて行きました。
野菜の収穫用の黄色いコンテナを台にして、首を吊ったのです。
「清佳!」
叫びながらふと、この子の名前は清佳だったのだ、と思い出しました。

娘は一命をとりとめましたが意識不明で、私が死に追い詰めたと疑われるようになりました。
「ママ、赦してください」
リルケの詩を書き写したノートの最後に、遺書として書かれていました。
でもどうして、私しか知らない母の死の真相を娘が知ったのか?
田所は数時間後に病院に来ました。
事情を話すと「そんなこと、あいつはとっくに知っていたんじゃないのか?」
田所も知らないであろう母が舌を噛んだことを話す決意をしました。この先も娘を愛し続けられるように。でも田所はいつもの何を考えているのかわからない顔で、励ましの言葉一つもなく「風呂に入って出直す」と言って高台の家にあった同じ「赤いバラの絵」を残していなくなりました。

神父様、もしも願いが1つ叶うなら、父と母と三人で暮らした、あの人たちの娘でいられた日々に戻りたい…いいえ、大切な母が命をかけて守った命が、輝きを取り戻し、美しく咲き誇りますようにと。

 
【娘の回想】

春奈ちゃんは「ママはお兄ちゃんを優先するけど、パパは私を優先してくれるから」ママよりパパが好きと言い、父親も子どもを可愛がるものだと気付いた

田所の考えは古いが、父は子供に構ってくれなくて当然と思っていたが、妻さえ守らす、あからさまに見て見ぬふりの父を許せなかった。
だが父の日記を見つけたことで見る目が変わったこともあった。
「資本論」は難しくて途中で投げ出したが、亨が読んでみたいと貸してみると、おもしろいという。もしこの本が母のものなら母と語るために努力したかもしれない。
父も男の子を欲しがり、母も男の子を産めなかったと口にするのが悲しく、男の子のように自己主張してきたが誰もそんなの望んでおらず、父も呆れたから味方してくれなかったのかもしれない。
父と話し合ってみたいと、なにか父の本を読むために教師のアドバイスで「エミール」を探しに、父が残業中だと信じて一人で探しに行った。
ほかにも「リルケ詩集」と父の日記がみつかり、気は引けたが読んでみることにした。

父の日記には祖父に暴力を受けて育ち、母や妹たちに矛先が向かないよう自分を殺してきたこと。
大学で家を出て、抑圧をぶつけるかのように闘争へのめり込み、新聞記者への夢も田舎に帰るよう命令され「戦いの場所はどこにでもある」と思っても待っていたのは封建的な社会、そしてその最たるこの家だった。
その絶望感を父は絵に閉じ込めたが、母との出会いでやっと色が現れた。
「彼女の瞳に映るバラを見て、初めて僕はバラを美しいと感じた。…美しい家を、彼女とともに作りたい」
高台の家は父にとっても大切な場所だったのだ。

母は農作業と介護にまみれ、腰は贅肉につつまれた背骨も歪んだが、家事以外をわたしが言っても手伝うのを嫌がった。
そのくせ祖母は「哲史には仁美ちゃんと結婚してほしかった、哲史が役場をやめなければ」と母のやることは「所詮、お嬢様のおままごとだ」というので殺してしまえばどんなにいいだろうと思った。
祖母は今も昔のままに見える母に嫉妬し、家賃を支払いに来る丸顔で団子っ鼻の仁美さんに親近感を覚えているだけだ。
母に祖母を老人ホームに入れる提案をすると、母はロクデナシを見るような目つきで「どうしてそんな恐ろしいことが言えるの」と悪意でしか受け取らない。
ママのために言っているのに!と訴えられない私は、どうしようもない破壊衝動を感じ、父を学生運動に突き動かしていたモノが日記とリルケでなにかわかった。
内面は父に似ているのに、母に愛されたい者同士なのに父は私も母も裏切った。

ある日、亨の家の近くで父をみかけ何か不穏な予感がしたので亨に嘘をつき、一人で父のあとを追うことにした。

いつもより覇気のある顔、介護も手伝わず麻雀でもするのか?と着いたのは、昔祖母が住んでいて、今は仁美に貸している家だった。
インターフォンも押さず中に入り、庭の木も手入れはされていなかった。
中から聞こえてくる2人の声はまるで夫婦のようで、息をひそめて中に入ると玄関には見覚えのある「赤いバラの絵」があった。
「何してるの!」私は2人を怒鳴りつけた。
仁美さんは動揺しているが芝居がかり、父はいつも私を迎える目で見た。
食卓には家では見ることのない赤ワインにビーフシチュー。
言葉少なに、のらりくらりとわたしの言葉をかわす父に、仁美さんも参戦し「世間知らずのお嬢様を、哲史がほおりだせるはずない」「あなたは世の中の厳しさを知らない」と紫外線も浴びたことのないような白く、ふくよかな肌にまっすぐとのびた指、筋肉もぜい肉もないのっぺりとした腰で何と戦ったという証も年輪もない体で言われた。
そこに「学生運動」を持ち出されわたしは父が祖父に立ち向かえないばかりに、学生運動に逃げ、会社から逃げ、仁美といることで学生運動当時の気分になれ、でも離婚しないのは仁美とじゃ「美しい家」を築けないとわかりつつ、ここを逃げ場い確保しているだけというとすべて図星で父は目をそらした。

だが仁美が「それは家にいる母娘を見ていられないから、哲史は家に帰りたくないのだ」と言うのです。娘は母に好かれようと必死だけれど、母は娘を避けている、と。それを見るのが、哲史は辛いのだ、もう好かれるのをあきらめたらいいのに、自分の存在を認めさせようとするあまりお母さんを傷つけている」と。
わたしは父にすがるような思いで見つめると、俺を巻き込まないでくれという風に目をそらされた。
そこで、祖母は焼け死んだのではなく、舌を噛み切って自殺したのだとも言われた。
母に娘を選択させるために、祖母は自分で命を絶ったというのです。

「母親があなたを守ったことが許せなかったんじゃないかしら。」

わたしはワインボトルを仁美の頭に振り下ろし、家から飛び出した。

帰宅後、母にこのことを伝えると、母の手は娘ののどにかかり首を絞められた。
母になら殺されてもいい、だけど、それじゃダメだ…
渾身の力で母を突き飛ばして、自室にこもりおばあちゃんが亡くなったのと同じ時刻まで、母やわたしを連想させる詩をノートに書き連ねた。
母は不快に思うかもしれないけど、この思いを受け止めてくれるのは、おばあちゃんの木だけなのだから。
ママ、赦してください―。

この手を握りしめてくれているのが母だと思えるとは、なんておめでたいのだろう。
名前を呼んでくれたと感じるなんて。
そうか、わたしの名前は「清佳」だったんだ。

—–終章 愛の歌———————

【母性について】
「りっちゃんにたこ焼きをもらったので今から行くね」
母にメールを送り、田所の家へ向かう。

母は毎週日曜日、キリスト教の教会活動に参加する以外、昔と何も変わらない。
祖母は10年以上寝たきりで認知症だが健在で、母は明るく介護している。
ひとりで戻ったりっちゃんも、一家で大阪から戻った憲子おばさんも認識できず、母の事は「ルミ子ちゃん」医者たちには「わたしの大切な娘」と母の願いはかなった。祖母は私の命の恩人だが私を認識できないものの、私のお土産には手を伸ばす。

逃げた父はあれから15年後の3年前に戻って来て、仁美さんは貧乏暮らしに耐えられず翌年捨てられ、頭を下げた父を母はただむかえた。
父は罪悪感で逃げたのだ。
あの台風の日、急いで帰宅した父はまず赤いバラの絵を安全な場所に持って行き、その後家に戻ると、母の悲鳴が聞こえた。
おばあちゃんが舌を噛んで息絶えたのだ。絵なんかほおっておけば、お義母さんも助けることができたかもしれないのに…母とわたしへの罪悪感を仁美さんに都合よく聞かせ現実逃避しようとした。しかも娘まで首吊りさせ追い込んだことに。
わたしは母に手を握られて欲求は満たされていたので、タバコをやめるなら許すと言った。
二人は田んぼとカーネーション農家となり成功してはいないが、その横顔を見るとこれでよかったと思う。

翌年、家を出て亨と結婚した。
10年ほど彼も時代遅れの団体活動にはまり、前科がついたが目が覚めたらしい。
私たちはおばあちゃんの家に住み、玄関には父の絵を飾った。子どももできたと伝えると、母は「おばあちゃんがよろこんでるわ」としだれ桜を見上げた。

子どもには、わたしが母に望んでいたことをしてやりたい。愛して、愛して、愛して、わたしのすべてを捧げるうもりだ。だけど「愛能う限り」とは決して口にしない。

時は流れ、母への思いも変化したけど、それでも愛を求めようとするのが娘であり、自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが母性なのではないか。

母が「楽しみだわ、気を付けてね」と返信をくれた。

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【母性】映画・小説おすすめ度と読書感想文「愛能う限り」の意味

おすすめ度
読みやすさ  5  ★★★★★
感動     2  ★★☆☆☆
共感度    3  ★★★☆☆
イヤミス度  4  ★★★★☆
映像化    4  ★★★☆☆

 
こんな人にオススメ
・子供を持つかどうかで悩んでいる
・育児、子育てへの悩みがある
・子供の気持がわからない
・夫との育児のバランスで問題がある
・義実家での子育てで悩みがある
・母子関係について興味、悩み、関心がある
・ミステリー好き
・イヤミス好き
・思春期の親子関係について興味がある
・自死や事故などの遺族感情に興味、関心がある

【母性】の感想

~それでいいのか?清佳!?

湊かなえの「イヤミス」作品としては、モヤモヤ感の種類が「それでいいのか?」と思えるラストでした。

本作を手に取る方は、読後は物語の親子関係と自分自身はどうだったか?を必ず比較したくなるでしょう。

子どもというのは生存戦略として親により良く養育されるために、特に乳をくれる母を求めるのだと思われます。
母の愛情を求める懇願はそこにあるので、愛されない=死との無意識の概念にとらわれるのかもしれません。

通常の親子関係ならば、成長と共に親の無力さや頼りなさ、人間臭さを目の当たりにし時には精神的痛みも伴う経験を経て「親も一人の人間である」と諦めという通過儀礼をへて大人になります。
そして諦めは許しをもって、老いて子供返りしていく親を介護するのでしょう。

この物語の登場人物全員嫌いです。

「私の血が永遠に受け継がれるのが夢」と一見愛の人のようで、最大級のエゴイスト・おばあちゃん。
その娘として、永遠に乳離れできず、母の死後洗脳された信者のごとく娘であり続けたい母
夫の息子への暴力から、守ることはできず怒りの念をまとい続ける義母
父の暴力に逆らえないまま大人になり、本題から逃げ続け問題解決しない父
受け入れてくれない母を冷静にみれず愛を乞い続ける娘

この家庭の大人たちはみな、祖父母の代からいびつです。
おそらく家父長制や母親賛美の歌や作品が流行る時代に育つと、親のミスなど責めてはいけないという時代に生まれた不幸なのかもしれません。

唯一、同情できるとしたらルミ子辛く当たる義母です。
彼女のエキセントリックなイケズは、夫の暴力から息子を守り切れなかった母親として無力さをこじらせた怒りに思えるからです。
最初の高台の家を当てがえたのも、同居しひたすらルミ子をイジメるのも、息子を家から遠ざけたいがための母心だったのでは・・・。イエ、それ以前にルミ子が母性よりも自己愛を優先する事が最も許せなかったのではないでしょうか?「肝心なときに怖気づいて、それでも母親か」この一言に義母の気持のすべて、自戒とルミ子にかつての自分自身を重ねて。

ルミ子は義母にどれだけイジメぬかれようとも、農業も家事も粘り勝ちするまでやめず、全員がお互いの思いなど通じ合うことのないまま、ラストは「問題もあったけど過去の事だから」となぁなぁにする母の信条を貫き通したラストでした。
家族だからと言って通じ合うものでもない、母親だからと言って母性という犠牲の精神を持ち合わせるものでもない。
苦い気分になるのは、そこに期待を裏切られた子ども心が残っているからかもしれません。

「愛能う限り」の意味とは

「愛能う限り」、あいのうかぎり?
本作の冒頭にでてくるこのフレーズに一瞬どういう意味?と首をかしげる人は多いのでは?

意味は、「愛としての愛が及ぶ限り」「愛を精一杯に」。

「愛が及ぶ限り」なら、及ばないならそれ以上は尽くさないということ?最初から「わたしの母性には限界があります」と自己防衛しているということになります。

最初の母の告白で、神父様はおだやかながら核心をついて「なぜですか?」と尋ね、母は疑問を抱かれること自体納得していません。
「なぜ、及ぶ限り」なのでしょう。
母としては、愛が及ばなければそこで愛するのをやめうのは仕方がない事なのに…。
ルミ子は「私にできる限り、子どもを愛しました」は本当のことなのです。
なぜなら、それ以上子供愛する愛はないから。
母親でいるより娘でいたいから。

これは現代でたまに聞く「母親だって~~」というフレーズに近い気がしました。完璧を求めているわけでなくとも、最初からの逃げ口上にどうしても思えてしまいます。

親子関係でも相性の良し悪しもあります。
子どもの立場からするとルミ子のような人は子供は産まない方がよかったのかもしれません。

本作から思い出したことは
祖母の葬儀の時、棺にしがみついて「母さん!」と号泣していた自分の母に「見たくない」と思ったことです。
母に対し「みっともないからやめて」と言い、母はショックだったと祖母の死後40年近くたってもいまだに言われます。
亡くなった祖母は作中のおばあちゃんのように、愛情深くやさしく分け隔てなく愛してくれ、好いてもいました。ですが母の祖母への「母親賛美」に幼いながらも何か違和感を感じたのは確かです。
長女だからか?戦時下に苦労して育ったからか?理由は様々でしょうが、祖母への嫉妬ではなく、母の関心が子供より仕事により多く向きネグレクト気味であったことより、「娘でいる母」に嫌悪感を感じたのだと思います。
「あなたにはまず第一に、母親たる態度でいて欲しい」

たいていはどこの母親も成長した子供に対し「どれだけ自分が子供を愛したか」最大限愛したと語るのかもしれません。
ルミ子は正直なだけかもしれません。
子どもの目線で言うと、求めているものとは違ったとしてもです。
ただ、子どもである自分の正直な思いをなぜ伝えられなかったのか?とも考えます。
母親を傷つけたくなかったからか、自分のその考えを吐露することで何か持ち崩してしまうからか…
「子どもの気持がわからない」と嘆く親は、なんの壁があるのかの考察が必要であると共に、その時こそ子ども心に返る必要があるのだと思います。

結局は愛に貪欲になるのは、年齢も性別も関係なく、その対象を誰に向けるかでしょう。
親子関係に遺恨を残さず、家族を形成するのなら、社会に「母性」の限界を訴える前に、家庭内で愛の調停をはかるのがベストなのではと思いました。

 【母性】のみんなのの感想文

一気読み。 人は結局主観でしか語れない。「母性について」の登場人物が「母の手記」「娘の回想」とリンクしているのは気付いていたが、最後にそういうことか、となった。母性とはなにか。歪んだ愛情を母性だと勘違いする母と報われない娘。

母性とは母親になったものに必ず備わっているものなのか。 母の手記と娘の回想で進むお話は、お互いの言っていること、感じていることの違いがありすぎて、でも世の中のすれ違いってこういうものだなって納得してしまうところあり。 見返りを求める愛は過ぎると破滅を生む。

子どもを産んでもなお、母の愛を求める女。子どもに愛を注ぐより、母親からの愛を求める。母親から子どもへの愛、いわゆる母性は後天的に備わってくるのかもしれないが、子どもから母親への愛は本能的にある無償の愛で、子どもはどんな親でも愛されたいと願ってしまうのだろう。

再読。火事で清佳を助け出した「油の臭いのする腕」は父の田所。母ルミ子の回想の中で、田所は清佳が火事の日の出来事を「とっくに知っていたんじゃないのか?」と言っているが、清佳の回想と一致しない。また清佳が仁美をワインボトルで殴る回想はあっさり過ぎる。田所と罪悪感に駆られた仁美が駆け落ちする?ありえない。絶対に殺されてる。当時、殺人の時効は15年。田所は死体を隠し姿を消したのだろう。田所が燃える家から薔薇の絵を持ち出したのは義母との思い出の品?田所と義母の関係は?ラストは丸く収まった様で何も解決していない。

「母性」の母親たちは、みな毒親だったのか?それとも「母体」自体に理想を求めるのが悪いのか?考えさせられる作品です。

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