『中村哲物語』読書感想文あらすじネタバレ・感想文書き方(Chat GPT・答え)

『中村哲物語:大地をうるおし平和につくした医師』



松島恵利子 著 汐文社 1,760円 (税込み) 180ページ
Amazon 楽天ブックス

内容紹介
中村哲先生は医者です。
アフガニスタンで内戦や干ばつで苦しむ多くの人々を救うためには医療だけでは限界があることを痛感し、水路を作り土地を潤し農作物を蘇らせた人物です。
凶弾に倒れてしまった今、益々先生の生き方が多くの人々に感動を与えています。

  
こちらでは
2023年の「第69回 青少年読書感想文全国コンクール」小学校高学年の部(5,6年生)の課題図書『中村哲物語』の「あらすじ・ネタバレ」と読書感想文の書き方のコツ・ポイントをご紹介いたします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『中村哲物語』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ 
『中村哲物語』読書感想文のこたえと書き方・大ヒント 
読書感想文をChatGPTで書いたらバレる?感想文での使い方とは?
うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ! 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Sponsored Link

『中村哲物語』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ

『中村哲物語』おすすめ度

読みやすさ ★★★★☆
感想文の書きやすさ ★★★★☆

【みどころ】
病気や飢えに苦しむアフガニスタンの人たちを目の当たりにした中村医師は、白衣を脱ぎ、驚きの行動に出ます。それは砂漠となった土地に用水路をつくり緑の大地を蘇らせること……。波乱にみちた生涯をつづる伝記。

 

こんな子にオススメ

・戦争が嫌い
・ボランティアに興味がある
・困っている人を見たらほおっておけない

  
『中村哲物語』ネタバレ


【第1章・昆虫博士に憧れた少年】
1946年(終戦1年後)生まれ。
小3のとき、友だちの父・吉川さんに昆虫採集に連れて行ってもらい、目の前にいる虫に言われてはじめて気づいたことから「人は見ようとするものしか見えない」「関心がなければ心に残らない」ことに気づきます。そしてよく観察する習慣が身につきます。

当時の日本の一大産業・石炭鉱業の、積み下ろし業屋「石炭仲仕(せきたんなかし)」を経営する祖母から「沖中仕(おきなかし)」の朝鮮からの出稼ぎ作業員について「職業で人を差別してはいけない」と言い聞かせられます。

おじの火野葦平は陸軍報道部として「兵隊作家」として戦時中はミリオンセラー作家、敗戦後は戦争協力者と世間のバッシングにより自殺し、考えさせられます。

信仰していたキリスト教のプロテスタントの牧師の藤井さんは盲目だが「目が見えなくなったことで、人を信頼すること」を学び「自分はだまされても、人を裏切るようなことはしない人間でありたい」と聞き、「盲目なのに頑張ってらっしゃる。自分も世のため人のため、困った人たちの力になれる人間になりたい」と思うようになります。

当時の高校進学率は6,7割。なのに大学で趣味の虫の研究をしたい」と言えないので、ちょうど医療過疎が問題だったので農学部編入も画策しつつ、「医学部に行きたい」と1973年に九州大学医学部に進学します

【第2章 動き出した運命の歯車】
医師免許取得後、理由は「ひまそうだから昆虫採集に行けそう」「思春期から大学はじめに、特に女性に対して震えるほどの赤面症」だったから、精神神経科(精神科)の医師になります。

当時、医療の発達で「完治はしないのに、命を長引かせるだけの治療」に疑問を感じて「どう生きるか」について考えるようになります。

1978年、虫が見たいのでパキスタンとアフガニスタンの間にいく、登山隊の同行医師の仕事を引き受けます。途中の村で医療援助を求められますが、診察はできても薬も治療もできないので無念を感じます。5年後1984年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣されてパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに念願の赴任します。仲間が哲先生を支える「ペシャワール会」を作ってくれました。
 
【第3章 ハンセン病と闘う日々】
そこはハンセン病(らい菌による感染症)が多い地域でしたが、専門医がいないので担当となり、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事します。
治療の物資もなく、治療環境も悪いので、哲先生自ら様々な作業をし、患者同士も診療の手伝いをはじめ「手術助手」もできるようになりました。
ハンセン病の感染要因の1つが、固い岩石の道なのにひどい履物という原因もわかり地元の人が受け入れてくれるデザインのサンダル工場を病院の中に作りました。

【第4章 ある患者との出会い】
ソ連がアフガニスタンを攻撃し、パキスタンに逃げてきた難民親子3人は重度のハンセン病です。
次女のハリマさんは苦しい後遺症で呼吸困難となり、のどの穴を開ける気管切開をしました。命は助かりますが声が出なくなるので哲先生はモヤモヤしました。

国境沿いのベシャワールも戦争の音が聞こえてきたとき、海外医療協力団体から会議出席を催促されましたが「白々しいし、患者を2週間も置き去りに出来ない」とムシします。
「命があることの楽しさを思い起こさせたい」とクリスマスには患者たちに高級なケーキとお茶を50人分とガスストーブも自腹で用意しました。

イスラム社会では、男性医師は女性を直に見たり触れたりできません。
新しい看護師、藤田千代子さんが日本からきて、膿のにおいのするハリマさんに献身的な看護をし、現地の言葉を覚え、地元の女性を看護助手に育てました。一方で、病院のトイレ掃除員に採用された男性は元はアフガニスタンで弁護士だったのに難民になった人でした。
 
【第5章 アフガニスタンに診療所をつくる】
ソ連はアフガニスタンに1978年から10年間侵攻しました。
しかも1984年アメリカが「アフガニスタン支援」の名目で中国製の武器を持ち込み、軍事施設も作りアフガニスタン支援をしました。結果、200万人死に農地も荒れ難民が増え、内線が続くようになりました。

戦後は難民がアフガニスタンに帰り始め、パキスタン国内でも政府の圧力で活動の継続が困難になったので、アフガニスタンで無医地区(お医者さんのいない地区)活動を続けることにしました。

哲先生は日本は医療に恵まれているので「死」が身近でなく「生きることの喜びや感謝」を感じにくいのでは?と思いました。
世界では住む国で医療がちがい、何億もする臓器移植する人、数十円の薬が買えず亡くなる人もいます。アフガニスタンの医療は不十分ですが、人は死んでいくことを受け入れるのは「生かされている感謝の気持ち」があるからではと感じました。

診療所を開くにあたり、現地の長老会議に出て「文化を踏みにじりません」「気まぐれですぐに辞めず、ずっと続けます」と協力を得て、『郷に入っては郷に従え』と現地の男性が被る帽子をかぶっていました。

最初の診療所はかなりの山岳地帯に作り、嫌がる現地の首都生まれの医師もそこになじませ、新たな診療所はさらに深い山奥につくりました。そこすら戦争の爪痕が残っていました。
外国の海外支援団体はほぼ2年で引き揚げます。哲先生は日本からの支援が継続するかぎり続けると、1998年市内にPMS(平和・医療団・日本)基地病院を作り、心も癒してほしいと美しい中庭も作りました。
 

【第6章 乾ききった大地 水を求めて】
「金がなくても食っていけるが 雪がなくては食っていけない」アフガニスタンのことわざです。
アフガニスタンは乾燥地帯なので山の氷河から溶け出す水により、国民の8割が農業をします。
ところが2000年にの大干ばつにより、作物はもちろん、家畜の90%が死に絶え、農民は村を捨てていき100万人の難民が出ました。

「餓死」は養失調で抵抗力が落ちているところで、汚れた水を飲むと下痢や腸の感染症にかかり死にます。水不足はほかにも病気を引き起こしました。
水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、哲先生は日本から井戸を掘る専門家を呼びました。
日本から支援活動で来る日本人ワーカーたちには「見慣れないモノ、違いがある事を、進んでいる・遅れている、優劣など自分の物差しではかってはいけない」とつたえます。「味噌汁」を外人から「臭くて汚いスープ」と言われたらいやだろう?と。

また内戦の兵士から農業に人々をもどすべく、農業復活のために灌漑用水路「カレーズ」を復旧させ、短期間で砂漠化した田畑がよみがえり、約30万人が農業を続けられるようになりました。


【第7章 アフガニスタンへの攻撃】
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、アフガニスタンのイスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたと言って、アメリカはアフガニスタンに報復することにしました。
干ばつの冬越えの備蓄も不十分で一般人には関係ありません。ですが世界中にテロのニュースが流れ、「アフガニスタン=テロの国」という印象づけられ、支援を引き上げられていきました。

アメリカのブッシュ大統領は、多国籍軍(イギリス、カナダ、オーストラリア、インド、ロシア他)によるアフガニスタン侵攻を始めました(アフガニスタン紛争 2001年-2021年)
日本も自衛隊派遣を検討していましが、哲先生が国会に呼ばれ意見を求められたのです。
「アフガニスタンの環境や一般の人々の生活と無関係に同時多発テロが起きたこと。
テロに対し、暴力で抑え込むことへの反対。
アフガニスタンの人は日本へは信頼を寄せているのに、アメリカの報復攻撃への参加は信頼が崩れること」
自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消こそ日本人のすべきことと伝えましたが、「それはテロリストの肩を持つのと同じだ」とヤジを飛ばす議員もいて、自衛隊の海外派遣を可能にする法案が通りました。

哲先生は苦しくなりましたが、日本国中を講演会でまわったところ、2億の支援金があつまりました。このころ哲先生の10歳の息子は脳腫瘍で亡くなり「戦火や飢餓で子を失う親の気持ちが実感できた」とも述べています。
アメリカ筆頭の多国籍軍は無差別攻撃で、たくさんの市民が亡くなりました。現地職員が命がけで食料配給をして、無事に届けられました。
 
【第8章 緑の大地計画】
2002年、干ばつはひどくなり井戸がかれ、砂漠化が広がり農業国なのに水がなく、金のために兵隊、乞食になるものも出ます。「100人の医者より1本の用水路」皮から水を取り込む「緑の大地計画」を聞き、支援でなく自分たちで生活できる力を望んでいたので、大喜びです。

哲先生は独学で土木工学をゼロから学び、自分で設計図を書けるまでなりました。
現地の住民が自分で用水路を作れるように、この大プロジェクトのため元兵士、元難民、元出稼ぎの600人が作業員として集まりました。
コンクリートなど使わず、すべて手作り。かごに石を詰めた「蛇かご」を積み重ね、根が蛇かごに入り込む柳を用水路の両脇に植えました。資金はベシャワール会の寄付で、作業員にも日当が払われ7年かけて完成しました。同時に乾燥に強い農作物や、マラリア対策の除虫菊も栽培されました。

 


【第9章 よみがえる大地】
用水路を作る時、水を取り込む場所「取水口」をどこに作るか迷っているとき、170万人の難民が戻ることになりました。
食料自給率が整ってないと、また餓死者が出ます。哲先生は早く農業を始めるべく「壊れたら作り直せばいい」と取水口をすぐ作りました。
用水路は堰があることで、水を押し上げ流れる仕組みです。その作業は難航し、アメリカ軍が建設現場の上にもヘリが飛んで、無差別乱射されたこともありました。
でも立ち止まるわけにいきません。「この数カ月に私たちの未来がかかっている。」と作業員たちを鼓舞し、命がけで黙々と作業を進めました。

種まきまで2か月。寝ずに哲先生は研究し、哲先生の故郷福岡には「日本3大あばれ川」の筑後川から田畑に水を引く「山田堰」という取水口の作り方を起用し、大成功しました。この用水路は「アーベ・アルワリード(真珠の水)」と名付けました。
翌日には途中護岸が崩れる事故がおきましたが、現地の人が修復していき、その姿に用水路をさらに掘り進める自信となりました。

大きな岩盤に突き当たればそれに沿うように用水路を作り、道路があれば地下道を掘り距離を伸ばしました。
水を流すと子供たちが集まり、空にはヘリコプターもあります。そして収穫の季節を迎え現地の人々の願い「1日3回の食事」「家族と一緒に暮らすこと」を用水路がかなえてくれました。
次の目標はガンベリ砂漠、別名「死の谷」と呼ばれる乾燥地帯まで、用水路を伸ばしたいと作業をして10年。ついに完成させ農業以外にも酪農や養蜂もできるようになりました。

用水路には人間だけでなく動物や鳥、虫も増え「やはり命というのは水が元手」「大事なのは生きること、命こそ大切なんだ」としみじみ思いました。そして住民の要望によりモスク(イスラム教の礼拝堂)とマドラサ(学校)も建設。現地の人は大喜びでした。
哲先生は「どうしてそこまでして頑張るんですか?」とたずれられました。その時決まって「道で倒れている人がいたら、手を差し伸べる、これは普通の事です」
「身近にあってできることは、案外たくさんある
例えば友達がいじめられているのを、かばってってやる
家族が病気になったとき、かわりにごはんをつくる
そういう、ちいさな1つ1つが、なんでもないようなことが人間の真心 
それをじっと守ることが大事なんだ」

 


【序章】
哲先生は35年、パキスタンやアフガニスタンでたくさんの命を救ってきました。
2000年の大干ばつから用水路を作り、農業を復活させ、食料自給率を上げ病気の予防となり65万人の人の命が救われました。

紛争や内戦が続くアフガニスタンの普通の人々の願いは2つだけです。
それらを叶えるために、ピークには11か所の診療所を作り、1600の井戸を掘り、25キロの用水路を作り、仕事を人々に取り戻しました。

2019年、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、名誉市民権を授与されました。「国民を救ってくれた最大の英雄」「最も勇敢な男」として。
ですがその2か月後、作業のため車で移動中に銃撃を受け帰らぬ人となりました。アフガニスタンの人々はその死に悲しみ、共に働いていた現地の人だけで、用水路建設は進められています。

哲先生の行動や言葉、思いに触れ
一人ひとりが
「本当の平和とはなんだろう」
「なぜ戦争をしてはダメなのだろう」
「人間にとって真の幸せとは何だろう」

と言ったことを考えるきっかけにしてほしいと思います。

  

『中村哲物語』読書感想文のこたえと書き方・大ヒント

 
「中村哲物語」読書感想文の書き方【例文つき】
 

【読書感想文の応募要項】

 
読書感想文コンクールの入賞した子は
原稿用紙3枚1200字きっちりに書きます。

起承転結でつづられるなら300文字ずつ。Twitterで140文字と考えると、なんとか小学生でも書けそうです。
 

読書感想文の書き方
    ・この本を選んだきっかけ
    ・簡単なあらすじ
    ・感想、疑問点など
    (特に面白かったところ、感情が動いたところ)
    ・本を読んでの意見や体験談との比較
    (本を読んで学んだこと、自分の意見、今後の生活に生かしていく。など) 

 

『中村哲物語』読書感想文のこたえと大ヒント

『中村哲物語』の感想文は比較的簡単です。
「平和学習」用の答えを書けばいいのですが、小学生なので「みじかな自分の生活のなかでなにをするか?」が答えです。
本書のなかで
序章の「本当の平和とはなんだろう」…は、感想文のなかでとりあげるテーマ
9章「道で倒れている人がいたら、手を差し伸べる、これは普通の事です」…が答えです。

読書感想文の答え 

■平和学習用のこたえを書く
目的:戦争によってもたらされる災いや核兵器の脅威への理解、世界平和についての考察を行う
答え:「人間の生命の尊厳を否定する一切 の暴力に反対し,平和を愛し平和社会の実現に貢献したい」

■人権教育のこたえを書く
目的:知的理解と人権感覚を基盤として、自分と他者との人権擁護を実践しようとする意識、意欲や態度を向上させること
答え:「人権擁護するために実践力や行動力、意欲のある意見」→差別のない世界を作りたいです

■SDGs・17のゴール、160のターゲットの「今、何をすべきか」
答え:「戦争、暴力をなくし平和を守り、平和的な方法で対立や紛争に対処したい」→「私にできることは・・・」

著者・松島恵利子インタビュー

「中村先生のやったことは偉業だけれど、『遠い存在の偉大な人』とは思ってほしくない。先生の思いそのままを、手のひらに乗せて子供たちにそっと差し出す気持ちでつくりました」

 
答え:「いま日本にいる小学生のボクでも出来ることは、人に対して真心で接することだと気が付きました。なんでもない、当たり前だと思っていたのにそれをやり続けることが大事だし、実はむずしいのだともわかりました」

■高校生の中村哲先生への感想文

アフガニスタンで銃撃を…中村哲医師の人生から学ぶ、持続可能な未来の目指し方。
FRAU Z世代SGDsプロジェクトvol.4より

 中村先生は2019年12月4日にアフガニスタンで銃撃を受け、亡くなりました。私はその10日前まで、数年かけて繰り返し取材をしていました。そこで思うのは、中村先生は「きっかけがあるたびに、行動を起こし続けてきた人」だということです。目の前に起こる問題や困っている人のために、全力でなにかできないだろうか。そんな思いでやってこられた。そしてその行動が、最終的にSDGsが掲げるいくつものゴールに当てはまっています。

 幼少期の中村先生は、自然が大好きな子どもでした。地元福岡にある西南学院中学校へ進み、キリスト教教育のもと、ある目が不自由な牧師さんと出会い、その牧師さんのように「世の役に立ちたい」と思い、大学卒業後に医師を志します。

 そして医師となった中村先生は、31歳のとき、パキスタンとアフガニスタン国境にそびえるヒンドュークシュ山脈に登ることに。その道中に訪れた村々は、どこも医師がいない無医村がばかりで、病人を診てくれ、薬をくれなどと、求められたそう。ですが、仕事目的ではなかった中村先生らは、薬を余分に持っていなかったため、十分に診察することができなかったといいます。そのことがずっと心に引っかかっていた中村先生ですが、数年後、とある病院で働かないか? と、声がかかりました。そこは、偶然にも、登山で訪れた場所にほど近い、パキスタン北西部にあるペシャワールという町でした。

 当時は、アフガニスタン国内は戦争の最中。中村先生のいる病院には、国境を越えパキスタンにきたアフガニスタン人の患者が大勢いたといいます。そこで主にハンセン病の治療にあたっていましたが、そもそも病気を一帯から根絶するには、無医村の多いアフガニスタンへ行かなくてはいけない。そう考えた中村先生は、アフガニスタンへわたり病院を設立。これも目の前の問題を解決するためのアクションですね。

 医療に専念するなか、今度は大干ばつが発生。裸の子どもが泥水を飲んでいたり、今にも息絶えそうな赤ちゃんを抱いた母親が、何日もかけて歩いて中村先生のもとを訪れたり、なのに増え続ける患者たちの長蛇の列ができていたり……。日本では考えられないような悲惨な光景を目の当たりにした中村先生は、この干ばつをなんとかしなくてはいけない。そう思い、井戸を掘り出しました。専門家の協力も得ながら1600箇所も掘ったが、そもそも地下水そのものが枯れているという問題にぶち当たりました。

 そこで高山などからの雪解け水が流れる大きな川と町をつなぐ用水路を建設することにしました。しかし井戸を掘るのと、筑後川よりも大きな川で用水路を作るのは、わけがちがう。失敗したら大洪水が起き、もしかすると人命までも奪ってしまうかもしれない。なので周囲は反対をしたそうです。

 けれど干ばつから人の命を救うには、それしか道はない。挑戦への気概だけで、一から勉強し、用水路を7年かけて完成させました。日本国内では、用水路にはコンクリートが使われることが多いのですが、それだと壊れたときに現地の人が直せない。なので石を積み重ねて並べることで、現地の人でも修復できるようにしました。今でいう持続可能性の実現ですよね。

 中村先生がいつも大切にしていたのは「一隅を照らす」という言葉。平安時代の最澄という僧侶の言葉で、自分の持ち場をきちんと照らし、みんながやるべきことをやっていくことが大事。そのような片隅こそが、世の中をよくするという意味。中村先生は、目の前のことを一生懸命にやっていたら、世の中を、地球をよくする行動につながっていたということです。結局のところ理屈じゃないということを、中村先生から教わりました。(1511文字)

Sponsored Link

  

読書感想文ChatGPTで書いたらバレる?感想文での使い方

話題のChat GPTですが、読書感想文でのChat GPTの使用は原則禁止です。
ですがこれからの社会Chat GPTを上手に使いこなす能力も必要です。
(文部科学省が、学校向けのガイドライン作成を検討を始めました)
 
もし読書感想文でChat GPTを使用した場合・・・生徒をよく見ている教員ほど「本人が書いたものではない」ということを見抜くことができます。

アジア圏の日本人学校で教員が、小学5年生の女子生徒が書いた「ハリー・ポッター」の読書感想文を「本人が書いたものではない」と勘づき、やはりChat GPTに書かせたということがわかりました。

本人が書いていない気が付いた理由は
・内容に違和感を覚える
・文章の構成と言葉遣いがいつもとちがう 
・Chat GPTの文章にはその生徒の個性がない
・書かれた文章の内容の質問に答えられない など

将来、Chat GPTを使うスキルが必要かもしれません。そこで問題のケースでは「Chat GPTを使って学びを深める方法」を生徒たちと話し合いました。

【子供たちの意見】
・AIが書いた文章は読みやすい(メリット)
・文章添削では早く的確でわかりやすい回答がくる(メリット)
・人間味や面白味がない(デメリット)

 

【Chat GPTを上手に使う方法】
作文を自分で書く

ChatGPTで添削
(文章の書き方や構成の作り方)
(変更した理由)

自分の感想文と読み比べる

AIが出せない味は消さない
「自分らしさ(個性)」
「自分のエピソードや表現の仕方」
「会話文から始める構成」

AIを生かせる部分
「文章校正」
「誤字脱字」
を修正するなどで利用する

 
Chat GPTは“きれいごと”の返答が多いと言われます。ですが精度が上がりユーザーの個性を分析し、まるで子ども本人が書いたのような回答ができる日が来るかもしれません。

上手にAIを使いこなすことは、処世術として必要ですが、読書感想文などは思考力の訓練です。
思考力は書くことで鍛えられるので、その機会が少なくなると言われ、なにかの判断をChat GPTにゆだねるうちにChat GPTの指示に従うのが正攻法と思うようになる世界は「AIを使っているつもりが、使われている」ことになるのかもしれません。
 

読書感想文の書き方を親が教える場合
・自分で考える事、自分の意見を書く必要性を教える
・Chat GPTは文章の添削、文章校正や誤字脱字など感想文の基本を学ぶために使う

 
という、教え方が適切なようです。 

  

うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!



 

「考える読書」
第68回青少年読書感想文全国コンクール入賞作品集
全国学校図書館協議会
発売日:2023年05月01日頃

読書感想文の入賞作は審査員の合格基準に達した書き方をしています。合格基準とは「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」です。5,6年生となると高学年として少ししっかりした意見の感想文が求められます。「考える読書」内にある感想文の入賞作は大いに参考になります。

2022年青少年読書感想文全国コンクール 入賞作

内閣総理大臣賞<小学校高学年の部>


水谷日菜美 東京都 板橋区立志村第三小6年
「捨てないパン屋の挑戦:しあわせのレシピ」(あかね書房)

 
文部科学大臣賞<小学校高学年の部>


峯川芽依 群馬県 沼田市立升形小6年「ぼくの弱虫をなおすには」(徳間書店)

 
読書感想文の入賞作は審査員の合格基準に達した書き方をしています。大切なのは「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」です。参考になる入賞作は大いに参考になります。昨年の入賞作2点を参考に、書き方のコツを頂きましょう。
 
  

【読書感想文2022 小学生5.6年生の課題図書】あらすじ・感想文書き方と本の選び方


 


●読書感想文は著者、書評などのコメントを参考にする
  
●本の内容の評価に「勉強になった」「前向きになった」「マネしたい」など入れる

●入賞している人の書き方を参考に勉強する
同学年でもおどろくほど大人っぽい感想文を書いている人もいます。そこまでできなくても、冒頭の書きだしや感想文の話の流れのスムーズさ、物語の捉え方や意見のまとめ方など文章の組み立て方を参考にしましょう。

関連記事と広告


関連記事


サブコンテンツ