【線は、僕を描く(映画化・小説)】あらすじネタバレと感想とおすすめ度

内容紹介(出版社より)
「できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ」
両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、
アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。
なぜか湖山に気にいられ、その場で内弟子にされてしまう霜介。
反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけての勝負を宣言する。
水墨画とは筆先から生み出される「線」の芸術。描くのは「命」。
はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、
線を描くことで回復していく。そして一年後、千瑛との勝負の行方は。
第59回メフィスト賞受賞作。

「映画」【線は、僕を描く】は、水墨画家で小説家の砥上 裕將氏の小説です。
2022年10月21日より映画公開予定で、監督は「ちはやふる」シリーズの小泉 徳宏氏です。水墨画というあまりなじみのない芸術分野の特訓に1年をかけた主演の横浜流星さん。水墨画の世界の美しさや主人公・霜介の心の成長を感じさせる感動の物語です。

こちらでは
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【線は、僕を描く】登場人物と小説・映画のキャスト 
【線は、僕を描く】原作あらすじネタバレ
【線は、僕を描く】映画・小説おすすめ度と読書感想文

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【線は、僕を描く】登場人物と小説・映画のキャスト

【線は、僕を描く】登場人物


青山 霜介(そうすけ):横浜流星
大学生。両親を交通事故で失い、喪失感中。アルバイト先で水墨画の巨匠である篠田湖山に声をかけられ内弟子となる。

—–水墨画———————————————
【湖山会】
篠田 湖山(しのだ こざん): 三浦友和
水墨画の二大巨匠のひとり。展覧会会場にいた霜介を気に入り、半ば強引に内弟子にさせる。とぼけた先生だが水墨画に真剣

篠田 千瑛(しのだ ちあき):清原果耶
湖山の孫で、花卉画を得意とする水墨画家。絶世の美女だが気が強いお嬢様で霜介を内弟子にしたことに激怒し、「湖山賞」をかけた勝負を宣言する。

西濱 湖峰(にしはま こほう):江口洋介
風景画に定評のある湖山門下の1番弟子。親しみやすく気のいい雰囲気のお兄さん的存在

斉藤 湖栖(さいとう こせい):?
湖山賞最年少受賞者で湖山会2番弟子。機械のような完璧な技術の持ち主。

【翠山先生】
藤堂 翠山(とうどう すいざん):富田靖子
湖山も一目置く水墨画の二大巨匠のもうひとりで「湖山賞」審査員。静けさの中に威厳がある人物。喪に服している。

藤堂 茜(とうどう あかね):?
翠山の孫娘。西濱さんのご執心の人。

——大学のゼミ仲間————————————
古前(こまえ):細田佳央太
自称、霜介の親友。いがくり頭にいつもサングラスをかけているため胡散臭い。わかりやすく個性的なセンスがある。

川岸(かわぎし):河合優実
霜介と同じゼミに通う女子大学生。水墨画に興味がある。

——映画オリジナルキャスト————————————
国枝 豊:矢島健一
美術館館長

滝柳康博:夙川アトム
大手広告代理店の営業1

笹久保隆:井上想良
大手広告代理店の営業2

—-原作者—————————————
砥上 裕將(とがみ ひろまさ)
日本の水墨画家、小説家。『7.5グラムの奇跡』エッセイなど

—-【監督】—————————————————
小泉 徳宏
『タイヨウのうた』
『ガチ☆ボーイ』
『カノジョは嘘を愛しすぎてる』
『ちはやふる』シリーズ

 キャスト解説
原作のキャラクターの変更として・・・
 斉藤湖栖(さいとうこせい)→湖山賞最年少受賞者で湖山会2番弟子。機械のような完璧な技術の持ち主。が、登場なし。
 藤堂翠山(とうどうすいざん):富田靖子→湖山湖山と対を張る水墨画の二大巨匠が女性で若返り、孫娘役の登場なし。

脚本的に湖山門下の1番弟子「西濱湖峰(にしはまこほう)」に50代の江口洋介をキャスティングしたので、原作では藤堂孫娘に“ホの字”だったところを変更入れたのだと思われます。
また、湖山会2番弟子のキャストもザックリカットし、代わりに美術館館長や広告代理店営業が登場するストーリー変更があるようです。

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【線は、僕を描く】原作あらすじネタバレ


——第一章——————————————————
法学部・大学生の青山霜介は、アルバイト先で窮地におちいっていた。

自称親友の古前君に頼まれた展覧会設営の「パネル運び」のバイトは、激しい肉体労働でくたびれたタイプの学生たちにはとても対処できるものでなく、気が付くと霜介以外は逃げ出していた。
現場責任者の西濱さんは困り果てていて、霜介も責任を感じ、古前君に体育会系の学生を調達させ事なきを得た。
西濱さんは感謝してくれて午後の作品展示に来る「ものすごい美少女」に要注意と控室でお弁当食べて行ってと言われる・・・控室に行く途中、関係者だという雰囲気のかわいらしいお爺ちゃんに声を掛けられ、高級そうなお弁当を勧められ「きれいな箸の持ち方だね」と生前、両親がほめてくれた事と同じように言われた。
  ★ ★ ★ ★ ★

霜介は高校生の時、霜介の両親は事故で亡くなり喪失感で心を閉ざして病んでいた。
叔父も周囲も心配し、遺産と慰謝料はあるからとりあえずエスカレーターの大学に入り自活するよう言われる。大学ではサングラスにイガグリ頭の古前君が「霜介の親友」を名乗り、合コンや今回のバイトも無理矢理たのまれた。

  ★ ★ ★ ★ ★
会場には初めて見る水墨画があり、おじいちゃんは霜介の率直な絵の感想を「鋭いところをみている」と誉める。
最後の「薔薇の絵」は水墨画なのに真っ赤に見え「近寄りがたい美女のよう」に「まさしく彗眼」と誉められたところに、作者である凄みのある美女、篠田千瑛が現れた。
・・・このおじいちゃんは、水墨画家の大家“篠田 湖山”で霜介を「内弟子にする」「磨かなくても最初から光り輝いている才能」と言いだした。千瑛は激怒し「霜介が湖山賞で勝てたら門派を去る、千瑛が勝ったら雅号をもらう」と競うことになった

  ★ ★ ★ ★ ★
西濱さんいわく「千瑛の性格は血筋」で、湖山先生奥さんが亡くなってから変わり確信犯的にとぼけたが、絵には真剣だから内弟子話も考えがあるのだろうという。

湖山先生の最初の指導は「やってみることが目的」とお手本をひたすら真似る「落書き」をした。
「どんなに失敗してもいい…挑戦と失敗を繰り返して楽しさを学んでいくのが絵を描くこと」
確かに楽しく思え、帰りに珍しく何か食べたくなり、スーパーで買物が重くて喫茶店に休憩しに行くと、古前君の意中の人、同じゼミの川岸さんがバイトしていた。・・・川岸さんは水墨画に詳しく「直弟子はゆくゆくは先生になる」コースで「青山君には特別なものがあるから」と言われた。

2回目の指導は、細身で繊細な美男子・斎藤湖栖を「最年少で湖山賞を取った俊英」と紹介された。
今日は何度も墨をすらされ、最後に適当にすった墨でやっとOKが出た。
「墨の粒子に君の心や気分が反映している」「本当は力を抜くことこそ技術」と湖山先生はあえてやり直しさせていた。

帰りに練習中の千瑛から「私には勝てない」と言われるが、霜介は「僕はたぶん水墨画が好きになる」と答えた。そこへ湖栖が正確な線と技術で千瑛に足りない手本を描いたが、霜介には千瑛に足りないのはそこじゃない気がした。


川岸さんの喫茶店で古前君から「展覧会のヘルプの体育会系の学生たちに合コンを迫られている」と千瑛を呼ぶようお願いされ、川岸さんまで乗って来た。
次の指導日は千瑛が迎えに来て、霜介のマンションに「ご両親にたいせつにされているのね」と言われカチンときた。憤っている霜介に千瑛自身が水墨画で生きたいのに両親の反対や、湖山先生も認められない焦りや憤りがあることを話した。
3回目は「春蘭を極めたら、ほとんどの絵は描ける」と湖山先生のお手本をまねだった。
湖山先生の動きをよく見てまねた霜介に「きみは善い目と心を持っている、それが何ものにも替えがたい財産だ」とお手本と筆をくれた。
また「霜介の大学の理事長と知り合いだから、何かあれば言いなさい」というので、霜介はついでに千瑛を合コンに誘う口実で、文化祭で展覧会出品をお願いすると湖山先生も後押ししてOKが出た。千瑛は「お祖父ちゃんは、何か少し一生懸命」と霜介の扱いが違う事と、食べてしまったお弁当が高級レストランのモノで大騒ぎになったと聞き、霜介はお詫びとお礼に(遺産)で千瑛にごちそうする約束をした。

——第二章——————————————————


水墨画を若い人に普及させるため文化祭での水墨画の実演「揮毫会(キゴウ会)」で、千瑛自身も絵も見る者をくぎ付けにした。

懇親会と化した合コンでは西濱さんは湖山先生が”人柄の良さ”を見込んで勧誘された事や、川岸さんも自分もやりたいと言い出し、千瑛が霜介に教える時に一緒に習うことになった。
帰りに千瑛は霜介の部屋でお茶を飲みながら、準備の大切さを忘れ、画技にこだわりすぎが弱点になっていたことに気付き、湖山先生の「まじめは悪くないが、自然じゃない」の話に参った顔をしたが湖山先生が霜介に本気だとわかった。
  ★ ★ ★ ★ ★
4回目の指導で湖山先生をまねて描いた「春蘭」を「練習しているね」と先生はほめてくれた。
「センスとか才能なんて絵を楽しんでいるかに比べればどうということない」と純粋さ、清らかさ、伸びやか、生き生きと描かれているかが最大の評価という。霜介は斎藤さんと西濱さんのどちらが上手いか?聞いてみると「西濱君の方がはるかに上。斎藤君が一番わかっている…拙さが巧みさに劣るわけではないんだよ」と教わった。

帰りに西濱さんと届け物のお使いで、水墨画界の二大巨頭のもう一人、藤堂翠山のところへ行った。
翠山先生から霜介は一瞬、奇妙な輝きを帯びた瞳で見られたのがわかった。
霜介は気になっていた仏壇に「お参りさせてください」と頼み、翠山先生からは哀しみや亡くなった人と時を過ごしていることに、親しみを感じたのだ。
春蘭の練習中だというと、翠山先生はみごとな「崖蘭」を烙印付きで描いてくれて「よく勉強しなさい。いい絵師になれる」と励まされた。

西濱さんも興奮して「崖蘭」の隅には画賛というこの絵の内容についての凄くいい言葉が描かれているという。「きみは、自分以外のもののことは、必死に見ようとしている」と言った。                                   
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湖山先生は千瑛の「情熱的な牡丹」を白けた目で見て、斎藤さんの「完成度の高い牡丹」にも疲れたように首を振って2人はショックを受けていた。

湖山先生は軽いノリでお茶を持ってきて翠山先生の孫娘・茜さんに会えてウキウキしていた西濱さんに牡丹を描かせた。
それは速いのに大らかな動きで一輪の花の命が描かれていた。技法などは無意味なのだと、ほとんど真上にあるような仰ぎ見るしかない高みを感じた。しかも西濱さんに「いいことあったの?」と筆に現れていることに湖山先生は気づいた。

「水墨とは、森羅万象を描く絵画だ…森羅万象は宇宙。宇宙とは現象…心の内側に宇宙はないのか?」「自分の心の内側を見ろ」・・・先生は心の内側を解き放つために、僕をここに呼んだのだ。

—–第三章——————————————————-

八月は指導はなく夏休みの3週間びっちり水墨画に没頭していると、千瑛が着信に「返事がない」と川岸さんへの講習会のために向かえに来た。「帰省中だったの?」と聞かれ反射的に「僕には家族は、もう、いない」と言ってしまい気まずい空気になる。

霜介は新設した水墨画サークル部長になっていて、メンバーは古前君と川岸さん。
第一回目は基本的な技法「笹竹」が題材だという。
千瑛は2人の性格判断のように癖や雰囲気、弱点も言い当てたが「勇気がなければ線は引けない」との言葉が千瑛の内側にある現象なのでは?霜介は思った。

帰り道、千瑛は霜介に「私は、私たちは青山君のことを何も知らない」と言われたが、自分を語ることに強い苦痛を伴うので「僕の絵を見てくれませんが?」と言った。
この三週間「自分の心の内側」両親のことを見ていた。制服姿で両親の遺体の前で立ち尽くす僕がいるシーン。今、それらを眺めながら自分の在り方を探して、ようやく生きる意味を探している。

千瑛は「どうしてこんな美しいものが創れるの?」それは喜びではなく、深い憂いを含んだ透明な表情だった。
そして翠山先生の画賛は「其の馨しきこと蘭のごとし」とは「あなたはこの蘭のような人物だ」という意味で「蘭は、孤独や孤高、そして、俗にまみれずひっそりと花を咲かせていく人物の象徴」と教えてくれ、千瑛は霜介の描いた春蘭も湖山先生と翠山先生の絵に並べて貼って、それぞれが生きている感じを受けた。
「あなたに何があったのか、もうきかないわ…でもね、あなたはもう一人じゃないわ」霜介は泣き出したい気持ちをこらえていた。
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次の日から霜介はスランプになり描けなくなった。
叔父から墓参りに誘われたが、今の暮らしが崩れてしまいそうな気がして断った。
しかたなく大学に行くと、古前君に捕まり川岸の喫茶店で千瑛との関係を問いただされ、千瑛が植物園の薔薇の前で美男子と別れ話してるのを目撃したからチャンスで「現場検証よ」と連行された。だがその実「古前君が川岸さんとデートしたい口実」だと察し、姿を消してひとり植物観察を始めた。

そこで初めて本物の春蘭を見て、実物は地味な植物で謎を抱えた。千瑛もここの薔薇を追い求めすぎて情熱的な薔薇になったが、逆に遠ざかった。湖山先生は何を問題としているのか?すると後ろから千瑛と斎藤さんに声をかけられた。
元気のない斎藤さんは「最高の技術とは何か、考えたことありますか?」
湖山先生は「水墨画の最も高度な技術は『減筆』に隠されている」といて描かなかった形こそ減筆だが技術ではないという。
斎藤さんは千瑛は技術的にはもう教えることがないし、自分自身で見出し、苦しみ、探して世界を旅し修行するため湖山会を去るというので、千瑛がショックを受けていたのだった。そこに古前君と川岸さんが現れたので、斎藤さんの「最高だと思う技術」を一緒に見せてもらうことになった。

斎藤さんは薔薇を描きはじめ、そこには霜介が失ってしまった『生きよう』と思う気持が描かれていた。
斎藤は初心者のころ「たった一筆でさえ美しく」を意識してきたが、湖山先生の思う事とは違ったという。霜介にもこの言葉を咀嚼して答えを見つけて欲しいと教えられた。
 
千瑛が3人を送り、霜介と2人になると湖山賞の締め切りは冬で、秋からはサークルに構えないという。霜介は千瑛に会えなくなることになぜ動揺するのがわからず、どう伝えれば彼女の心に近づけたのか?自身の気持を見出すことができるのか?言葉を探した。
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久しぶりの湖山先生は少し痩せて衰えて見えた。
霜介に春蘭を描かせ、先生の大絶賛の言葉に霜介は感極まり、自分の中に力が生まれてきたのが分かった。霜介は本物の春蘭を見て「本当はどう描いてもいいんじゃないか、水墨は何気ない草木も美しいものに変えることができる…いつも何気なく見ているものが実はとても美しいものだった…僕はようやく何かを見ることができるようになった」

じっと話を聞いていた湖山先生は「竹」と「梅」を描き、何が美しいのかわからないが、何かが圧倒的に美しいと本能的に感じる。
つぎに庭の竹と梅の樹を見に行き、実物の細かさを水墨画で表現するのは限界があり、光の加減で影や形は変わる現象が起きる…それを書くにはどうしたらいいのか」
そして「青山君、これが君の先生だ」と菊を渡した。
「この菊に教えを請い、描いてみなさい。花卉画の根幹をなす技法が収められている。私には伝えられないものがある」「絵は絵空事だよ」湖山先生の目は笑ってなかった。
 

—–第四章——————————————————-


霜介は竹、梅は完璧でなくともできそうな気がした。だが菊は最初の一手から浮かばず、西濱さんに相談しても「まあそういうもんだよね」とアドバイスはくれない。事務的な話しかせず、妙だなと思った。

千瑛の絵は薔薇と椿だった。腕が上がっているのを確実に感じ、何かをつかんでいる様子がうかがえた。
西濱さんも「余白とのバランスが取れた」というが「なぜ言ってあげないんですか?」と驚くと「言ってたさ…描いてみせた、がこの世界では『教えた』ということなんだよ」霜介は言葉を失った。自分が初心者だから優しくされてただけで、湖山会の人たちは厳しい世界を潜り抜けた超一流の絵師なのだ。お手本から何を拾うかは各々の裁量なのだ。

そして「千瑛は粘り強い霜介に触発されている」と霜介の出品した「崖蘭」を見て「君にしか引けない特徴のある線…こういう気持ちで生きている人に千瑛は出会ったことがなかったんだろうね」と湖山賞での霜介の作品が楽しみだと言った。
両親がいなくなってから2年たった。でも霜介は孤独じゃなかった。「やってみることが目的なんだ」湖山先生はあのとき、とても大切なことを教えてくれていた。
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学園祭で湖山先生はほめてくれたが、千瑛は「青山君が自分で見出した絵じゃない」と霜介の個性がないと指摘された。
湖山先生の知人である大学の名島理事長が飛んで来て、急遽、揮毫会を催すことになった。
それから大騒ぎになり会場は満杯だったが湖山先生は会場の隅にいる霜介を少し見て「見ておけ」と言っているのがわかった。

「やってみることが大事」「自然であることがたいせつ」「絵は絵空事だ」…水墨画は形を追う事でも、完成を目指すことでもなく、生きている瞬間を描くことが水墨画の本質だとわかった。『描くこと』とは、こんなにも命といっしょにいることなのだ。
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湖山賞制作は難航し締め切りまで1か月切った。
「墨で描くことが水墨画ではない」それに斎藤さんと千瑛が悩んできたことが分かった。部屋を片付け、お茶を入れ、画仙紙を広げ、墨をすり、心を落ち着けて筆をとった。それから一週間、菊を眺めた。何百回も頭の中で絵を描いた。湖山先生も翠山先生もそうしてきたのがわかった。
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煮詰まり続けクリスマス直前に湖山先生が入院したと連絡がきた。
湖山先生は「命を見なさい。形ではなく命を見なさい」と「君になら見えるよ…君の中にある真っ白な世界の中には、命がよく写るだろう?」
湖山先生は霜介を「本当に孤独な悲しい瞳をした、かつての私を見ているようだと思った」と言った。
かつて湖山先生は霜介と同じだった。先生を拾って生きる意味を与えてくれたのは、私の師匠だった。優れた水墨画家になるとかどうでもいい。君が生きる意味を見出して、この世界にあるすばらしいものに気付いてくれればいい。ただ自分が与えられたことを、霜介に与えたかった」
霜介も湖山先生も涙を流した。先生は、最初から何もかも知っていた。先生は、もう一人の自分のような、肉親のような近しさを感じ、水墨を手渡されたのだと思った。
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霜介は千瑛が送ってくれるというので、両親と住んでいた家に連れて行った。
玄関に入り虚脱感におそわれたが、ずっと言いたかった「ただいま」がこぼれると、千瑛は「おかえり」と言ってくれた。
霜介は、どうしてもここに来たかった事、二年前の自分の事、今普通に過ごせることが特別な気がする事、水墨が外の世界と自分が何を感じているか伝えてくれた事を話した。

「僕は、本当はここから始めなければいけなかったんだ」

隠していた両親の写真の隣に菊を供えるように置いた。
「ここにきて、菊を眺めたら何かつかめるかもしれないと思った。両親の事を考え続けた長い時間を、たった一輪の花にすることができるかもしれない…幸せになれたときも、独りぼっちだった時を忘れないように。両親を忘れないように」

千瑛は「誰かの絵を見て、あんなに切ない気持ちになったのは初めて。私あなたの絵が好きよ」
霜介は「僕も、千瑛さんの絵が好きだよ。自分にずっと欠けていたものを見たんだ。“勇気がなければ線は引けない”あの勇気がなかったら今も自分の心の内側にしかいなかった」
二人は絵師だった。見つめ合うだけで二人の間にとても美しいものがあることを、感じ取っていた
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湖山賞は千瑛の「牡丹のその後」だった。
彼女の絵は生き生きとし、とてつもない精度、みずみすしさ、自信、勇気そして余白があった。脳梗塞から回復した湖山先生は以前より仕事を減らすが、千瑛の作品にホッとした様子で賞状授与の時、二人にとってこのことがどれだけ大切な瞬間なのかよくわかった。

霜介は式の最後に審査員特別賞「翠山賞」を受賞した。
審査員の翠山先生が「特別賞はずっと与える人がいなかった。きちんと生きた人だけ見える世界があの菊から感じ取れた。」と誉めてくれ、「青山君の作品は、心のためだけに描かれていた。無心に何かを追い求める姿が審査員の胸を打った。俺も見習わないとね」西濱さんは茜さんになりふり構わず挑んでうまくいったらしく、翠山先生も笑っていた。

西濱さんは「千瑛ちゃんが待ってるよ」と彼女の隣に行った
「菊」を描き終えた時感じたのは、小さな命と共に生き、自分もまた命の一つなのだと感じられたことだった。 千瑛は「水墨の本質、命そのものに、近づけたのはあなたの方。私の敗けね」と言うが霜介には「千瑛の絵は誰かの心動かす。水墨が線の芸術なのだとすれば、線とは生き方そのもの。僕はあなたの絵があったから、ここにいるんだよ」
千瑛はうなずき涙を浮かべ、僕も微笑んだ。

ひとりになり「僕は満たされている」と言葉にした。
そして周りの人が幸福で、笑顔の中にいられることが幸福だった。
僕は、線を思い浮かべていた。

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【線は、僕を描く】映画・小説おすすめ度と読書感想文

おすすめ度
読みやすさ  3  ★★★☆☆
感動     2  ★★☆☆☆
共感度    3  ★★★☆☆
映像化    3  ★★★★☆

 
こんな人にオススメ
・優しくも温かい物語が好きな人
・アート作品に興味がある人
・新しいことを始める人
・人生に迷っている人
・喪失感により前に進めずにいる人
・転職を考えている
・孤独がテーマ
・対象年齢:高校生以上~

主人公・霜介の水墨画シンデレラストーリー
「水墨画の伝承が難しい」ということで、水墨画自体になじみのない人むけにも映像化にはもってこいの作品です。また主人公・霜介が不幸を背負った虚脱した青年役に横浜流星さんのイメージもぴったりです。
わきを固める絶世の美女・千瑛や繊細な美青年先生の斉藤 湖栖は誰が演じるのか?霜介の師匠・湖山先生は片岡鶴太郎さんか?などキャストが楽しみな作品です。(コミック版の水墨画は砥上裕將さんによるもの)

水墨画という昔からある芸術分野なのに、なじみのある人は確かに少なく、主人公・霜介の再生と成長の物語です。
両親は亡くなったとしても、圧倒的に運の良さを感じる霜介の精神的な成長と共に水墨画会に華々しくデビューするのですが、割と回りくどさも感じたので映画「ちはやふる」のように映像、音楽、ライティングなどの撮影技術で映画としての本作も美しい作品になるのでは?と思います。

 【線は、僕を描く】の読書感想文

運の良し悪しを何で測るのか?と言えば、総合点だと思います。
人生はパーフェクトな人はいません。何かに1つに突出していても、別の面では壊滅的にダメ。それが人の個性や人生を決めたりします。
両親を交通事故で失い、喪失感から抜け出すことができない大学生の主人公。水墨画の巨匠・湖山先生との偶然の出会いで、水墨画を通じて心の内面と自問自答をしながら、才能を開花し、人との縁や生きる意味を見いだします。

作品中で西濱さんが言う通り、霜介は圧倒的に運のいい青年です。水墨の世界の一員に思いがけず選ばれ、しかも実力が追いついていくという荒唐無稽なファンタジーです。

技術よりも対象物に素直に向き合う心が、匠の技を出せる、というのが水墨画らしいのですが、水墨画以外でも物事は理屈より素直である方が呑み込みが早く楽にこなせるものなのでしょう。
本作は純文学の形態の一種「現代文学」ジャンルなため、表現が芸術的でありまわりくどく感じるのですが「何も知らないから圧倒的に有利」と本作中にはあとから伏線回収してるセリフがたくさんちりばめられています。

タイトルの「僕は、線を描く」はズバリ「僕は、生き続ける」の意味だと思います。
中島みゆきの曲「糸」のように「糸と糸が織りなすことで人生や幸せを紡ぎ出す」のような意味のように、本作では「線」がソレにとって代わり、線どうしが紡ぎ合いたった1つの線を結び合って生きている…連綿と続くその流れの中に、湖山先生は僕を機見込みその流れの中に佇んでいた。
と、孤独だった霜介を水墨画が流れの中に取り込んでくれたという事です。そして彼の人生は水墨画と共にある限り、孤独とは無縁になったというお話でした。

死が史上最悪の不幸というのは、ステレオタイプな考えだと思います。
生きながらの死が孤独の事ならば「生きてるだけでマル儲け」と言える人には「それは心にパワーがあるからでしょう?」と言えます。なぜか周りの人がほおっておかず、元気になることを望まれ、応援され、導かれる霜介はまれにみる幸運な青年。そういう物語でした。

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