【犬になった王子】あらすじネタバレと「シュナの旅」比較・恋愛心理と種苗法の闇?
「犬になった王子」
内容紹介
昔むかしのお話。チベットのプラ国に、勇敢で心優しい王子様がいました。当時のプラ国には食べ物があまりなく、ヤク(毛の長い牛)や羊のお乳や肉くらいでした。しかし、山の神様のもとには、おいしい穀物のタネがあると知り、王子は旅に出る決意をします。しかし、旅路は危険に満ちていました。山の神のもとへは、99のけわしい山と99の川を越えなくてはなりません。毒へびや猛獣たちがひっきりなしに襲いかかってきます。ようやくの思いで山の神と会うことができた王子でしたが、そこで驚きの事実を知らされます……。
次から次へと襲いかかる危機を王子はどうやって乗り越えていくのか……。予想を超える意外な展開が待ち受けています。「自分だけでなく、みんなを豊かにする」という王子の理念が、全編を通して貫かれているのが印象的です。読んでいるうちに、こちらの心も、豊かな気持ちに満たされるよう。昔から現在まで大切に語り継がれ、愛されつづけていることを感じさせる物語です。
ジブリの宮崎駿さんが「犬になった王子」をモチーフに1982年に出版した「シュナの旅」が注目を浴びる昨今。「犬になった王子」が「シュナの旅」との違いをご紹介いたします。
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【犬になった王子】あらすじ・ネタバレ
【犬になった王子】感想・考察「チベット女子の恋愛心理」?
「犬になった王子」と「シュナの旅」との違いと宮崎駿の思いとは?
「犬になった王子」みんなの感想
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【犬になった王子】あらすじ・ネタバレ
起
大むかし。チベットのプラ国に、勇敢で心の優しいアチョ王子がいました。
この国は食べ物が少なく貧しいのが悩み。でも「山の神・リウダ様のところには穀物の種がある」という言い伝えがあり、アチョ王子は「長く危険に満ちた旅だからヤメロ」との反対を押し切り、家来を連れて旅立ちますが、案の定、家来は全員死にアチョ王子だけが生き残りました。
99番目の山の頂上で糸車を回すおばあさんに「山の神リウダ」の居場所を聞くと「99番目の川の神に聞け」と言われ、川の神に聞くと「種をもっているのは蛇王で、見つかったら犬にされて食べられるよ」「蛇王が出かける犬の日の番兵が居眠りするスキに盗めばいい」「やばくなったら口に入れるこの『風の玉』を入れろ。何かおきても心から愛してくれる娘に逢えたら救われるから東に行け」とアドバイスをもらい蛇王のもとに行きます。
承
蛇王の領地で陰からスキを狙うアチョ王子。
ところが蛇王は犬の日に出かけてもすぐ帰ってくるので、服でロープを作りシュッと行ける方法を編み出し、蛇王の洞穴に飛び込みます。
玉座の下にあった穀物の種を盗みますが、逃げるとき寝てる番兵を起こしてしまい、何人か殺していると蛇王が帰ってきてしまいます。「やばい」とアチョ王子はとっさに「風の玉」をなめながら逃げますが、蛇王に笑われながら指をさされて稲妻を打たれてしまいます。
すると逃げるアチョ王子は徐々に金色の犬になっていき、東に逃げていきました。
転
犬になった王子はロウル地方にやってきて、村長の3人の娘の末っ子ゴマンが美人で動物好きとの噂。「この子かも」とたずねていきます。
ゴマンに金色の種を見せて種を植えるようにジェスチャーで教え、穂がそろうまでゴマンのそばにいる犬になったアチョ王子。
秋になり、村長が「三人娘を嫁にやる」ために「気に入った若者にくだものを投げて夫を選ぶおどり」をさせました。2人の姉は名士の息子や金持ちを選びましたが、ゴマンはアチョ犬王子が泣いていたので気になって近づいた時にくだものを落としてしまいました。
村長の父は「犬を選んだ」と激怒してゴマンを村から追い出してしまいました。
結
ゴマンが号泣していると、犬になったアチョ王子が口をききだし「私は人間、プラ国の王子…愛しているなら、私が麦の種を道にまきながら国に帰るので、それをたどって来てください」と駆け出していきました。
ゴマンは麦をたどりながら旅を続け、麦の穂が金色にうれた頃には長旅でゴマンもボロボロになっていました。城の入り口で麦は見えなくなりましたが、あの犬が飛び出してきたのでゴマンも抱きしめようと駈寄ると犬はパッとりりしいアチョ王子に変身しました。
王も妃も大喜びで、その日の夜に結婚式になりました。
そしてプラ国からロウル地方の千里、大麦がとれるようになりました。「犬のおかげ」人々は主食のツァンパ※を食べられるようになったので、その年の新麦で作るツァンパはまず犬に食べさせます。
※チベットの主食である「ツァンパ」は、大麦を炒って粉にしたものに、お茶やバターを入れて捏ねて粘土状にしたもの。
主食であったり携帯食であったりと、チベットの人々にとっては命の糧のような「ツァンパ」の原料の来歴を語るお話。
【犬になった王子】感想・考察「チベット女子の恋愛心理」?
【犬になった王子】感想
貧しい土地なので、厳しい環境で生きていくのが人生とされた世界です。
将来の王として国の貧しさを何とかしたい!と命がけの厳しい旅に出ます。前半は王子の旅の苦労のお話ですが、後半の主人公は目を付けた彼女ゴマンと言えます。
猛獣や毒蛇が出る99の山と川を徒歩で越えて、季節が変わるほどの長旅にボロボロになりながら、無事に犬になったアチョ王子の城までついてしまう。ゴマンの旅の苦労は一切語られず、王子の呪いを解いて即結婚というハッピーエンドです。
女性的目線で見ると「え?後半は女を利用するの?」とアチョ王子の好感度が下がりました。
ちなみに、ヤクや羊の肉と乳しかたべもののない土地。とありますが、チベットは物語にある通り野菜の育ちにくい土地柄から、ヒツジやヤクのほか、犬肉を用いた茹でソーセージが作られているので、蛇王だから犬を食べるわけではないようです。
国の長として、国家の安寧を願い行動するのは国民としては「頼もしい国のトップ」としてうれしいかぎりでしょう。見目麗しく、家来は全員死んでも生き残り、周りに助けられる生まれながらのラッキーボーイなアチョ王子。
犬のままだど麦を国に持ち帰っても国王にもなれませんし、人間に戻りたい。そこで見つけたのが「うつくしく、思いやりがあり、生き物をいつもかわいがるゴマン」でした。…生き物好き≒おもいやりがあるという概念が単純すぎる気がします。
考察「犬になった王子」から見る「チベット女子の恋愛心理」?
・この人には価値がある
・この人を手放したくない
・この人は特別だ
ゴマンの2人の姉は現実的で一般的な小金持ちを選びますが、ゴマンが動物好きで優しいと言っても、村長である父親の社会的名誉を重んじれるほど成熟はしていなかったように思えます。追い出されて女子一人で生きていけるワケないチベットで、犬が「私は王子です」と言葉をしゃべりだしたら、「千載一遇のチャンス(?)に乗るしかない」と頑張るかもしれません。
また、犬を含めたペットと触れ合うと人は「フェニルエチルアミン」という脳内物質、別名「天然の惚れ薬」が分泌されます。ほかにも幸せホルモン「セロトニン」「オキシトシン」も分泌されます。
ゴマンの「動物好き」は単に優しいからというより、ストレスフルな状態に癒しを求めていたのかも?別れ際には「結婚の確証」もないのに王子を人間に戻すために、何千里も危険な女子一人旅を成し遂げたゴマンは努力の末の勝ち組です。
ちなみに「ホストにハマる女性の特徴8選」というのがあり
依存気質・自己肯定感が低い・独占欲が強い・負けず嫌い・孤独感が強い・承認欲求が強い・恋愛経験が少ない・メンヘラ
この中のいくつか、ゴマンにも当てはまる気がします。
これは国の食料自給率を苦労してあげた話とともに、男女の恋愛駆け引きに話にも思えます。
大むかしのチベット民話なのに、現代でも「尽くす側と尽くされる側」の恋愛理論を感じ取りました。人生は等価交換ということでしょうか?ホストやアイドルに骨までしゃぶられるほど尽くしても報われない女子に比べたら、ゴマンは結婚できたので良かったです。
「犬になった王子」と「シュナの旅」との違いと宮崎駿の思いとは?
アチョ王子:農作物が実りにくいチベット
シュナ:やせた大地でヒエやアワも実りにくい大地、強奪や人喰いなど残酷な世界
アチョ王子:家来(全滅)、山姥と川の仙人に助言&助けられ、後半は嫁候補ゴマンの努力で目標達成
シュナ:お供はヤックルのみ。人喰い人種や奴隷売買のエグい世界を知り、奴隷の姉妹の姉テアの恩返しにより人間性を取り戻し目標達成
アチョ王子:蛇王が麦の種を独占している理由がナゾ
シュナ:ナゾの神人が人間を喰らい麦を生産している、世界が理不尽でなりたつ秘密を知る
アチョ王子の妻となるゴマン:苦労も思慮深さもない人柄だが、動物好きが理由か?アチョ王子犬のために命がけの旅をする
シュナの妻となるテア:奴隷であった自分たち姉妹の救済者への恩義からか?勇気と聡明さがあり、気のふれたシュナの回復をあきらめない
アチョ王子とゴマン:国に帰って即結婚、ハッピーエンド
シュナとテア:シュナの国に帰ってからも世の不条理は何も解決していないので、困難は続くだろうエンド
結論 宮崎駿のほうが大人の物語
「犬になった王子」は麦を手に入れた後は、彼女のゴマンにまかせっきり。アチョ犬王子が「麦植えながら帰ったから今のチベットの主食がある」はサラッと『察しろ』的な展開となっています。大昔のチベット民話ですが男女平等の活躍と言えば丸く収まります。
一方の「シュナの旅」は過去か?未来か?人間が「麦つくり人造人間」に改造され、出来た麦が人間界に循環され…1983年発表の作品なのに、種利権の闇を垣間見たようです。子供が読んでもモヤモヤが残るように演出したのは、宮崎駿の「考察してくれ」というメッセージだったのかもしれませんが、今こそアニメ化して世間にもっと広まってほしい物語です。
「犬になった王子」みんなの感想
誰かのために。
我が身を犠牲にしてでも、ひとびとのために尽くす王子の姿は胸をうちます。
また、王子と出逢った娘の心のうつくしさと、「犬の姿」のままの王子を信じるつよさにも魅かれます。
・・・いまの世の中には、金儲けの方法といった「己の欲」を満たすための情報があふれています。
自分の欲のためではなく「他者のため」に、己のできる精一杯を尽くすという王子の生き方は、子どもだけでなく、大人にこそ読まれるべき物語だと思います。
チベット人の主食であるツァンパの原料となる
大麦の来歴を語るこのお話は
チベット文学史の中で天地創造に継ぐ重要な神話だそうです。
闘う力と勇気を持つ王子と
すべてを失い、ただ不思議な犬の言葉を信じて、孤独と放逐と辛い旅に耐えた少女
この二人がオオムギを、チベットの人々にもたらしました。
闘う力と、耐える力。大きな仕事を成し遂げるにはこの二つの力が必要なのだと。そして、若い学生の日にヒマラヤの村で「二条大麦、六条大麦」の原種を発見し、
生涯をブータンの農業発展にささげた西岡博士が、この二人の姿に重なって見えてきました。
この話がブータンの人々にも伝えられているのかはわかりませんが、当地で「ダショー西岡」と慕われ続ける西岡博士は、現代のアチョ王子なのかもしれません。
そして、ちょっと楽しい発見をしました。ゴマン登場のシーンで、寝ている猫と遊ぶネズミが描かれています。
これは、「猫が穀物番としてネズミを捕る」以前の時代だからですね。この時点ではまだ穀物がありませんから。
原題は「青稞種子的来歴」とのこと。若く勇敢な王子が、蛇王の元から種子を盗んで国に持ち帰る穀物起源譚が本筋で、神話性が強い。そこに愛が呪いを解く童話の王道展開が混ざっているのが面白く、邦題も表紙絵もそこに焦点をあてているのだろうと思われる。作中に描かれた娘が果物を投げることによって婿を選ぶ習慣が興味深い。イヴがアダムに渡した果実も甘やかな想いが伴っていたのかもしれないと思う。
純粋に文学を愛する人の感想は心があらわれますね。