【星の旅人/あらすじ・ネタバレ】読書感想文の例文と書き方のコツ・ポイント




「星の旅人:伊能忠敬と伝説の怪魚」
(小峰書店)
著者:小前亮・著
本体価格:1,600円
ISBN978-4-338-08162-7

こちらでは
2019年の「第65回 青少年読書感想文全国コンクール」中学生の課題図書
『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』の「あらすじ・ネタバレ」と読書感想文の書き方のコツ・ポイントをご紹介いたします。

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『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ 
『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』読書感想文の例文と書き方のポイント 
『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』読書感想文のその他おすすめ指定図書 

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『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ

【出版社内容情報】
行方知れずの父を探すため、少年は伊能隊と共に旅をする。
数をかぞえながら、一歩ずつ歩くことで、たどりつける場所がある。少年・平次の目を通していかにして日本地図は誕生したのか!?伊能忠敬の足跡とその時代がよくわかる、充実の解説ページ付き!
没後200年を迎えた伊能忠敬の足跡を少年の視点で描く歴史読み物。伊能忠敬の生い立ちや、時代背景、当時の風俗、測量技術の進化など、解説ページも充実。

読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★☆☆☆

こんな子におすすめ
・天文学に興味がある
・地図や地形に興味がある
・点描画とか描けるタイプ  など

【作者のねらい】
・勤勉にコツコツ勉強する重要さを知ってほしい
・伊能忠敬の功績を知ってほしい
・急がば回れを知ってほしい
・勉強とは何のためにするのか? など

【かんたん書評】
伊能忠敬と言えば、隠居(定年退職的な)した当時でいう高齢者が、趣味で始めて習得した天文学の知識で日本地図を作ってしまった地味ながら大偉業を成した人です。
その作業工程はとにかくコツコツ。学問とは忍耐や生真面目さがないとできない事。一足飛びに結果を得ようとするとしっぺ返しをくらう。学問を追及した先にあるモノを目指すなど勉強キライな人にはなかなか耳の痛いセリフもあります。
特に四章は架空人物・平次の父親を探す旅というファンタジーが中心のフィクションになり、中学生にも読みやすいように工夫はされていますが、ウィキペディアに伊能忠敬の測量の歴史はそのまんま載っています。

『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』~あらすじ・ネタバレ~

一章 天文(所要時間3:44)

寛政十二年四月(西暦1800年6月)政治に興味がない「子だくさん将軍」家斉の江戸時代、厳しい財政と国際問題対策として幕府は蝦夷地(北海道)測量(地図作り)の命を「お試しに」伊能忠敬(56歳)は次男・秀蔵(15歳)ら6人に下した。
忠敬は隠居した5年前、天文学者・高橋至時(37歳)※に「もの好きなじいさん」として弟子入りしたが、大変に熱心・努力家で「推歩(天体観測)先生」とあだ名をつけられるほど実力を身につけた。
先に幕府から受けた暦製作を終えた至時は「次は子午線(北極点と南極点を結ぶ経線)の緯度一度分の長さを知りたい」課題があった。子午線の長さがわかれば、地球の大きさや、より正確な暦も作れる。至時は「江戸~蝦夷地くらいの距離なら信頼できる数値が出るかも」というと「じゃあ行ってきます」と忠敬が熱心に言い、幕府も許可し行けることになった。
※天文方(てんもんかた)~江戸幕府によって設置された天体運行および暦の研究機関。

測量は隅田川の千住大橋から始める。高齢の忠敬と今生の別れかも…と大勢見送りが来て「年寄りの冷や水などと笑う者もおるが、新しい事に挑むのに年齢は関係ない」と挨拶した。
測量は蝦夷地が夏の間に終わらせるには時間が押していた。
測量方法は歩測係3人が同じ歩幅で歩き、歩数を数え、距離を平均値で割り出す。カウント間違いへの注意と集中力で意外と疲れる。
千住から測量を始めようとすると12歳位の少年・上林平次が「父・彦左衛門が先発・堀田仁助の蝦夷地測量隊に参加したが事故で死んだと帰って来ないが信じられない、探しに行きたいから連れていってほしい」と懇願してきた。堀田はまじめで仕事熱心。事故の報告があるはずだ。
秀蔵は連れて行きたがり、同情した従者が自分の代わりに…と言うので忠敬自身の生い立ちも思い出し平次の同行を許した。

平次は日々の測量に疲れ切り父の夢を見なくなった。
曲がりくねる道は角度を測り、坂の勾配を記録し計算する。歩数を記録してから、梵天で角度(方位)を測る。1日十里(約40㎞)の測量で夜、足はガクガクするが音を上げるわけにいかない。
秀蔵いわく「測量なんかやるのは(忠敬は)変人」といい「佐原で商売が成功し、村の顔役として争いの仲裁や飢饉時は蔵を開いて村人救済し、拝む人までいて黙って隠居すりゃいいのに、天文方で学び始めすぐ高価な測量器具を買い、道楽とからかわれてるのに蝦夷地に行くなんて正気じゃない」という。
平次は父の生死に秘密があると感じ、同時に父亡き今、学問こそ大成の可能性がある時代に寺に入れられ何者にもなれないことを恐れた。密かにこの旅の同行で天文方関係者に認めてもらう可能性にかけていた。

父は貧乏を恥じていたが平次は逆境で学問がはかどる気がした。
夜は必ず天体観測でより測量の誤差を減らし正確な現在位置を測った。幕府は先発・堀田藩製作地図と照らし合わせるため測量許可を出した。
忠敬の「徒歩での測量方法」は経費や方法で幕府と揉めてスタートが遅れ、補助金不足で忠敬は百両(約1200万)自腹を切る事にし、宿代割引と人馬は出してもらえた。
天体観測用の象限儀は望遠鏡付きの組み立て式角度測定機で2m60㎝あるので馬二頭で運ぶ。これはえらく高価で雨に濡らさないよう、素早く観測する手順を平次は真剣に見つめるうち、星座名と角度の記録を手伝うよう命じられた。観測後みなは一日の測量と天体観測結果をまとめ地図の下書きをする。忠敬は平次にその計算の練習をさせてくれ、「計算が丹念」と褒めてくれた。

高橋至時は忠敬から彦左衛門の事故の件について手紙をもらい、仁助から事情を聞くと蝦夷地・厚岸手前の海岸沿い測量時、飛んで行った記録紙を取ろうとして崖から落ちたという。だが遺体は見つからなかったと言う。嘘をついているとは思えないが表情は暗かった。
幕府は岩手から蝦夷地までの航路を引きたいと考えたのに、仁助隊も航路ではなく陸路で帰ってきたのを良しとしなかった。海外と鎖国している幕府は近年はロシア船が蝦夷地で通商を求めるが、蝦夷地侵略の可能性を疑い警戒と調査も含めた政策の一つが測量だった。


二章 測量(所要時間2:05)

一行は木々の多い奥州街道まで来ていた。当時江戸周辺は材木は建材で近隣の山の木は伐採されていたのだ。
幕府は蝦夷地経営に力を入れている様子を忠敬が話すと、秀蔵はもうけ話を教えてと笑い話になる。
陸奥国(青森、岩手、宮城、福島)に入って3日目、平次は疲労で足を踏み外し池に落ちてしまった。測量記録を濡らし一部記録を失った罪悪感と責められず子供扱いされている事でより心の痛みは増し、挽回する事を胸に誓った。

寛政十二年五月十日(西暦1800年7月)一行は津軽半島の最北端に到着。ここから津軽海峡を船で渡り蝦夷地の箱館に向かう。ここまで20日かかり平次は足のまめを何度もつぶし、何足もぞうりを取り換えた。
航海に不向きの東風で足止めされ、4日目には無風になり海を渡れない。みんなが暇つぶしの留守の間、汚した測量記録を無理に書き直し報告はしなかった。
ところが足止め6日目に忠敬が「記録を映したのは誰だ」「読み取れない数字を書き込むなど言語道断。測量する意味がない」と激怒した。平次が固まっていると、秀蔵が自分がやったと名乗り出て帰るようにいわれてしまった。秀蔵が平次をかばってくれた事に涙を流して座り込み考えこんだ。

平次は忠敬に白状しに行くと忠敬は平次の字だとわかっていて「おまえは学問を何と心得ている」「身を立てる(仕事を得る)手段か」と説教し学問の方向が間違っていると指摘した。「学問では予想と観測結果が違うことはいくらでもあり、それがなぜか考える事から学問が始まる」「小さなこと、ほかに影響がないといい加減なことをしたらクセがつく。基本をおろそかにせず、コツコツ努力するのが肝心」「ひとつでもでっちあげたら、記録全体が信用のおけぬものになる」と説教した。今回は平次も秀蔵も不問に付すことにし「失敗から学べ」と言った。
その夜は星が出ていて「はるか昔西洋の学者が『学問に王道なし』と言った。近道をしようとするとしっぺ返しをくらうぞ」と言われ、平次は一歩ずつ歩くことで、たどり着ける場所がある。自分もそこに行きたいと思った。

天候回復を待ちきれないと五月十九日に無理に出航。大揺れの東風でみな船酔いし吉岡で降りそこから歩いて箱館についた。箱館は対ロシア人政策で蝦夷地を取り仕切る幕府役所があり緊張した雰囲気だった。


三章 蝦夷地(所要時間3:45)

五月二十八日、函館に来て天候不良と役所の手続きで6日目足止めされていた。しかも大方位盤の部品も無くし平次は焦ったが秀蔵いわく「忠敬が使いにくいと言ってたので荷物も減らすためわざと置いてきたのでは?」と忠敬の真面目一辺倒だけでない商売人のしたたかさな一面があるのを感じた。
だが帰りたいと言い出した従者にはこれまでの給金と路銀も渡し、他に脱落者を出さない配慮を感じた。
箱館での測量は”間縄”という棒に麻縄を結びつけた距離を測るものだが、時間がかかりすぎると問題になった。だが歩測は信憑性が間縄より低い。しかし間縄の縄自体がダメになり途中で引き返しては幕府の命を果たせない為、確実に遂行できる歩測を選んだ。

六月一日、忠敬は蝦夷地の測量家・村上島乃丞(37歳)を訪ね蝦夷地探検隊をしていた経験から助言を求めに行った。
島乃丞は蝦夷地測量は自然や環境との闘いだと言い、島乃丞が作った地図を提供してくれた。そして紹介したい男として夜の宴会に間宮林蔵(21歳)を紹介した。後に樺太探検した林蔵は忠敬に測量器具の使い方を学び、江戸幕府に報告に行った際は忠敬とも交流した。その後、幕府隠密(江戸時代の探偵。忍び)として密貿易調査や外国の動向調査など活躍し、シーボルト事件も幕府に伝えている。

測量はなるべく海岸沿いを歩く。蝦夷地南側は海岸線は入り組んでいないが歩きにくく体力を消耗する。特に岩場は這うように慎重に下り手足は傷だらけになる。荷馬が通れない道や川を泳いで渡ったり、困難な地形が多く和人に反感のありそうなアイヌの不愛想な案内で不安になるなど、歩測が困難な代わりに天体観測に力を入れた。
七月二十五日、苦難続きの一回目の蝦夷地南側の測量の旅は行程の8割に達していた。宿泊地昆布森の村人は「ロシア船をよく見る」「和人がさらわれる」噂があると言う。
〔本格的な測量事業へ〕
1回目の蝦夷地測量は南側しか行けず、忠敬はやり直したかったのですが、地図は幕府、師匠からも高評価を得ます。忠敬は松前で船を買い寝泊まりしながら蝦夷地の西海岸~東海岸、択捉島を測量したかったのですが認められませんでしたが幕府は引き続き日本の測量の命を下し、幕府公式「御用」として待遇も良くなりました。
・1801年第二次測量 関東地方,東北地方東部/伊豆(三浦半島)~三厩
・1802年第三次測量 東北地方西部/三厩~直江津
・1803年第四次測量 東海地方,北陸地方/沼津~太平洋沿岸,日本海側、敦賀~佐渡島
1804年に「日本東半部沿岸地図」を製作し、将軍家斉も閲覧する名誉もあり次の西日本測量は幕府一大事業となり第八次測量まで行われ、間宮林蔵の蝦夷地北側測量も合わせ、日本地図が作られました。

平次は父が落ちた崖を見たいと願い、忠敬は間縄を腰に結び付けて見に行かせた。草木の茂る地面は傾斜して海に続き急に崖になっている。
崖のギリギリに腹ばいになり崖下を除いても、痕跡もなく落ちた者が助かる可能性もないと現場を目にしてわかり父の死を「納得できそうなんです」と答えたが、それで終わらなかった。
七月二十九日一行は船で厚岸村に到着。幕府詰所の役人に怪しい船を見なかったか聞かれた。春先に択捉島にいたロシア船に和人が乗っていたという噂があると聞かされた。だが住民からさらわれた訴えもない。ロシアとの関係も良くない時代、千島列島や樺太など領土権の曖昧な地域での小競り合いも起きているし気に止めるように言われた。その和人から「平次の父親じゃないか?」と言われ動揺した。。

八月四日厚岸から根室までは道が開かれてないので舟で天体観測だけで調べた。ところが舟は2日も遅れ、鮭漁の季節で住民は西別に集まっていて、舟も出払いすぐ出せないと言われ「ここまでにして帰ったらどうか」役人はすすめた。忠敬はこれ以上日数をかけられる季節ではないと判断し測量はここで切り上げることにした。
平次と秀蔵は和人の情報を集めに現地のアイヌにたずねると「てんもんかたの人宛て」の板切れを渡してきた。そこには「上林彦左衛門」と父の字で書かれそこには「魚の神より壬に二里二十町」と距離と方角が書かれていた。
 

四章 地図(所要時間2:11)

八月十一日、一行は川を下る舟に乗り例の板切れのことを考えていた。
忠敬は平次の父がどういう目的で、なぜアイヌに頼んだか?いつ頼んだか?歩測のない時に考えてみろと言われた。
秀蔵と推理した結果「神の魚」が地名ならアイヌが詳しいと言われ、聞いてみると「厚岸湾に出たデカい魚ピラッカムイ(崖の神の意味)」の伝説を話しある崖になったのがピラッカムイ=パラサン岬と呼ばれ、『神の魚』をあらわす場所ならあそこかも…と言う。

バラサン岬を測量する事になった。「魚の神(バラサン岬)より壬(北北西)に二里二十町」壬(北北西)に目印となる木を見つけ平次、秀蔵、忠敬の3人は向かってみた。木の根元には木の棒が突き刺さっていて、引き抜いた土の中には人の頭くらいの大きな石が出てきた。石の下には小さなカメが出て来て中からは折りたたまれた3つの紙の束。ひとつは「封のされた手紙」「封のされてない手紙」と「2枚重ねの地図」で一枚は厚岸付近の地図と蝦夷地南部の地図。忠敬いわくロシアのモノだという。そして封のされていない手紙は父からのモノで「封のされた手紙を家族のもとに届けて欲しい」と書いてあった。

「手紙が読まれるころ私が生きているかどうかはわからない」から始まっていた。
彦左衛門は崖から落ち奇跡的に流木につかまり海に漂っていたところを、蝦夷地測量に来ていたロシア船に助けられたのだ。助けられた限りはロシア人に恩を返すべく日本の事を教え、日本に帰っていいとロシア人は言うが一族や堀田様まで罰せさせるわけにいかない。このまま死んだことにしていいという。
「長男は跡継ぎになれるが、平次の行く末を案じたが、今は努力で身分の壁も乗り越えられるかもしれないと考えている。異国の船に乗っている私(父)のように、この世ではありえないようなことが起こる」と書かれていて平次は蝦夷地に来た事、学問に真剣に打ち込む意思を固めた。感動に浸る間もなく、巨大な人食いクマが現れ3人は走って逃げる事にした。

平次はクマに襲われたが、アイヌが仕掛けたわなにかかり助かった。
八月十三日、平次はクマにやられた背中の傷は浅く日程に余裕もないので旅をつづけた。父の件は忠敬、秀蔵ともに誰にも話さないと約束してくれた。
忠敬に今後の身の振り方を聞かれ、秀蔵に「家に来い」と言われたが父に会える淡い可能性や、アイヌ文化への興味から「蝦夷地に残りたい」という思いが沸き起こった。忠敬は村上島乃丞に口をきいてくれ、九月十日村上氏も人手が欲しいと受け入れてくれることになった。
平次はそのまま蝦夷地に残り、兄への手紙を忠敬にたくし忠敬一行は江戸へ帰っていった。

『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』読書感想文の例文と書き方のポイント

読書感想文・書き方のポイント

この本は実在した伊能忠敬の地図作りの功績を紹介しながら、読者対象の中学生が読みやすいように平次という少年の物語を組み合わせた半フィクションです。

おそらく本書企画段階で「青少年向けに教育効果のある伊能忠敬の史実」を目指したのだと思われます。
つまり読書感想文を書く際は、その大人のもくろみに乗っかる事で「この本を通じて勉強する意欲がわきました」の一言が必要になります

また、結論をそこに持って行く途中に本書の「興味を持った事」を書くのもおすすめです。
●本書で知った江戸時代の歴史
・将軍家斉の時代の歴史
・日本地図政策の歴史(堀田仁助、村上島乃丞、間宮林蔵)の功績
・江戸時代の天文学について
・当時の経済や林業
・シーボルト事件について 
などなど、興味がわいた歴史についてとか

『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』読書感想文・例文(2035文字)

下記の読書感想文・例文は「読書感想文の書き方のポイント」に合わせて書いています。
課題の必要文字数は1200文字です。

本と出会ったきっかけ
本の簡潔な説明
なぜ面白かったのか
心に残ったところ
本を読んでわかった事学んだこと変わったとこ

読書感想文・例文(2035文字)
本と出会ったきっかけ
伊能忠敬と言えば日本で初めて地図を作った人という事で有名です。当時の平均寿命から考えてもものすごい偉業とされていますし「大河ドラマにしたい」と地元千葉県香取市の人が希望している話も聞いたことがあります。その伊能忠敬の伝記とタイトルの「星の旅人」の星ってなんのことだろう?と疑問に思ったのが本書を手にしたきっかけです。
本の簡潔な説明
この物語は平次という一人の少年が行方不明の父を探す名目で、蝦夷地測量に行く伊能忠敬に便乗し日本地図を作るという旅の経験を通して「学問はなぜするのか?」を知り、父からの「学があれば身分の壁も越えられる」「この世ではありえないようなことが起こる」との気持が伝わり、人生の希望、学びたい事を見つけて、一つ大人の階段を上るという物語です。
なぜ面白かったのか
この物語で興味深くおもしろかったのは、江戸時代のお侍さんが政治や国の事業としての地図づくりや外交問題対策にも取り組んでいたという事実です。
将軍職を今の仕事に例えると「軍部の長」もしくは「内閣総理大臣」との見解があります。ですが本作の将軍家斉は職務放棄して子だくさん将軍でいた事に「もしかして意図的な政治不参加なの?」と思ったり、老中・松平定信が解任させられたり江戸時代も政治・外交問題などで国を動かすことは難しかったんだなとつくづく感じました。そんな厳しい時代に測量学術が幕府に認められ、国家事業を任命された地図作りは、伊能忠敬にとってものすごい名誉と責任と重圧のある人生の一大事です。
これは5年間天文方で勉強しただけではなく、婿養子という立場から商売を成功させた人生経験がこの数年がかりの国家プロジェクトを伊能忠敬が引き寄せた仕事なのではないかとさえ思いました。
心に残ったところ
なぜそう思ったかというと、心に残った伊能忠敬のセリフに「おまえは学問を何と心得ている」「身を立てる(仕事を得る)手段か」と平次が将来良い仕事に就くために学問を身につけたいと欲する気持ちを間違っているとしたところです。
平次は忠敬に言われるまで、学問をイヤイヤやってはいませんし、むしろ貧乏のハンデをバネにして意欲的に学んでいました。それの何がいけないのだろう?と将来のため、生活の為、自分の明るい未来のために勉強するのがいけないことなのか?と思いました。
ですが、それでは人生にほころびが出てしまうというのが忠敬のこれまでの人生経験から出した考え方なのです。
平次がやった事は「手段が目的化」したことで、測量するために正しい数字を入れなければならないモノを、ミスを取り返すためにだいたいの数字をいれれば良いやと記録紙の穴埋めを優先し、本来の測量のための正しい数字が必要な事を意識しなかったということです。
一つの数字のミスをそのままデータで使用した地図は正しいものになるどころか、それは不正でありもし地図が完成してからバレた時に大変なことになります。
『近道をしようとすると、必ずしっぺ返しをくらうぞ』との指南は、その場を丸く収めることを意識し、本来の大きな目的を見失うと結果として大失敗するぞということなのです。
本を読んでわかった事学んだこと変わったとこ
よく「人生には乗り越えられる試練しか来ない」と言いますが、仕事も誠実な仕事ができる実力とその困難を乗り越えられる人じゃないと大きな仕事はやってこないのかもしれません。
みんなそれぞれ夢があります。今年の3月に子どもたちを対象に行われた「将来なりたい職業」アンケートでは、小学校高学年男子は『YouTuber』が1位というデータもあります。子供たちが明るく楽しい世界、その主人公になりたいという気持は夢があっていいのかもしれません。
ですが、YouTuberよりもっと楽しい夢を手にしたのはYouTubeのシステムを作った勉強を極めて一流大学を出た人たちです。
YouTuberとしてアクセス数にあくせくするのではなく「地球の総人口の何%がYouTubeを見ているかな?」とこの星をまたにかける仕事をできる人もいるのです。彼らは「こんなのあったらおもしろいよね」という夢をもっていたのは間違いありません。誰かの手のひらで踊るよりずっと面白い人生になりそうな気がします。
「そんな大それたこと自分にはできない」「将来の夢は別にない」と言うのは『YouTuber』になりたい小学生同様に現実も勉強の面白さも知らないという事だと思います。勉強をつづけた時に難しくてつらい気持ちで凹む気持になる事はよくあります。でも「これって何だろう」」と思う気持が芽生えた時、その科目の世界こそが人生の道しるべなのだと知りました。
自分の可能性を信じられるようになるには、勉強を通して「自分は何が好きでどんな可能性があるのか?」という自分を知る事にあるのだと思います。
天才じゃなくても忠敬のように、コツコツ続けて身につけたら誰にもマネできないスゴイことが何歳からでもできると信じ、突き進む事。勉強して自分に期待する事、自分を世界に羽ばたかせる事こそが世界一、
夢のある話のような気がしました。

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『星の旅人~伊能忠敬と伝説の怪魚』読書感想文・その他おすすめ指定図書

読書感想文・用紙と字数のルール その他の詳細
原稿用紙を使用し、縦書きで自筆してください。原稿用紙の大きさ、字詰に規定はありません。
文字数については下記のとおりです。
中学生 本文2000字以内・・・原稿用紙400字詰め5枚 
※句読点はそれぞれ1字に数えます。改行のための空白か所は字数として数えます。
※題名、学校名、氏名は字数に数えません。

応募のルールについての詳細はこちら⇒ 「青少年読書感想文全国コンクール応募要項」
  

【読書感想文2019】中学生の課題図書あらすじ・簡単おすすめ本の選び方


【ある晴れた夏の朝/あらすじ・ネタバレ】読書感想文の書き方のコツ・ポイント
(偕成社)
著者:小手鞠るい・著
本体価格:1,400円
ISBN978-4-03-643200-4


「サイド・トラック:走るのニガテなぼくのランニング日記」 
(評論社)
著者:ダイアナ・ハーモン・アシャー・作 武富博子・訳
本体価格:1,600円
ISBN978-4-566-02459-5

読書感想文の裏ワザ

どうしても簡単に感想文を終わらせたい場合は、昨年の課題図書の本がオススメです。前年の課題図書はすでに感想文を書いている人がいるので参考にできるからです。

【読書感想文2018課題図書】中学生向け簡単な本の選び方


「一〇五度」・・・【自分とくらべられる本】進学・就職、職業
「太陽と月の大地」・・・【知らない事が書いてある本】歴史・伝記
「千年の田んぼ」・・・【知らない事が書いてある本】歴史・伝記

どうしても読書感想文を書くのが、本を読むのが苦手!という人は昨年の課題図書を参考にしても良いでしょう。なぜならばもう感想文が書かれていますので参考にすることができるからです。昨年の本もなかなか手ごわい3冊でした。


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