「建築家になりたい君へ」読書感想文あらすじ・ネタバレ・例文と書き方の大ヒント
建築家になりたい君へ(14歳の世渡り術)
発売日:2021年03月01日頃
著者/編集:隈 研吾
レーベル:14歳の世渡り術
出版社: 河出書房新社
発行形態:全集・双書
ページ数:228p
ISBN:9784309617299
内容紹介:10歳で建築家を志し、国内外で多数のプロジェクトをてがける今もっとも注目の建築家が建築知識満載で綴る10代へのメッセージ。建築家とは、そしてこれからの建築とは――。
こちらでは
2022年「第68回 青少年読書感想文全国コンクール」中学生の課題図書の建築家になりたい君へ (14歳の世渡り術)の「あらすじ・ネタバレ」読書感想文の書き方のコツ・ポイントをご紹介いたします。
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「建築家になりたい君へ」あらすじ・ネタバレ・こんな人にオススメ
「建築家になりたい君へ 」読書感想文の書き方の大ヒント
「建築家になりたい君へ」読書感想文・例文みんなの感想
うんちく・読書感想文の書き方は経験者から学ぶ!
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「建築家になりたい君へ」あらすじ・ネタバレ・こんな人にオススメ
感想文の書きやすさ ★★★☆☆
こんな子におすすめ
建築に興味がある
将来の夢がある
夢をかなえる方法が知りたい
大人とはなにか?に興味がある
「建築家になりたい君へ」あらすじ・ネタバレ
隈 研吾 (クマ ケンゴ)
1954年神奈川県生まれ。79年東京大学大学院建築学科修了。90年に隈研吾建築都市設計事務所を設立、以後20か国以上で建築を設計してきた。著書に『負ける建築』『建築家、走る』等。
はじめに
・建築家に神様はいない。建築家になるには、広く興味をもって、広く勉強する
建築家とは今の世の中、普通の人に寄り添って考え、感じられる徹底的に普通の人で、みんなの気持ちに気遣いできる謙虚な人でなければならない。建築の美意識、自分の考えを押し付ける人は不向きです
1:動物好きから建築好きへ
・はじめて“出会った”建築家…丹下健三先生
隈研吾氏が建築家になろうと思ったきっかけは小4の時。
1964年の第1回東京五輪の時、父親に連れていかれた丹下健三氏建築の国立代々木競技場を見た時です。感動して獣医から建築に夢を転向します。
教会と「ぼろい家」…60年代からの代表的な建築
当時の建築物は、ぼろい平屋建てがほとんどでした。
世は戦後の復興の建築ラッシュで象徴が国立代々木競技場、田んぼの真ん中にできた新幹線の高架でした。
ものすごい「高さ」の衝撃
通常、高い建物は下から“積み上げる“くみ上げる”が主流でした。
国立代々木競技場は“吊構造”(吊り橋構造)という大胆で技術も難易度もコストも高い建築物でした。
建築の「追っかけ」になる
それからはモダニズム建築の「追っかけ」となります。
三菱金属のサラリーマンの父も「芸術家は食えないが、建築家なら食えるからOK」と言われ、新しい建築物情報を教えてくれました。建築科学生にも「実物をたくさん見ろ」とアドバイスします。
家族の設計会議
父へのもう1つの感謝に「設計会議」を開いてくれたことです。
家父長制の時代に自宅の改築に子どもの自分も参加して家族全員をしてくれました。また内装は家族でやるのでコスパの良い材料を父と探して歩きました。
高さの時代――1964年
この時代は戦後の復興が完成した象徴として”高さのある建築” “大きな都市作り”が戦後日本の目的でした。
2020年の東京五輪のスタジアムは“低さをテーマ”にするべきだと考えました。
食べ物と建築家
時代を読む能力を持つには、建築以外のにも好きなものを見つけ、それを足掛かりに世界を深く知ることです。
クライアントが建築を依頼するのは「自分の人生を託す」大きな決断です。そこには良い信頼関係が必要で、信頼を築くのに最も有効なのは「一緒に食事をする」事です。だから建築家にはグルメが多いです。
建築家と蝶ネクタイ
服装も“メディア”として、自分の服装から「何者であるか」伝えることができます。
丹下先生の1960年代は蝶ネクタイでしたが、代々木競技場が予算オーバーになりそうな時はレギュラー・タイにしました。建築家は時代や周囲の人の求める風潮を表現したファッションします。
父の社会訓練
父から教わった“レポートの書き方”は、すばらしい社会訓練となりました。
隈研吾の家では、何か父の許可をもらうために「父宛のレポート」を書かされました。欲しいもの(ラジカセ)や許可してほしい事がある時「なぜそれが必要か」を客観的、社会的な言語で説明する作文を書きます。OKをもらうと、第2段のレポートに「どのラジカセが適切か」各製品の“性能・デザイン・価格の比較”と自分に合ったニーズの順位の作文を書きます。車の免許を取る時、友人が事故に遭い免許取得に反対した父に、その考えを打破する論理を構築した作文(メリット)を書きました。
建築家の重大な仕事に“相手を説得する”があります。各種の反対もありますが、相手との話し合いの機会は“相手と仲良くなれるチャンス”と捉え、相手から逃げず向き合って正直に説得する。どんなクライアントも父よりましに思え、そのやり方を父から教わり感謝しています。
第2章 人間を知らないと、建築は作れない
隈研吾氏の中学時代は建築に対する社会的事件が起きました。公害問題(水俣病、スモッグ)、高層ビルの日照権問題。隈研吾氏も建築家の夢が醒めていきました。
キャラの濃い神父さんばかりの学校
中高はイエズス系カトリック校に通いました。
教師は世界各地からの外国人でしたが「彼らも人間」だと体感し、欧米に対する偏見や憧れキリスト教アレルギーがなくなりました。
3日間誰とも話さない強烈な「黙想」体験
高1の時、「黙想」修行は強烈な体験でした。
刑務所のような建物で3日間「人間は全員罪を背負っている罪人」キリスト教の原罪思想講習と自戒する2時間休憩の繰り返し。ですが「罪人だからこそ周りの人を幸せにしなければいけない」と教わり人生観が変わりました。
「建築を作る」という最大の罪
建物家は環境を破壊する犯罪的な存在です。
高層ビルは気温上昇やビル風など住環境への悪影響、森林伐採もありますが反面クライアントを幸せにしています。原罪を意識するのは大切なことと思っています。
期待を裏切られた大阪万博
もう1つの大きな影響は1970年開催の「大阪万博」での落胆です。
万博テーマ「人類の進歩と調和」に対し丹下先生、人気建築家・黒川紀章さんの完成した建築物は罪の意識を忘れた工業的で、建築への夢がしぼんでいきました。
アフリカへの夢
子供の頃のアフリカへの夢と仏人詩人ランボー、ジャズなどに趣味がうつりました。
でも東大の建築学科を受験しました。
建築と学園闘争の関係
東大工学部建築学科に東大紛争後の1973年に入学しました。
助教授なのに大学と戦った折原先生から“マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理の資本主義の精神…「資本主義と経済は密接に絡んでいる」”を学びました。
建築の奥にひそむ社会問題
その授業から「異なる分野をつなぐ」ことを学びました。
デザイン背景には社会や政治の複雑な情勢があります。19世紀、産業革命、伝染病時代には白い壁面。20世紀前半のモダニズム建築は衛生重視の産物です。近年は無菌状態も人間に健康をもたらさないとの新たな衛星概念が自然素材へ向かわせています。
日本の高度成長を支えたnLDK住宅
建築素材のプランニングも思想・時代・社会が反映されます。
住宅の間取りも社会の本質が投影されます。現代日本の住宅間取りの基本型はnLDKは子どもにも個人の尊厳を守る間取りつつ「効率的学習」環境を与える資本主義体制からでした。半面、住宅面積が大きくなり家電数、工事費も上がり行動経済成長の後押しになりました。
人間を知り、建築を知る
ウェーバーから学び、著書『10宅論』を書きました。
住宅のスタイル・外観・インテリアの背後にその人の政治思想、経済観念、経済基盤、欲望、コンプレックス、心の傷までもが投影されているという内容の本です。幼稚園時代からその家の持ち主の社会的ポジションや社会に対するスタンスを見つけてやろうとする癖から、建設は良くも悪くも住む人間の本質が丸出しで裸以上に恥ずかしいものだと知りました。
第3章 夢のアフリカ旅行が教えてくれたこと
偉大な先生との出会い――在来木造と建築保存
3年からの建築学科の授業は、3人の先生から希望を与えてもらえました。
内田先生からはプレハブ住宅と「大工さんの木造」の良さ。国立競技場はその教えから環境に優しい建築方法と改修も容易にしました。
鈴木博之先生からはスクラップ&ビルドを批判と建築保全・再生を。
変わり者の先生と誰もいない研究室
原広司先生(建築学)の研究所では“自分で何かやらなければ、人は何もしてくれない”という一番重要な“人生の本質”を学びました。
それに気づかなければ一生「命じられたまま生きる人生」になるからです。
アフリカへ行きたい
隈研吾氏は原先生を焚きつけ、アフリカ調査旅行を持ちかけました。
病気の対策、アフリカ渡航経験者とネットワークを作り、プレゼンテーションのように“最重要の興味付け”に成功しました。重要なのは”リスク潰し”の説明より“「長い仕事」をするなら能力はそこそこでも、一緒にやってみよう”と思えるいいヤツが相手でなければいけないのです。
行くまでの準備で学んだ「大人」との喋り方
企業からの資金協力は1年かかりました。
学生でも企業めぐりをするうち「大人」の社会の仕組みや「大人」社会独特の作法がわかってきました。建築も「大人」がお金を出してくれて実現するものです。だから”相手を説得する時は、相手の身になって考え、立場を尊重し、社会的意義や相手のメリットを説明する事”が必要ということです。原先生がいう自分の哲学やロジックは学校じゃないので、企業の大人は説得はできません。2ケ月~調査旅行、1か月間の修士論文作成よりもお金集めの苦労が人生で大変役立ちました。
残念ながら核家族化は家の中に年寄りや叔父叔母などいないので段階を踏んだ「大人教育」ができないことです。ですが真の「大人」社会を理解できるようになったのは社会に出て苦労や失敗をしてからです。
アフリカで学んだ「人を信じる」こと
アフリカでは通りがかりの目ぼしい家の住人とアポなし交渉します。
満面の笑みでボールペンをお土産に、ノーがなければ家の中にどんどん入り調査します。相手を信じてぶつかると、相手も同じものが返ってくると学び、地の果てに言っても物怖じしない精神が身につきました。
建築家をそばで見る大切さ
もう1つは原先生の生の声が聞け、自信がついたことです。
建築家の特別な存在感のイメージがありますが、本当はチームの一員に過ぎません。長旅で原先生と共に過ごしてその普通さに「僕もなれるかも」と思えるようになりました。「建築家になるには、建築家の近くにいなきゃいけない」との名文句があります。
第4章 アメリカ留学で気付いた日本の魅力
「大人」の勉強をした6年間
大学院卒業後「組織で大人になる勉強をしよう」と大手とゼネコンで3年ずつ仕事をしました。
仕事を大別すると「基本設計…建物の大まかな形態(平面図)」「実施設計…詳細な図面と材料デティールほか“構造設計”“環境設計”の調整」一番好きだった「現場監理」です。「現場管理」は実際に工事がはじまってからの急なトラブルや設計変更を即断即決する仕事です。
時代の変わり目のニューヨークで学ぶ
6年間体と頭が鍛えられ、独立前にNYコロンビア大学で1年留学しました。
到着したその夜に世界経済の流れを決める「プラザ合意」で“国を超えた投資”ができる時代となり、ビルも投資の対象として機能的より見た目勝負になる時代の代わり目に居合わせました。
建築界の神様達の人間らしさ
NYでは建築家にとって一番重要な「話す能力」を学べました。
日本では先生同士の解答は統一されますが、NYでは提出した課題発表の講評会(クリティック)があり、製図の仕上がりより説明のうまさを評価されます。プロの建築家は行政、企業の仕事での“コンペ”や住民説明会でのプレゼンテーションの「話す力」が重要になります。説明する事は、自分がその設計を通じ、何を一番に伝えたかったのか、何を一番やりたかったのか、他人にs津明することで、自分の設計のいいところと課題が見えてきます。喋ることで自分を客観視し、自分の発見に役立つのです。
またNYでは先生同士が自分の主張を曲げず、生徒の発表を通じ先生同士がケンカを始めるので、正解というものは世の中に存在せず、自分なりの解答を出せばいいのだと決心がつきました。その人間臭さに建築家への道に自分でも届きそうだと前向きになりました。
直接会ってみないとわからない
世界をリードする建築家に直接会うため「建築家のインタビュー本を作る」名目で企画書を手紙で送り、アポを取ることができました。
彼らの自宅や事務所、部屋の様子、家具、秘書の感じと、直接会った建築家のやさしい人柄から売れている理由がわかりました。
アパートに敷いた2枚の畳
NY住まいをすると畳が恋しくなり、2枚何とか手に入れました。
NYで友人になった岡崎乾二郎氏からは“相手の文化や言語を理解して、初めて自国の文化を相手に理解させることができる”相手の身になって考えるようアドバイスをもらいました。日本伝統建築にNYに来て興味がわきました。
日本の伝統建築の再発見
日本建築、文化は実は世界に影響を与えていたと気が付きました。
自分の依代が初めて見つかった感覚を味わい、自分が何者か、何を頼りに生きていけばいいかも見えてきました。
第5章 はじめての建築――“脱衣所”みたいな「伊豆の家」
スタートに出遅れたことが役に立った
帰国後1986年に事務所立ち上げました。
バブル時代に流行ったオシャレ建築を批判的に見ました。なぜなら永遠に「お洒落」であり続けるものはないからです。
はじめての建築――脱衣所みたいな家って?
はじめての建築依頼した施主Iさんが「脱衣所みたいな家」を希望しました。
これはお洒落芸術家気どりの「建築家批判」と受け取り、芸術ではなくくつろげる空間がほしいという意味でした。
建築は芸術か
大建築家ル・コルビュジェエもベテランになってから施主と大トラブルで訴えられています。
確かに不自然な芸術性で施主の怒りもわかりました。Iさんは若い建築家の力みを感じたのかすごい直観だと思いました。
脱衣所を現代の茶室に
Iさんの家は全体的に脱衣所的なゆるい気楽さを感じられる家を作りました。
利休のような「ぼろい」ものを「わび・さび」のような特別なものに見せるデザインにしたため、ローコストの安価な素材の欠点が出て来て、大工やIさんから叱られたりしましたが学びの多い仕事でした。
第6章 予算ゼロの建築――「石の美術館」
「仕事がない」ことこそ大切
1990年代バブル崩壊で、東京の仕事はなくなり逆に学びや新発見がありました。
高知の古い芝居小屋の保存運動に協力することになり、そこでの信頼関係からその町の仕事を30年で6つ請け負うことができました。
建築家は長距離走者
建築家は長く同じペースで走り続けるうち、信頼を獲得し大きい建築を立てるチャンスが巡ってきます。
「バブルの象徴」のようなデザインが批判を受け、東京での仕事はなくなりました。長距離走は孤独で楽でなく、孤独に耐える精神力が必要です。
予算ゼロの建築依頼
地方での仕事が多くなりシャイな地元の人の本音を聞くために共に酒を飲むのも大事な時間でした。
「大正時代の米蔵をミュージアムにしたい」「予算はない」が建材も職人もいると言われましたが、職人を自由に使い、直接話せる機会。石を素材にするのも珍しく、請け負うことにしました。
エンジニアとのチームワーク
地震で崩れないかなど計算する構造設計はノリのいい中田先生にお願いしました。
日本は地震大国で地震被害があると、建築の法律は変わります。
恥をかくことは挑戦の第一歩
この現場で恥を恐れず質問して挑戦の第1歩をふみました。
「石の美術館」は5年かかりましたが、応募もしていないのにイタリアから「国際市の建築賞」を受賞しました。
第7章 日本の田舎から世界の田舎へ――中国の「竹の家」
中国への初挑戦
海外の田舎でも仕事をしたいと思っていました。
すると1999年に中国の万里の長城のわきの谷の村づくり誘われました。ですが「設計料は交通費込みで100万まで」「スケッチを送ってくれるだけでいい」と言われ警戒しましたが将来的にプラスになりそうなので、赤字でも引き受けることにしました。
建築は「流れる」もの
下見もリアルに現地まで風景も含めて確認しました。
現地に着くまでに見聞きしたモノが音楽のように響きデザインが生まれるからです。また施主は「5か月で完成オープン」と言いますが、中国での信頼関係の作り方は『急いでいることはわかった。できる限りのことはやる』と伝えます。結局完成まで4年かかりましたが大成功でした。
現場で浮かんだ「竹の長城」のイメージ
このプロジェクトは竹で長城に対峙させたいイメージがわきました。
中国の早熟な都市化への批判の意味もありました。
熱意に応えれば、何倍にもなる
「竹では永久に残らない」と中国人の理解が得られませんでした。
竹建築の経験者インドネシア人のプディを現場担当にすると、現場常駐したいと1年間常駐の経費詳細を提出されました。
外国人専用JRパスで無料で神戸に行きタダで神戸に行き、そのほかの交通費と1泊500円の宿なら1年で18万で済むと赤字なのに言われましたが、その熱意にまけて中国に行かせました。ですが中国人が適当な竹で施工しているとの報告で、飛んで行きましたがコレはこれでおもしろいとそのまま施工させました。「アジア風いい加減」を中国人が求めている手ごたえを感じたからです。
短所も大事な個性のひとつ
地元の材料で地元流に作るやり方を覚えました。
日本は建築工事レベル・工事費も世界一と言われます。その精度を海外で求めるのは不可能で、押し付けることは逆効果になりかねません。下手でも現地の技術レベルは個性です。それぞれの場所の精度にあった素材選び、ディティール決めが重要だと学びました。
長距離走者はしなやかに対応できる人なのです。その後、北京五輪で「竹の家」を舞台にCMが作られ建築依頼がたくさん来ました。
第8章 ハコの先の建築を探して
「小さい」事務所から「大きい」事務所へ
隈研吾氏の事務所は東京・パリ・北京・上海にあり300人のスタッフがいます。
「広重美術館」「竹の家」が海外で評判となり、ネットで世界中から突然依頼が来ます。1990年代までは大学の先生や師匠の紹介、怖い建築業界のボスなど余計な忖度はなくなりました。ネットは評判の良し悪しを調べられるので、建築家はいい作品作りに専念し勝負するフラットで平等、実力主義になりました。
キャラ立ちした建築って?
ネットでは個性的でキャラ立ちする必要が生まれました。
「建築家になるのには何が必要ですか?」と聞かれた時「ひねくれていること」と答えます。流行に反抗した建物を作ってきた事。みんなが「いいね」をしたモノはすでに時代遅れかもしれないと思うからです。
いい建築は、まわりの人に愛されてこそ
一方で「使う人に愛される」のも大切な要素です。
使いやすい、楽しい、幸せな気分になる建築は人々に好かれ、その評判もネットで広がります。時代は使い勝手に敏感な時代だからです。人々が何をいいと思い、何を好むかの未来予測能力が必要です。
また、計画中、工事中の施主、近隣の人の評判、建設・工事関係者とのコミュニケーションも大事です。「いい作品」の評価を決めるので対話する能力。ゼネコンのスケジュールとコスト追及にイラついても、そこを守れないと「いい作品」になれません。大人なので、決められた範囲でできることをみつけます。
建築家とは待てる人
現場での職人との対話も重要です。
相手の話を聞くことで、材料の新しい使い方のアイデアや解決方法を見つけられたり、そこでの信頼関係がいいものを作ろうと努力してくれ評判の総和となります。コツコツ信用を得るように努力を積み重ね辛抱強く持てる人にチャンスはめぐってきます。
新たな時代の「低い」国立競技場
「国立競技場」に隈研吾氏が携わったのもそんな信頼構築の結果でした。
コンペにさそわれた理由は、建設した新潟市役所が「親しみやすい」と好評で利用者が増えたことからで「国立競技場」も市民が立ち寄れるようなデザインにしました。でも大きな仕事でも大事なことは気張ったりせず、いつも通りに丁寧に走るペースはずっと同じにすることです。
世界へ飛び出すおもしろさ
日本のコンペは実績重視の評価方式、気心が知れた相手などで選ばれます。
欧米は公平で一代で気づき上げた事務所同士が健全に競い合う競争原理で働いています。海外のほうが独立後軌道に乗りやすく、日本の足の引っ張り合いはありません。隈研吾氏の事務所スタッフは多国籍化し、いろんな国からのオファーに対応しやすさもあります。そして異文化の衝突交流は明るさを呼び、クリエイティブな仕事に合っています。
「小さな仕事」をやり続ける
もう一つ楽しく仕事をするコツに「小さなプロジェクト」もやり続けることです。
小さな仕事はコスパの悪い仕事ですが大きな仕事ばかりしていると、スタッフが手抜きで効率のいい仕事ばかりする人間になります。赤字でも「竹の家」のように後につながる仕事もあるからです。2008年ミラノ・トリエンナーレから「カサ・デ・トゥット(みんなの家)」のテーマで避難住宅のアイデアで出展は、その後世界で起きる大災害への予言的な展覧会でした。
「傘」で挑んだ新たな時代の家
この展覧会に「傘15本をつなげて15人が生活できるテント」をデザインしました。
大変苦労しましたが、これに挑んだのは未来の建築を考えるためのヒントが得られる気がしたからです。「国立競技場」も「小さな個人」の集合体でなければならないと考え、それが新しい建築の時代があると考えました。
おわりに――コロナ禍は建築家にとって大きなチャンス
20世紀までの建築の流れは効率追求、工業化社会の大原則の「大きなハコ」でしたが、それは人間を幸せにしたでしょうか?
その問いを突き付けたのがコロナです。もはや「大きなハコ」は効率的ではなくなっていて、コロナ以降は自然と一体化する建築に向かわなければなりません。コロナ後を生きるみなさんは、もはや別の時代を生き始めています。
建築家になりたい君へ (14歳の世渡り術)読書感想文の書き方の大ヒント
・中学生の部 本文 2000字以内
(作文用紙400字×5枚)
字数が足りない場合は、以下のサイトの「文字数が足らない場合の対策」の部分が大変参考になります。
⇒ 読書感想文の書き方 構成とコツ【中学生・高校生】コピペOK
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○ 応募規定にあっているか
○ 発達段階に応じた適切な本を選んでいるか
○ 読書のよろこび、楽しみが感じとれるか
○ 広い視野から作品を評価しているか
○ 登場人物の心情や、作品の語っているものを的確にとらえているか
○ 著者の論旨を的確にとらえているか
○ 事実と著者の意見とを区別してとらえているか
○ 自分の意見・感想を率直に述べているか
○ 自分のことばで表現しているか
○ 発達段階に応じた考え方が表現されているか
○ 規定の文字数を十分に生かし、自己の思いを表現しているか
○ 読書によって得た自己の変革がみられるか
○ 規定の文字数を十分に生かし、自己の思いを表現しているか
あらすじは簡単でもいいですが
・自分がどう感じたか?
・本を読んで何を感じ、今後にどう生かすか?
・「似たような経験」の自己開示 → 高得点ポイントです
建築家になりたい君へ (14歳の世渡り術)作者からのヒント
東大新聞オンラインより
2020年5月25日
建築家・隈研吾教授が振り返る東大での教員生活【退職記念インタビュー前編】
・建築家という存在は普段、経済とか政治といった社会の流れに流されやすい。そこで、普段の自分の行為が、ある別の基準で見た時にどういう風に見えるか、歴史的にどういう風に位置付けられるのかな、って測るための「物差し」が必要になってくる。
・その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
建築家・隈研吾が教える、 世界的に活躍するための秘訣【退職記念インタビュー後編】
・国と国の距離はものすごく縮まっているように感じるね。地球が小さくなったような。
・世界中の色々なところで色々な建築のプロジェクトが進行しているけど、実はどれも同じような人が関わって、同じ人に色々な場所で出会う。それはデザインする人だけではなくてお金を出す人(クライアント)も。
・Q:そういった人々の共通点はなんでしょうか? A:建築の世界に限らず、尖った人というのは自分の哲学のようなものを持っているように思う。今はちょっと尖っただけで世界中からお呼びが掛かる時代
・世界という物差しの中で、あるいは他人の物差しの中で、自分の個性がどういう意味があるのかなって常にチェックしてほしい。
・原先生とアフリカに集落調査に行った際、調査にかかるお金の工面からスケジューリングまで全部自分たちで行ったんだけど、その時に初めて「飛び込んだ」って感じがした。
・飛び込めるんだったら早く飛び込もう。海に飛び込んで泳ぎ出そう。飛び込む時にはやっぱりジャンプする必要がある。そのジャンプができる人間が伸びていくんだと思うね。
ニュースイッチ
2021年08月13日 隈研吾氏インタビュー、コロナ禍で人の関心が木材に向いた理由
“Future Is Now 隈研吾が見据える、未来の建築のあり方。<全2回>
前篇| 建築はもっと、小さく、柔らかく、人に寄り添う存在になっていく。
後篇| 変わってゆくことで、建築の可能性も、街の可能性も広がる。
「建築家になりたい君へ」読書感想文・例文みんなの感想
〇めっちゃパワフルな本でした。反骨のやんちゃな建築家、隈研吾さん建築を語る。
〇70年代から現代までの建築やその流れ、建築家について、また建築だけでない全ての知識や興味や教養や経験、そして人との繋がりが隈研吾さんのお仕事につながっているのだなと
〇この本はタマゴたちへの挑戦状ですよね。私のシカバネをこえていけ!こえられるもんならな~と高笑いする幻聴が聞こえた。
〇建築に限らず、全ての仕事に変換出来そうだ
〇昨日読んだ博物館ブックにも繰り返し出てきた神は細部に宿るという言葉。毎朝、唱えなくちゃ。
〇核家族では大人教育は重要視されない
親と子でしかない
路地で畳針を操っていた職人さん
鍋を治していた鋳掛屋さん
庭先に井戸を掘ってくれた職人さん
その人たちはその「技」と「姿」で
一人前の仕事とは
を無言で語ってくれていた
今の日本で
それらの貴重な「日本の技」を
見受けることはほぼ無い明治以来
欧米だけを手本にして
道路、交通、建物を模倣して来て
なんとも無機質な「都市」を作り上げてきた
この日本という国の中で
隈研吾さんの「建築」に
焦点があてられる理由が
本書を読む中に見受けられる日本という国で
培われてきた「匠の技」、
日本が「これから」を
考える時に どう感じればいいのかその辺りのヒントの数々が
隈研吾さんが14歳の若い人に向けて
語り下ろしている本書に
詰まっている気がする
少年少女たちに向けて隈研吾さんが書いた本ですが、40代半ばのおじさんが読んでも胸に刺さる言葉がたくさんある本です。私自身は建築家になりたいと思ったことはないですし、アラフォーになって美術館に行くのを趣味としてから、やっと名建築なるものに目を向けるようになったくらいです。当然のことながら建築をベースに文章は綴られますが、本質的な部分ではどの仕事にも当てはまることばかりです。仕事だけではありません。家族や友人との関係性においても身につまされる話もありました。建築家の仕事は、特に隈さんにとっては、それを長距離走者に例えていました。あの国立競技場の建設にしても、それまでの実績と信頼関係などの積み重ねのうえにあるということです。
また、この本はコロナ禍において書かれた本です。最終章ではコロナの前と後での隈研吾さんが考える未来の建築の方向性について語られています。どんな風に話されていたかは是非読んでいただき、私の感想としては、アフターコロナと言われてもこれまでの生活との間にばっさりと境界線を引くようなものではなく、積み重ねてきたことを踏まえて、今後も積み重ねていきたいことは積み重ね続けていこうとも思いました。
あと、アート好きとして建築との違いに触れられていたのが印象的です。建築家を隠喩的に「子供」と「大人」の両方の素養が必要ではないかと説いています。本文を引用させて頂くと、『建築というのは、「大人」がお金を出してくれて、初めて実現するものだからです。そこが建築とアートの違いです』。ものの見方が増える本です。
14歳前後の若者だけでなく、すべての人にオススメ。情報量が多く、読み応えアリ。
最近は何でも隈研吾だよなぁと辟易ぎみだったのですが、この本を読んでみて、隈研吾建築をきちんと見に行きたい、と思いました。
普通の人であればしたくないような苦労でも、隈さんは「あの経験があってよかった」と自分の糧に出来る方なんだなと。
子ども時代、欲しいものがあるときは父親にプレゼンしなくてはならず、それが後々役立ったそうです。しかし、妹はすぐに買ってもらえていて、世の中の不公平を実感した…というフレーズには笑いました。
プロテスタントが、資本主義経済の社会システムのベースになっていて、それがどのように建築にも影響を与えているのか…という説明も本当にわかりやすくて。
他にもたくさん挙げたいくらい学びの多い一冊でした。
物足りない。家族、ご近所、地域の断絶を生み出すことで時流を作った建築界なんだから、他の建築家の批判だけでなく、まちづくりのプランをどうやって作るかとか示してほしい。コロナ禍では、自由な発想こそマストなのだとのメッセージを若者だけに投げるのはブー。
【お手本はこちらがおすすめ】(外部サイト)
入賞作品集(過去の入賞作品まとめ一覧)
去年の受賞作と感想文をチェック!!
読書感想文の入賞作は審査員の合格基準に達した書き方をしています。
一言で言うと「読書したうえでの学習効果が感じられるか?」です。
参考になる入賞作は大いに参考になります。
昨年の入賞作2点を参考に、書き方のコツを学びましょう。
内閣総理大臣賞
<中学校の部>
◆広瀬健伸 茨城県 洞峰学園つくば市立谷田部東中8年
「本気の「好き」のその先に」・・・「牧野富太郎 日本植物学の父」(汐文社)より
2023年度前期に放送されるNHK連続テレビ小説第108作『らんまん』で牧野富太郎氏をモデルに、朝ドラとして放送されます。主演は神木隆之介さんです。
文部科学大臣賞
<中学校の部>
◆武藤さくら 福島県 郡山市立富田中2年
「言葉に思いをこめて」・・・「春や春」(光文社)より
メインの大賞のひとつ文部科学大臣賞は、去年の課題図書「牧野富太郎 日本植物学の父」が受賞しました。
2023年度前期に放送されるNHK連続テレビ小説第108作『らんまん』で牧野富太郎氏をモデルに、朝ドラとして放送されます。主演は神木隆之介さんです。
入賞作を読むと読書感想文の雰囲気がわかりますので読んでみることをお勧めします。