【平和のバトン】あらすじ・ネタバレ読書感想文の書き方・例文

こちらでは
2020年「第66回 青少年読書感想文全国コンクール」
中学生の課題図書の「あらすじ・ネタバレ」
読書感想文の書き方のコツ・ポイント
をご紹介いたします。

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【平和のバトン】あらすじ・ネタバレ 
【平和のバトン】読書感想文の書き方・例文 
【2020年読書感想文】中学生の課題図書
うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!

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【平和のバトン】あらすじ・ネタバレ

 

読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★★☆☆

こんな子におすすめ
・戦争や原爆などの問題に興味がある
・広島に住んでいる
・被爆者の人が知り合いにいる
・絵を描いている

【平和のバトン】~あらすじ・ネタバレ

作品概要
原爆が投下されてから、75年近くになろうとしています。
やがて、被爆者がこの世からいなくなれば
記憶は失われていくでしょう。
「このままでは、原爆のことが忘れられてしまう」と
勇気を振りしぼって話しはじめた被爆者の声を
そして見た光景を、美術を学ぶ高校生が絵にして記録する
「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトが、2007年にスタートしました。

 
第一章 時が止まった八月六日

1945年8月6日
当時、中2の山根政則さんは陸軍敷地の草むしり中でした。
B-29が何か落としすぐ逃げたあと
「ピカッ」と光り世界は真っ白に…。
「アチチチ」と顔と左手は熱線で焼かれた鋭い痛み
耳をつんざく轟音に猛烈な衝撃波。
数メートル飛ばされ気を失いました。

目を覚ますと同級生たちはもがき苦しみ
顔の皮膚が垂れ下がってる者。
焼け太り、顔がパンパンになり性別もわからない
1年生は全員死亡と地獄の光景でした。

なんとか家に帰ると原爆雲が立ち上り
ヒロシマの街は消えていました。
爆心地半径500mにいた2万1662名は即死
その年の終わりまでに14万人が死亡し
広島市の約半数が殺されたのです。

奇跡的に生き残った人々は罪悪感から
この経験を語らず亡くなる人もいました。
それでも亡くなった人の無念を無駄にしない為に
語り出した人は言います。
「うちらは、アメリカ人を憎んじゃおらんよ。
でも、けっして忘れはせん。」

2007年、被爆者の声をそして見た光景を
美術を学ぶ高校生が絵にして記録する
「次世代と描く原爆の絵」プロジェクトがスタートしました。
「彼らが記憶している情報を忠実に再現するのが基本です。
人により原爆は「真っ赤」「白かった」と違いもあれば
ですが残酷すぎるのでぼかしてほしいという人もいます。
「原爆の絵」はどれも証言者の見た地獄絵です。
被爆当時は10代だった証言者の記憶を
現代の高校生が「記録」する平和の意味を考え
“あの日”をくりかえさないための絵が
「次世代と描く原爆の絵」です。

第二章 キャンバスに刻まれた記憶

画家になりたかった児玉光雄さん(当時中1)
教室でまんがを持ってきた同級生の元に駆け寄った時に
原爆が爆発しました。

光雄さんら150名中、50名はがれき下敷きで即死。
100名は原爆症で数日内に死亡。
光雄さんは、がれきから脱出し10人ほど同級生を
助けますが親友は大きながれきの下にいて
プールまで人を呼びに行きますがそこも
地獄の光景です。

親友を助けられないまま火が上がり
助けを求める悲鳴は死を覚悟した中学校歌に変わりました。
光雄さんは泣きながら実家に帰るも
急激な原爆症で生死をさまよいました。

助かったのは19名、今は光雄さんともう1人しか生きていません。
親友を見捨てた後ろめたさで、その場面は語れずにいましたが
やはり彼らの供養のために「原爆の絵」に参加を決めました。

担当する室星理歩さん(高2)と『プールサイドの惨劇』を描く事となり
絵心のある光雄さんは細かい手直し指定しますが
3か月過ぎるとあ・うんの呼吸になり共作のように完成。
室星さんはあらたな“証言者”となりました。

光雄さんは染色体が5か所切れ、60を過ぎてから
21回ガンになりましたが、22回目のガンは手術は断念し
絵の証言も辞退しました。
ですが生きられる限り放射能の危険性を訴え続けるそうです。

第三章 いのちの水と黒い雨

絵を担当する市川月穂さんは被ばく3世ですが
軽い気持ちで参加を決めました。

選んだのは小倉佳子さんの「黒い雨」の話です。
原爆で生じたきのこ雲が振らせた黒い雨には
土やススと共に放射性物質が含まれ原爆症になるのです。

8歳で被爆した佳子さんのお父さんは大変几帳面で
原爆投下の前年に広島郊外に引っ越しを決め
当日も「イヤな予感がする」と佳子さんに
学校を休ませおかげえ家族はケガはしても命は助かり
唯一、登校していたお兄さん(第一章の山根政則さん)は
何とか帰って来て重大さを語ります。

好奇心の強い佳子さんが近所を見に行くと黒い雨が降ってきて
近所の神社に避難しに来た被ばくした人々で埋め尽くされ
苦しんで水を求めた人に水を飲ませたとたん
グエッと吐き戻し、叫び声をあげて死んでしまい
善意でした事でも人を死なせてしまった罪悪感は
家族にも言えないトラウマになりましたが
友人に語る事で立ち直れました。

大人になり結婚した夫の馨さんが平和記念資料館館長で
若くして亡くなったその遺志を継ぐために40を過ぎて
英語を学び世界を股に外国人へ被爆体験を語っています。

絵のテーマ『自他祐の前で黒い雨に遭う自分』
佳子さんの話は自分と同じような人々の
ありふれた日常の中で何を恐れていたかを知ることとなりました。
月穂さんは原爆への怒りが強まったといいます。
佳子さんは同じ経験はなくても想像力があれば
同じ想いは分かち合えるといいます。
 


第四章 ある家族のこころの旅路

宇都宮未来さんの祖父・功さんは中3で被爆しました。
その日、厳島神社に近い包ヶ浦で作業中でした。
空には原爆雲、夕方には浜辺に真っ黒の遺体が
広島から流れてきて、対岸の広島は真っ赤に燃えていました。

翌日から3日間の休暇で
母、おじと広島に入り探し回りたくさんの遺体を見ました。
同じ年頃の少年がにらみつける目線を感じ
近づくと片目はキラリと光りもう片方はつぶれて
すでに死んでいました。
悔しさと無念さを感じて、いたたまれなくなった経験で
『脳裏から離れないあの子の眼』が描かれました。

功さんの家では戦争や原爆の話はふれられないタブーでした。
被ばく者差別や原爆症の遺伝への懸念もありましたが
逆に平和ボケに不安を感じ、妻にも誘われたので
80歳から語り部を始めました。
未来さんのメンタルを気にしましたが
次第に祖父母をカッコ良く思い手助けの意味でも
プロジェクト参加を決めました。

家族だからこそ話の聞きづらさや記憶の曖昧さ
未来さんの表現力に
「なぜわからない」とイラつく事もありました。
ですが未来さんが「亡くなったひとりひとりに人生があった」
そう理解してから絵の表情に動きが出てきました。
この絵は功さんにとっての戦争、未来さんの家族の歴史の一部となりました。
 


第五章 お父ちゃんとの記憶

中学3年14歳だった梶本(旧姓木村)淑子さんは勤労奉仕中に
原爆に見舞われました。
がれきの中からケガだらけではい出し、同級生の肩を担ぎ逃げました。
途中、道にはいくつもの遺体やちぎれた腕を手に持った少年が
目の前で倒れて死ぬ異様な光景でも死体をまたいで無心で
逃げること優先だった。

父・幸造さんはその時代ではめずらしいほど一人娘を
溺愛する人で三日三晩淑子さんを捜し歩き道端で
出会えた時に泣きながら抱き合った姿が作品の『再開』です。
「被ばく3日目ボロボロで生き残り皆、心打ち砕かれているのに
空は何事もなかったように真っ青に晴れ渡っていて、とても悲しかった」
その対比を描いたものです。

幸造さんは遺体焼却ボランティアに回り1年後吐血してから
「原爆症」あっけなく亡くなりました。
父から弟3人をたくされ、母も寝込むようになり家計のため
水で空腹を満たし働きづめました。
淑子さんは原爆を心から憎んでいましたが70になった時
中学生の孫娘に勧められ証言者をはじめたものの
最初な記憶を口にすると震えるほどつらく一時離れた時期もありました。
ですが、ある時の講話後ひとりの米国人高校生が泣きながら
「わたしたちがしたことを許してください」と言われ
この子が悪いワケじゃないと憎しみの心が癒えていきました。

奈津美さんは『再開』を描いてから10年たった今も
証言者が亡くなった後、これらの作品がどのように扱われるか
見守り、今後も核兵器の恐ろしさを伝えていきたいといいます。
それは奈津美さんが淑子さんから受け取ったバトンでした。

第六章 過去と未来をつなぐバトン

『次世代と描く原爆の絵』は広島平和記念資料館から
広島市立基町高校創造表現コースの生徒への申し出で始まりました。
ボランティア活動として単位もバイト代も出ず
原爆という重いテーマを描く取り組みに
当初の参加者は「わたしたちでいいのかな?」と手探りで
始まり、納得いかない生徒は翌年も参加するようになり
その経験を「人に役立ててうれしい」と言います。
もちろんむごい絵を子供に描かせることへの反対意見も
あり、参加希望者には「生半可な気持なら止めなさい」と
言います。
ですが、リタイアした生徒はいません。
進学とは別の社会勉強となり年々希望者も増え
参加してたくて基町高校に入学してきた子もいます。

卒業し過去の経験と思っていた生徒も、ふと自分の作品を振り返り
自分が大きな影響を受けていたと気づきました。
その時の証言者・児玉光雄さんを描きたいとガンの部分を示した
作品を2年がかりで描き、元気に見える児玉さんと広島の街も
被爆の傷跡は残されていると思いました。

担当の橋本先生は「相手を思いやり、敬意をもって接する
素直な気持が平和の基本だと思っています」
生存する被爆経験者は広島市人口の約2,5%です。
原爆が投下された当時放射能の影響で75年は草木も生えないと
言われていたのが、今では120万都市になりました。
平和が当たり前と思って生きている現代、平凡な高校生たちが
数十年前に日本でも起きた現実の歴史を平和のバトンとして
つないでいます。

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【平和のバトン】読書感想文の書き方・例文

【読書感想文の応募要項】
・中学生の部 本文 1200字以内
(作文用紙400字×5枚)

 
読書感想文コンクールの入賞した子は
原稿用紙3枚2000字きっちりに書きます。

 読書感想文の書き方

    ・この本を選んだきっかけ
    ・簡単なあらすじ
    ・感想、疑問点など
    (特に面白かったところ、感情が動いたところ)
    ・自分の意見、似たような経験談
    ・本を読んでの意見
    (本を読んで学んだこと、自分の意見、今後の生活に生かしていく。など)

あらすじは簡単でもいいですが
・自分がどう感じたか?
・本を読んで何を感じ、今後にどう生かすか?
は重要です。
また「似たような経験」の自己開示がある感想文は
なぜか評価が高いです。

—–感想文書き方ヒント—————————————
【感想、疑問点など】
・証言者の話はきっともっと惨たらしく恐ろしいモノなのだと思う。
・この本は読むのに勇気がいりました、人間は痛い話や怖い絵を見て拒絶感を感じるのは想像力があるからです。
「痛い思いを想像でもしたくない」から原爆の話は歴史になるのです。むしろこの本を読むのに必要なのは共感力だと思います。

【自分の意見、似たような経験談】
・あまりに悲惨な光景を見続ける事で感情がマヒする経験は、歩いていても心が死んだ状態だったのだろうと思います。
・証言者となった人は被爆者の方のほんのわずかな人々で語れないまま亡くなった人々も沢山いたのでしょう。

【本を読んでの意見】
・生き残った人と亡くなった人の差は運でしかないと思った
・語り部の生きた証人は、思いの伝承者を作りたかったのだと思います。
・世界で唯一の核被爆国である日本の経験は世界的にも貴重です。バトンは次々に引き継ぐためにどうするのが最も良い方法なのか?課題だと思います。

自分の中で感想文をまとめる時のポイントとして
書いてみたい題材をいくつかあげてみると楽!
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【平和のバトン・感想文例文~文字数1366字】


2020年は戦後75年になります。
この本は広島の核爆弾による被ばく者の方の経験談を
高校生が絵画にする『次世代と描く原爆の絵』プロジェクト
について語られた本です。
それぞれの語り部の方の惨たらしい被爆体験を
普通の女子高生がなるべく忠実に絵にしていく事で
原爆の経験を次世代にバトンのように渡す作業です。

広島県は原爆投下で2万1662名が即死
その年の終わりまでに14万人が死亡し
広島市の約半数が殺されました。
阪神・淡路大震災の犠牲者は6,434人
東日本大震災の死者は1万5899人。
悲劇を人数で比べるわけではありませんが
広島の原爆がどれほどの悲劇だったかがわかります。

その広島が「75年は草も生えないだろう」と
言われていたのが今や120万都市のとても
穏やかな街並みを山と瀬戸内海に囲む
美しい街になりました。
それでも原爆ドームだけはあの日のまま
痛々しい姿でたたずんでいるのに
広島県の高校生たちですら原爆は
“歴史”になりつつあるのです。

被爆者の方々や広島県のもっとも恐れる事は
あの戦争や原爆が霞のかかった歴史になることです。
事実であっても遠い過去になると痛みや恐怖を忘れた先に
何が起こるか?を恐れているのです。

ではなぜ戦争と原爆が忘れ去られようとしているのでしょうか?
自分はその理由として「悼み」を受け止めきれないからだと思います。
本書の中で「想像力があれば同じ想いは分かち合える」
という被爆者の方もいましたが、想像力は実はみんな持っているのです。
想像力を心で受け止める力、勇気がないから歴史になるのだと思うのです。

被ばくして友人を抱えながら家路についた淑子さんは
死体だらけの地獄のような街を無感情になり
死体をまたぎながら歩みました。
それは、人が痛みや恐怖から心を守るための防衛本能です。
でも怖いから聞きたくない、見たくないものほど
しっかりと見つめないとならない重要な事なのだと思います。

平和の時代に生まれ育ち、戦争のむごい話を受け止めるのは
心の体力がいります。
描き手の高校生たちは「自分たちでいいのか?」と
躊躇したのは触れるにはあまりに重く重要な話だからです。
語り部の経験を受け止め我が事のように取り入れる
使命感のような覚悟と受容の心が必要なのです。

もちろん語り部人に恨みの心を持つ人もいましたが
米国高校生が泣きながら謝った事で
「この子が悪いワケじゃない」と憎しみの心が癒えた人や
2016年5月に当時アメリカ合衆国オバマ大統領が
広島を訪問し謝罪はしませんが犠牲者に哀悼の意を示し
平和を希求し、核兵器廃絶を訴えました。
「うちらは、アメリカ人を憎んじゃおらんよ。
でも、けっして忘れはせん。」
こう言った語り部の方もいます。
恨む事、憎む事、被害者であり続けるのは
自分を惨めにしかしない。広島が復興できたのは
被ばく者の皆さんが前を向く強さで立ち上がったから
と思うと、涙が止まらなくなるのです。

被ばく者の方が望むのは謝罪ではなく
「この苦しみを他の人に味合せたくない」です。
原子爆弾がどれほど危険かを伝えたいのです。
それを語れるのは世界で日本人という民族だけなのです。
あれらの絵を見た時、原爆ドームを見た時
「絶対平和を守らなければ」と自分は自然と強い信念のように
思いました。
自分自身の中で小さくても強い思いを原爆を止める抑止力として
持ち続けようと思います。

【2020年読書感想文】中学生の課題図書

【11番目の取引】

内容紹介
アフガニスタン難民のサミと祖父の生きる術であり、心の拠り所だった伝統楽器ルバーブが奪われた! 買い戻すには1か月以内に700ドルが必要だ。サミは友だちの助けを借りて自分の持ち物で物々交換を始める。たった1か月の間に700ドルを稼ぐという試みは果たしてうまくいくのか。サミと祖父の関係、過去の出来事、家族のことなどは、サミが苦心惨憺する過程で、回想の形で効果的に挿入される。サミという人物と、アフガニスタンでの幸せな日々や衝撃の出来事が段々に明らかになっていく巧みな構成に、ページを繰る手が止まらなくなるだろう。本作品は作者のデビュー作であり、代表作になるに違いない秀作である。

  
 

【11番目の取引】あらすじ・ネタバレ・読書感想文の書き方と例文


 
読みやすさ ★☆☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★☆☆☆

こんな子におすすめ
・音楽が好き
・本が好き
・イスラム教に興味あり
・おこずかい稼ぎに興味がある
・トラウマのある人の心情を知りたい
・国際問題に興味がある

【天使のにもつ】


https://a.r10.to/hIXcKs

内容紹介
「たのんでまでして、なんで仕事しなきゃなんないの?しかもタダで」
そんな中学2年・斗羽風汰が職場体験先に選んだのは、保育園だった。
「子どもと遊んでりゃいいってこと?ありかも」
なんも考えてないんだ。
あいかわらずアホだよなあ、風汰って。
風汰って、いーかげんなのか、まじめなのか、ビミョーだよな。
ふうたくん、すき。ふーたくん、またおこられたー。
斗羽風汰君、おもしろい子ね。
・・・本当に大丈夫なのか、斗羽風汰。

【天使のにもつ】あらすじ・ネタバレ読書感想文書き方

読みやすさ ★★★★☆
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
こんな子におすすめ
・職業体験について知りたい
・幼児など小さい子供が好き
・教育関係の仕事、先生や保育士などになりたい
・親子関係などわだかまりがある


読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!

読書感想文の書き方にも“正解”があります。

入賞作は審査員が気に入る読書感想文は
まじめで真剣に本のテーマを考えている
「とても正しい優等生な意見」が書かれています。

それを「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」
と先生方は判断するからです。

自分なりの意見があっても反抗的だったり
「いいと思います」「すごいと思います」などの
単純な感想ではいい点数をつけてくれません。

何をいいと思うのか?
前年の課題図書の読書感想文全国コンクールの
入賞作品を参考にすると書き方のコツが身につきます。

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