「私が見た未来」ネタバレ感想・たつき涼の予知夢は本物?2025年南海トラフ以上の大地震から助かる方法

『私が見た未来』とは
たつき諒氏が見た「予知夢」を「夢日記」にまとめたものを、1999年に刊行され、2011年3月11日の東日本大震災を予言していた漫画」としてTVやネットで話題となった予言マンガです。

3.11の衝撃は日本はもちろん、世界中の人にもショックを与えました。それを「たつき涼さんは1999年には予言していた」となると、地震大国日本に住んでいたら「ほかに巨大地震が来るの?」と不安になってしまうものです。はたしてこの予言は当たるのでしょうか?

こちらでは
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「私が見た未来」ネタバレ感想~たつき涼は予知夢当たる? 
「私が見た未来」感想・嘘かホントか? 
「私が見た未来」2025年7月大地震は南海トラフ以上?避難場所と助かる方法 
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「私が見た未来」ネタバレ感想~たつき涼は予知夢当たる?

「東日本大震災を予言した漫画」と話題だった本作を某TV番組が取り上げられ一気に注目されたのが本作「私が見た未来」です。
元々は、たつき諒さんが漫画家時代に夢で見た15個の予知夢をまとめた漫画なのですが、完全版では漫画に描かれている予知夢の他に、新たな警告として「本当の大災難は 2025年7月にやってくる」という情報が追加されます。

~収録内容~
第1部 予知夢編 たつき涼さんが見た予知夢と不思議体験、これから起こる予知について
夢のメッセージ(マンガ)
私が見た未来(マンガ)
「夢日記」解説
第2部 ミステリー漫画
・縁の先
・ちいさなカラの中
・浮遊霊
・地下街
・冥界の壁
・もうひとりの自分
・闇の中へ …
・そんな馬鹿な
・雨月物語
~作者あとがき~

たつき涼さんの予知夢の時系列


3.11の予知と不思議体験、これから起こる予知についてはすべて第1部に記載され、たつき涼さんが見た予知夢とその内容についてマンガと「夢ノート」の解説について書かれています。

1954年12月2日 
 たつき涼さん誕生(神奈川県出身。横浜在住)
1971年 
 17歳で交通事故に遭い「家でできる」漫画家を目指す
1975年7月 
 アシスタント時代の出来レースで『月刊プリンセス』(秋田書店)でデビュー
1976年 
 夢に興味を持ち始め「夢日記」を書き始める

1976年11月24日 
 QUEENフレディ・マーキュリーが死ぬ夢
  ↓
 1991年11月24日フレディ・マーキュリー死亡(イギリス旅行の2日前)

1981年夏5時ごろ 
 大津波で逃げ惑う人々が「ハデス」と叫び、歩道橋の夢     

1989年 8月27日 
 洞窟のようなところで何か言いたげな知らない女性の夢
  ↓
 近所の防空壕跡で女性のバラバラ殺人
1990年代 
 怪談やミステリー作品を中心に描く

1992年 8月31日 
 ダイアナ妃の死「DIANNA」と叫ぶ年配女性の声が聞こえた夢
(ダイアナ妃の解説のページでは、「車」の文字と「赤ちゃん」が書かれていた。一説には妊娠していたという説もある)
  ↓
 1997年8月31日ダイアナ妃の死亡

1993年 9月14日 
 Y字路の景色の夢
  ↓
 1994年9月14日オジサン死亡。葬式の帰り道に同じY地路

たつき涼さんは「自分が特別じゃなく、おぼえていないだけでみんな(予知夢)見ていると思う」「夢はアドバイスやメッセージがこめられているかも」と夢日記を書くことをお勧めしています。「霊感はないけど、未来は見てた」と言い、象徴的予知夢として『別の共通するイメージのモノで伝えられ、メッセージとして見る』と言います。津波の夢は漫画にしようとすると吐き気や寒気がして描けなくなるといいます。

 

1991年8月20日、2002年5月27日、2005年6月11日の3回
 富士山大噴火の夢
  ↓
「噴火=世界恐慌やパンデミックなどでパニックになる」の意味で大噴火でないのでは…。

1995年 1月 2日 
 荒れてヒビの入った大地と天上の人に「5年たったら迎えに来る」と言われる夢
  ↓
「私の役目が終わる日」
2025年7月、日本列島を襲う地球規模の大震災その警告を鳴らすのが私の役目?とたつき涼さんは言います。

1995年 2月12日 
 インドでサイババに会う夢
1995年11月26日
 「私の葬儀には白い服を着て欲しい」と遺言に書き、7月15日の葬儀に皆が白い服で来てくれた夢
1996年 7月 9日 
 サイババに「久しぶり」と言われる夢
1998年 6月11日 
 サイババに会いにインドに行き転換期となる「1800年頃サイババと死に別れた親娘だった」とお告げ。旅行中に日本列島の南、太平洋の水が盛り上がるビジョンが見えた

1998年9月  
 『白い手』の発表後描けなくなり充電期間という引退

1999年7月1日『私が見た未来(初版)』の締め切り日
 「1999年の災害は小規模に、そして大災害は2011年3月に」との夢を見て、急遽表紙のイラスト内の文面の日付を書き換える

2001年1月1日 
 [夢で見た警告]大津波後の荒地に「銃を持ってたたずむ人」と世界状況が大きく変わる。地球全体ですべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしているイメージを感じる
2007年5月14日 
 「5月25日私が死ぬ」という夢


2021年7月5日4:18
 2025年7月に日本とフィリピンの中間の海底火山、北は日本、西は台湾、南はインドネシア、東は北マリアナ諸島を結ぶひし形の中心が噴火し、太平洋周辺国に東日本大震災の3倍ある巨大津波が来て、その衝撃で陸が押されて盛り上がり、香港から台湾、フィリピンまでが地続きのように見える夢。日本列島の太平洋が三分の1~四分の1が津波に飲まれ、震源地に向かい2匹の竜が向かって行く映像。南海トラフ地震の想定をはるかに超えた壊滅的な大津波の映像。

たつき涼さんは1998年に事実上の漫画家引退をされていましたが、その後も予知夢は見続け2021年7月5日に太平洋周辺国を巻き込む大地震の光景を見ました。「私が見た未来」がTVで紹介され話題になったのは2020年。なりすましが出たのは2021年春です。親族から教えられても鳴りを潜めていましたが、それ以前も思っていた「この予知夢(警告)を伝えるのが使命」と思い直します。
「災害は避けられなくても、それを覚悟したうえで協力し合えれば必ず生きていくことができる、それも地球規模ですべての人々が明るく活き活きと暮らしているイメージ」を感じるのだそうです。

 

「私が見た未来」感想・嘘かホントか?

話題の本「私が見た未来」を読んでみて、正直「半信半疑」というのが素直な感想です。

信じがたい!と感じた点

・1973年11月25日出版『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)のミリオンセラーでたつき涼さんもオカルトブーム世代※
・「フレディ・マーキュリーが死んだ」夢を聞かせた友達がショックで泣く乙女度合い
・1993年9月14日のオジサン葬儀場近くの「Y字路の景色の夢」小さい時に通ったんじゃないの?の疑い
・1998年6月11日サイババに会いに行き「前世で娘」と言われる→ 戦士症候群※では? 
・2001年1月1日大津波後の世界が明るく輝き、活き活きと暮らしている「イメージを感じる」で予知夢でなく願望化
・2021年7月5日4:18 →TVで話題、なりすましも出てから急に予知夢を見てしまう

たつき涼さんは1954年生まれの「しらけ世代(1950年~1964年)」の方です。
学生運動が終わりを迎えた頃にあたり、しらけ世代は三無主義(無気力・無関心・無責任)と言われ「シラケる」が名前が由来となっていて、一時言われていたフワフワしていた頃のゆとり世代やさとり世代と似ているとも言われています。たしかに本書に出てくる若い時のたつき涼さんは「お嬢様的な雰囲気」で交通事故の経験からといえ、自宅でできる漫画家業をすんなり選び、そんなにメジャー漫画家でないわりに結構海外旅行も行けている…。
オカルトブーム時代のオカルト漫画家。昨今の出版不況にふっと沸いた「たつき涼さんは預言者では?」ブーム。出版社からも「ハズレたほうが喜ばれる予言だから大丈夫w」となぜか出版間際に予知夢を見てしまったことにされたのでは?と感じました。

※オカルトブームとは
1970年代に第一次ブーム、1990年代後半には第二次ブームとなりノストラダムスの予言が外れたのでブームが廃れる
※戦士症候群とは
1980年代の日本においてオカルト雑誌「ムー」の読者コーナーに端を発したサブカルチャー現象。「自分は目覚めた戦士」で「仲間の戦士を探しています」という戦士パターンと、「自分は前世の記憶を取り戻した転生者」で「前世で繋がっていた仲間を探しています」という転生者パターンの2パターンおよびそのミックスに大きく分類される。

 

ホンモノでは?と感じた点

・たつき涼さんの予言はさておき、南海トラフ地震は発生率は70~80%!?いつ来てもおかしくないと言われている
・日本周辺では、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートと、複数のプレートによって複雑な力がかかっており、どこかでズレで周辺国にも連鎖しそう
・たつき涼さんに悪意がない

南海トラフ地震自体、地震学者などから警告されていますがいつ来るかわからない巨大地震に対して、どう準備すればいいのか?ピンとこない人も多いと思われます。ですが「私が見た未来」での警告を指針に地震対策や地震への覚悟を持つのは特に「日本人として欠かせない心構え」だな、と考えさせられました。

「当たらない方がいい予知夢」ですが、この「私の見た未来」ブームは2025年7月まで続くのでしょうか?

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「私が見た未来」2025年7月大地震は南海トラフ以上?避難場所と助かる方法


南海トラフ地震:最大M9.1、震度7。東京は東日本大震災より揺れ、大阪道頓堀川は荒れ狂い、地域により津波は最短2分で到達と予想されています

たつき涼さんは
「南海トラフどころではない規模、東日本大震災の3倍ともなる「予想をはるかに超える壊滅的津波」が来るので、それを逃れられる場所に避難する必要」
「日付まで知らせることで、災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを認識してほしい」
災難後は「心の時代の到来、つまり心と魂の真価が起こる」
「大切なのは、自分自身が生き残ること」
と言います。

 


関東大震災

1923年(大正12年)9月1日 11時58分32秒
震度:6(東京府東京市など)
持続時間:48秒
死者・行方不明者:推定10万5,000人
被害地域:茨城県・千葉県から静岡県東部までの内陸と沿岸
主な死因:昼食の調理時間帯と重なり火気使用中が多く、日本海沿岸を北上する台風に吹き込む強風による焼死
津波:静岡県熱海市 12m。千葉県相浜(現・館山市) 9.3m。洲崎 8m、神奈川県三浦 6m。
震源域:相模トラフ

阪神・淡路大震災

1995年(平成7年)1月17日 5時46分52秒
震度:7(神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、北淡町、一宮町、津名町)
持続時間:15秒程度
死者・行方不明者:死者 6,434人 行方不明者 3人 負傷者 43,792人
主な死因:明け方の就寝中により9割が圧迫死(圧死、窒息死など)
津波:あり(微弱)
震源域:六甲・淡路島断層帯

東日本大震災

2011年(平成23年)3月11日14時46分24.1秒
最大震度:7(宮城県栗原市築館)
持続時間 160 – 170秒
死者・行方不明者:死者 1万5899人 行方不明者 2,526人 負傷者 6,242人
主な死因:津波による溺死90.64% 圧死・損傷死・その他:4.23%
津波:岩手県(宮古)8.5 m(15時26分)、釜石4.2 m(15時21分)、大船渡8.0 m(15時18分)、宮城県(石巻市鮎川)8.6 m(15時26分)、福島県(相馬)9.3 m(15時51分)
震源域:宮城県 三陸沖(仙台市の東方70 km)太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域

~震災の被害から逃げれるのは時の運?~
大型地震は時代や震源域、その深さ、発生時間、持続時間も何が一番死因につながる危険か?に「これさえ気を付ければ大丈夫」と断言できるものはありません。
関東大震災は津波はありましたが、住居による圧死が主な死因でしたし、阪神・淡路大震災は震度7でも15秒しか揺れないのに建物の倒壊による甚大な被害があり、東日本大震災は同じ震度7で170秒もゆれても津波による溺死が主な死因です。同じ日本海側でも人口の密集した都市型の街では建物の倒壊や家事。人口密度の少ない地方都市、とくに海岸沿いの街は津波の被害、と考えられるのかもしれません。
ですがどのような都市に住んでいても地震発生後すぐ非難して「津波到達時間の約30分の間に逃げれかどうか?」で運命が分かれているのは確かです。

2025年に大地震での避難場所と助かる方法

ここで朗報です!
たつき涼さんが予知夢にみた日付
2025年(令和7年)7月5日(仏滅)午前5時頃(4:18)は土曜日です!

引っ越すまでもないけど、やはり心配という方は7月4日(金)の夜のうちに「日本海側に旅行の名目」で週末疎開という避難方法もあります。

「免振の高層億ションに住んでる勝ち組だから大丈夫」
という方もおられるでしょうが、高層建物は震度6まで耐えれる設計になっていて、それ以上になると「わからない」というのが現状のようです。「それでも高層ビルに逃げ込めたらいいのでは?」と考えますが、地震後の二次被害で「上空からビルのガラスや看板などの落下」で近づくのも危険だったり、高層ビルの火災、水の供給が滞りなど他の問題も考えられます。

「そこに住んでいて助かった」としても、たつき涼さんが見た住んでいる街全体が壊滅した荒地状態になってしまえば、ぽつんのと凝った高層マンションに住んでも生活は成り立たないといえます。

地震の時はとにかくすぐ逃げる

・たつき涼さんは2025年(令和7年)7月5日(仏滅)午前5時頃(4:18)にフィリピン海プレートの海底火山が爆発して周辺国に大津波が来る予知夢をみる
・津波の高さは東日本大震災の3倍
・ナニの衝撃で陸が押されて盛り上がり、香港から台湾、フィリピンまでが地続きになるような感じに見えた
・日本列島の太平洋が三分の1~四分の1が津波に飲まれた
・事前に準備していたことで多くの命が助かり復興にむかう明るい未来も見えた
・たつき涼さんの予知夢が当たるかどうかはわからない
・災難後の生き方を考えて、今から準備行動しておくことの重要さを認識してほしい

 
日本は地震プレートに囲まれた地震大国です。この予知夢が当たるかどうかはわかりません。今の便利な文明社会が完全に崩壊してしまった時に、どうやって生きるか?生き方を大きく変えられるスキルを持つことが生きながらえる秘訣と言えそうです。

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