風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車/あらすじ・ネタバレ・読書感想文の書き方と例文
こちらでは
2020年「第66回 青少年読書感想文全国コンクール」
小学校高学年の部(5,6年生)の課題図書
『風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車』の
・「あらすじ・ネタバレ」
・読書感想文の書き方のコツ・ポイント
をご紹介いたします。
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『風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車』あらすじ・ネタバレ・読書感想文おすすめ度
『風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車』読書感想文の書き方と例文
【2020年読書感想文】5,6年生の課題図書
うんちく・読書感想文の書き方の“こたえ”
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『風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車』あらすじ・ネタバレ・読書感想文おすすめ度
読みやすさ ★★★☆☆
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
こんな人にオススメ
・自転車が好き
・モノ作りが好き
・ボランティア活動に興味がある
内容紹介
40年間、体の不自由な人たちのために
自転車を2600台以上手作りしてきた堀田健一さん。
子供のころから物作りが大好きで、ある日息子と手作り自転車で遊んでいると、つえを突いた女性から「自分もその自転車に乗ってみていいですか?」と声をかけられました。
ぐんぐんスピードを上げ走った自転車。「まさかわたしが風を切って走れるなんて!」と涙ぐむ女性。この偶然の出来事から堀田さんの世界に一つの自転車づくりが始まりました。
しかし、その道はきびしく食べるのにも困るほどの生活に何度もくじけそうになります。
ですがある北海道の少年との出会いが自転車作りを続ける決意をかためたのです。
堀田さんの挑戦を描く感動のノンフィクション。
第一章 ぼくも自転車に乗れますか?
足立区西新井大師ちかくの堀田製作所は
体の不自由な人のオーダーメイド自転車を作ります。
今日は大阪から下半身が不自由な中学1年
江川クン(二分脊椎症・水頭症)が来ました。
小さい頃は手術・リハビリに通い詰めでしたが
今は半年に1度の検査で症状も落ち着いています。
小6の時、自転車で友達と遊びに行けず学校で号泣しました。
今後の通学のことも考えお母さんが堀田製作所を探し当てました。
店では見本の自転車で試し乗りをし
足の曲がる角度、ペダルを外れにくくする工夫
脚力でペダルの回りやすさの調整などして
外で改めて試乗し、上手く乗りこなせたら
制作にかかれることになりました。
完成まで3か月かかりますが彼は笑顔で
「友達と出かける事やスーパーにおやつを買いに行きたい」と言います。
第二章 小さい時からモノ作りが好き
堀田健一さんは茨城県生まれ。子供のころから
手先が器用で小学校の近くの工業地帯にある
当時高価な自転車整備店や色んな店をのぞき
機械の仕組みや作業を見てモーターで動く小舟や
小型扇風機を作るような子でした。
工業高校の一期生として入学。
自転車クラブに入り古自転車を修理して乗ったり
一人で水上自転車を作り霞ヶ浦で乗りました。
次の目標水上オートバイは完成できなかったので
当時、最先端企業だったホンダに入社して
いつか作ろうと夢を見ました。
まじめに仕事をし、本田宗一郎氏に会えたり
スポーツカー開発チームに大抜擢されたり
2年半して上司に「水上オートバイを作りたい」と
提案しますが時代的に早すぎて相手されず
堀田さんは退職してしまいました。
仕事を転々としましたが23歳で最初の結婚
25歳で建築資材運搬業の「堀田商店」を起業。
32歳で離婚し長男と三男を引き取り
子育てを引き受けてくれる今の奥さんと再婚しました。
第三章 運命を変えたの三輪車
が
三男が小2の時学校から「三輪車以外乗るの禁止された」
というので、隣の鉄工所で夜に機械を借り
ふみこみ式の自転車を研究開発しました。
息子とその友達が大喜びで乗っていると
50代くらいの杖を突いた女性が
「この自転車が欲しい」といい
試し乗りした女性は喜び涙ぐみ言いました。
「足が不自由でどこに行くにも苦労している。
…この自転車があればどんなに便利でしょう」
ですが堀田さんは引き受けられませんでした。
工業機械もないし、仕事も順調だし時間もない。
その三輪車は子どもたちに飽きられてしまったので
寄付できないか新聞社に問い合せしたところ
取材が来て「足の不自由な人も乗れる自転車」として
掲載されたのです。
その記事を見て問い合せと注文の電話が殺到しました。
堀田さん大手メーカーが作れないか問い合せしましたが
採算が取れないと断られます。
「こんなにわたしが必要とされることなんてほかにないだろう」
と奥さんに仕事を自転車屋に鞍替えすると宣言
その三輪車は「ラックーン」と名付け
翌年工場を借りて自転車作りが始まりました。
第四章 北海道の少年が教えてくれたこと
障害のある人の不自由になった原因は様々で
「それぞれのお客さんが楽に乗れる方法」は
ちがいます。
ふみこみ式じゃなくペダル式の方がいい人
手でレバーを動かし動く自転車も作りました。
時にネジから作ることもあります。
奥さんも手伝いますがヘタだと怒ったり
1台作るのに10日かかり食事も後回しです。
上手く乗れない」人の乗り方指導をしたり
夜中に修理に向かうこともありました。
ところが30台ほど作ると注文が途絶え
営業に行きますが注文が入りません。
開業3年目には子供の給食費も光熱費も
払えなくなり、電気、水道、ガス、電話も
何度も止められ借金して歩きました。
4年目に追い詰められて「もうやめるしかない」と
決心したある日突拍子もない電話がきます。
「北海道の小児マヒの小4少年に自転車を作って欲しい」
「少年1人で行くので1週間泊めて下さい」というものでした。
強引な話ですが、最後だからと引き受けて当日
少年を羽田空港に迎えに行きますが、なかなか現れません。
「だまされた?」と憎々しく思うとしばらくして
松葉杖で片足を引きづりゆっくりやってきたのです。
少年をうたがった事を反省し、初心に返るべきなんじゃないか?と
「今までの自分ではない自分がめばえた」と言います。
「人のために火をともせば、我が前明らかなるがごとし」
のお坊さんの言葉を励みに自転車屋は続ける事を
奥さんも賛成して二人三脚で頑張る事にしました。
第五章 チャリティーコンサート
堀田さんは仕事で七転び八起きのいろんな経験をします
アシスト自転車ができるよりずっと早く
サリドマイドで両手がないお客さんに
足だけであやつれる三輪車に「エンジンをつけて」
と言われ警察の許可で2年がかりになりましたが
電動自転車を作りました。
堀田さんの自転車が
「普通の自転車ほどきびしくなく
車いすほどやさしくない、中間の乗り物」だったので
気が付くとお客さんがつえを突いて歩けるように
なった人出てきました。
それでも経営は相変わらず厳しく
骨髄炎で右足が不自由なピアノ講師の吉仲京子さんに
ふと「給食費もはらえなかった」と話した事で運命が変わります。
ショックを受けた吉仲さんは堀田さんの支援に
新聞に投稿したり
「堀田健一支援コンサート」で支援金集めや
自転車購入者に市から支援金が出るよう働きかけました。
平成元年にはお客さんで作る「ラックーンの会」が結成。
多い時は二百数十人になり様々な交流会が開催されました。
一時、道路交通法の改正で堀田さんのモーター付き自転車は
免許が必要だとされたのですが電動アシスト自転車が
免許なしの認可がおりたので問題解決しました。
次は「ラックーン」の名称が他の会社で商標登録されてると
使用禁止となり100万かけたパンフレットを処分しました。
「うちは大手には絶対負ける。戦わない方法を選ぶしかない」
三男は中学卒業後、会社を手伝うようになりましたが
「妻子を養えない」と工場を辞めて独立。
人出不足で「ラックーンの会」は解散しました。
堀田さんは過労で倒れてしまったので
無理をしなくていい仕事のやりかたに見直しました。
第六章 全国からのありがとう
堀田さんの作った自転車は全国に2千台以上
遠くから来れないお客さんのところには夫婦で
車中泊の旅をしながら訪ねていきます。
家の近所に坂道があれば「練習が必要だ」と
コツがつかめるように乗り方指導します。
子供の時の骨肉腫の手術で足が曲がらなくなり
結婚して2人の子供の送り迎えできる自転車を作ったり
4輪自転車を注文した人は、ブレーキを自分で修理し
シートをカスタマイズして使いこなしています
「珍しい自転車ですね」と出会いのきっかけになるのも
嬉しいと全国のお客さんたちからの感謝の手紙は
堀田さんの宝物で2台目、3台目を購入する人もいます。
第七章 世界でたった一つしかない自転車の完成!
堀田さんは60歳を過ぎてから今までの業績が世間に認められました。
2005年シチズン時計株式会社より
「シチズン・オブ・ザ・イヤー」を受賞しました。
最初サギだと思いましたがシチズンの人が
(堀田さんがこの自転車を作り続けた事と
役所から補助金が出るようになった
堀田さんのガンバリへの表彰)と言いました。
授賞式のスピーチでは
「私の原点は人の役に立つものを作る事です…
障害を持っている人ふくめ、人間のための道具を作っていきたい」
2007年には吉川英治文化賞と足立区民文化省を受賞
2008年足立区から「足立ブランド」の認定
2010年製薬会社の依頼で「たった一人で作るオーダメード自転車」
という医療関係者への講演会をし、堀田製作所の名前は
世間に知られるようになり、注文も増えたのです。
制作台数が安定したので部品は外注できるようになり
他社の提携で折りたたみ式触れ込み自転車を
安価で数十台作ってもらうこともできました。
2007年から筑波大の学生に
ハンディキャップ自転車制作実習に
アドバイザーとして参加しました。
ところが、2013年奥さんが脳出血で倒れ緊急手術
工場で軽作業ができるまで回復したのですが
2015年には脳梗塞になり記憶力や体力に影響がでました。
さんざん苦労をかけた奥さんに罪滅ぼしで
出来るだけ優しくすると決めました。
2017年に今の西新井に越してきました。
堀田さんの新たな目標は大人が2人で乗れる自転車作りです。
年を取った夫婦どちらかが病気もう一人を病院に連れていける
介護用の自転車を作りたいのです。
堀田さんの「人のために火をともす自転車作り」は今日も続いています。
あとがき
堀田さんの仕事の跡継ぎはまだ決まっていません。
この自転車作りは一人での作業が多すぎて
弟子もみんな挫折するのです。
ですが2019年足立区からこの自転車が
障害者や難病の方が生活しやすくなるための道具
「日常生活用具」と認められ、
希望者は区から一定額支給されることになりました。
もっと台数が増えることで後継者や引き継ぐ会社が
あらわれるかもしれません。
『風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車』読書感想文・書き方例文とポイント
・高学年の部 本文 1200字以内
(作文用紙400字×3枚)
読書感想文コンクールの入賞した子は
原稿用紙3枚1200字きっちりに書きます。
起承転結でつづられるなら300文字ずつなどと
目安をつけると書きやすくなります。
・この本を選んだきっかけ
・簡単なあらすじ
・感想、疑問点など
(特に面白かったところ、感情が動いたところ)
・自分の意見、似たような経験談
・本を読んでの意見
(本を読んで学んだこと、自分の意見、今後の生活に生かしていく。など)
あらすじは簡単でもいいですが
・自分がどう感じたか?
・本を読んで何を感じ、今後にどう生かすか?
は重要です。
また「似たような経験」の自己開示がある感想文は
なぜか評価が高いです。
【風を切って走りたい!夢をかなえるバリアフリー自転車】感想文例文1236文字】
「自転車に乗りたい」私もその気持ちがすごくわかるので
この本を選びました。
世の中にはいろんな仕事がありますが、堀田さんのように
これだけ人に求められ、変わりがきかない人が
いないのはすごいことだと思います。
私が補助なし自転車に初めて乗れたのは小学校2年生で
友達よりだいぶ遅い自転車デビューでした。
自分だけ普通の自転車に乗れないのが恥ずかしいし
遠くの友達の家に行くのもいつも歩いていて不便だし
コンプレックスで乗れないことを内緒にしていました。
ですが、なぜかふとしたきっかけで急に自転車に乗れるように
なったので自分自身すごく驚いたこと、嬉しかったこと
風を切って走れた初めての感覚は、小さな感動でも
一生の宝物でした。
障害のある人々が風を切って走る喜びが
どれほどのものか、気持ちが分かるような気がします。
堀田さんはこの自転車屋さんを続けることで
経済的にずいぶん大変な思いをします。
それでも仕事をやめなかったのは
「人の役に立つ仕事をしたい」との純粋な思いからです。
お金では苦労する堀田さんですが羨ましいなと思ったのは
一生を通して大好きなものつくる仕事で人に感謝されて
生きてきたことです。
堀田さんはお金以上の感動という経験を
受け取っているような気がします。
また奥さんが病気になってしまったことで
「年を取った夫婦どちらかが病気もう一人を
病院に連れていける介護用の自転車を作りたい」と
世の中の問題の一つでもある「老々介護」について
考えています。
まるで神様から新たなテーマをもらっているような
気さえするのが堀田さんの人生です。
今普通に走っているアシスト自転車よりもずっと早く
モーター付き自転車も作っているし、ホンダでの
水上オートバイのアイデアも堀田さんはいつも
その発想が時代より早すぎるのだと思います。
堀田さんのもう一つの課題は仕事を引き継ぐ
後継者がいない問題です。
でも堀田さんの自転車を障害がある人が乗る姿を見ると
スゴイと誰もが思い、この技術は絶やしてはいけないと
思う人や健康な人でもふみこみ式の自転車に乗りたいという
人がたくさん出てくるような気がします。
「人に求められる条件は役に立つかおもしろい事」と
聞いたことがあります。
堀田さんの自転車は乗る人を楽しくさせます。
そしてなにより自転車だから便利だし
しかもリバビリ効果も期待できて歩く力が向上する人も
いました。
堀田さんの自転車は障害のある人を楽しい気分に
すると同時に健康な人が忘れている自由をくれる
自転車と言っても言い過ぎじゃないと思います。
堀田さんの信条
「人のために火をともせば、我が前明らかなるがごとし」は
60歳を超えてからやっと堀田さんの目の前も
明るくなり始めました。
この火を絶やさない為にも堀田さんの技術や知識は
何かの形で残しこの自転車のすばらしさをもっと
宣伝出来たら後を引き継ぎたい人が必ず出てくると思います。
この自転車を知らない全国の障害のある人に言いたいのは
「自転車ってたのしいよ!」という事です。
作る堀田さんと乗るお客さんみんなで声をあげれば
なにかが変わる気がします。
【2020年読書感想文】小学校高学年5,6年生の課題図書
『ヒロシマ消えたかぞく』あらすじと読書感想文オススメ度
内容紹介
原爆投下前
散髪屋さん一家6人家族の鈴木六郎さんはカメラが趣味。
たくさんの家族写真を撮りためていました。
あの日。1945年8月6日。
一発の原子爆弾がヒロシマのまちに落ちました。
お父さん、長男の英昭くん(12歳)長女公子ちゃん(9歳)
次男まもるくん(3歳)と次女昭子ちゃん(1歳)は
亡くなってしまいました。
お母さんのフジエさん(33歳)はそれを知って
井戸に身を投げて亡くなりました。
鈴木家のアルバムは幸せにくらす何気ない日常が
写っています。
家族で平和を考えるために、最適の写真絵本です。
読みやすさ ★★★★★
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
こんな人にオススメ
こんな人にオススメ
・写真が好き
・修学旅行で広島に行く
・本を読むのが苦手
「月と珊瑚」あらすじと読書感想文オススメ度
内容紹介
子どもの貧困、学力の差、沖縄文化の継承、そして米軍基地問題についての本
読みやすさ 読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★☆☆☆
こんな人にオススメ
・親が離婚しているなど家庭環境が複雑な子
・勉強が苦手な子
・SNSでトラブルにあった事がある子
・将来なんの仕事につくか考えたい子
・LGBT問題に興味がある
「飛ぶための百歩」あらすじと読書感想文オススメ度
内容紹介
5歳の時に失明した中学を卒業したばかりのルーチョは
叔母と共に訪れたアルプスで、タカのひなを見るため山道を登り高台へ行く…。
勘のよさから見える人同様にふるまい、人の手を借りることを頑なに拒むが、山小屋で知り合った人々やスリリングな経験を通じて
コンプレックス克服と小さな成功体験で
大人への一歩を踏み出す少年少女の成長物語。
読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
こんな人にオススメ
・自然が好き
・障害のある人の気持ちを知りたい
・人間関係のむずかしさに悩んでいる
・コンプレックスの解消法を知りたい など
読書感想文の書き方の“こたえ”
過去の読書感想文課題図書なら、感想文を書いた人も沢山います。
入賞作は審査員が気に入る読書感想文は
先生方が「良い」「書いて欲しい」と思う
まじめで真剣に本のテーマを考えている…
「とても正しい優等生な意見」が書かれています。
それを「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」
などと先生方は判断するからです。
自分なりの意見があっても反抗的だったり
「いいと思います」「すごいと思います」などの
単純な感想ではいい点数をつけてくれません。
何をいいと思うのか?
前年の課題図書の読書感想文全国コンクールの
入賞作品を参考にすると書き方のコツが身につきます。