【ヒマラヤに学校をつくる/あらすじ・ネタバレ】読書感想文書き方のコツ・ポイント



「ヒマラヤに学校をつくる:カネなしコネなしの僕と、見捨てられた子どもたちの挑戦」
228ページ
(旬報社)
著者:吉岡大祐・著
本体価格:1,400円
ISBN978-4-8451-1554-9

こちらでは
2019年の「第65回 青少年読書感想文全国コンクール」高校生の課題図書
『ヒマラヤに学校をつくる』の「あらすじ・ネタバレ」と読書感想文の書き方のコツ・ポイントをご紹介いたします。

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『ヒマラヤに学校をつくる』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ
『ヒマラヤに学校をつくる』読書感想文の書き方・例文とポイント 
『ヒマラヤに学校をつくる』読書感想文の書き方のポイントとその他オススメ本
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『ヒマラヤに学校をつくる』あらすじ・ネタバレ・こんな子にオススメ

【出版社内容情報】
【貧しいけれど きっとここは 世界一幸せな学校】
トウガラシを体にすりこんで暖をとり、生活のために我が子を売る。
22歳でネパールに渡った著者は、そんな究極の貧困を目の当たりにして衝撃を受ける。

貧困から抜け出すには教育しかない。その支援をしたい。
けれど、自分は教育者でもなければ、社会に出た経験もない。そんな自分に何ができるのか……。
悩み、もがきがらも貧困家庭の就学支援をスタートさせ、
幾多の困難に直面しながらも、2004年「クラーク記念ヒマラヤ小学校」を開校。
その後もネパール大地震や病気(ガン)などに見舞われながらも、
これまで現在200人までに卒業生を送りだしている。

想いさえあれば、人はどこまでも行ける。
子どもたちに教育を!人身売買、児童労働、カースト差別…貧困のネパールで、
ゼロから学校づくりに挑んだ著者の、涙と感動の20年の軌跡。

 
読みやすさ ★★☆☆☆
感想文の書きやすさ ★☆☆☆☆

こんな子におすすめ
・世界平和に興味がある
・ボランティア活動に興味がある  
・教育関係の仕事につきたい
・子供が好き  
など

【作者のねらい】
・身分制度による無学、貧困で苦しむ人がいる事を知ってほしい
・教育を受けられる幸福を知ってほしい
・世界に目を向け、何かをはじめるきっかけになればうれしい。 

【ヒマラヤに学校をつくる】~あらすじ・ネタバレ~
赤字…章のまとめと作者の感じた事
紫字…ネパールの現状

第1章旅立ち・・・作者ネパール行きのきっかけの生い立ち(所要時間1:19)
なぜネパール?
吉岡大祐は1998年鍼灸師の国家資格を取り、縁がありネパールに行くことにして無償で針治療をして小学校運営をしている。
小さな探検家
3兄弟末っ子の子供時代、変わり者の父には学校をズル休みさせ色んな旅行に連れて行った。旅先で父は僕らに「探検」と言い単独行動をさせた。
人生を決めた「オレンジジュース」
初海外のアメリカでの探検中なんとか英語でオレンジジュースを自力で買えた事に感激。しかも大きなグラスで氷も入っていない気前の良いアメリカが大好きになり「大きくなったらアメリカ人になろう」と決心した。
鍼灸との出会い、恩師の言葉
夢はアメリカ人になる。中学の柔道をサボるため友達につきそった鍼灸院で「鍼1本で体を治す」と何の気なしに見たものが、高校の田中先生が言う「社会の役立つ人になれ!」を真剣に考えた時「アメリカで鍼灸師になれば誰かの役に立てる」と思い付きそれを目指すことにした。
東京で鍼灸を学ぶ
東京の鍼灸学校に進学し勉強と渡米費用をためるバイトに追われ、何とか国家試験を受ける直前に昔ネパール旅行で世話になった父の知人ダルマさんに「困っている人沢山いるしネパールの方が生活費安いし来たら?」と言われとりあえずネパールに行く事にした。
いざ、ネパールへ
日本でも鍼灸の理解が深まっていないのに、ネパール人は国家試験取り立てでも治療経験のない自分を受け入れるのか?疑問だけど60万もって22歳でネパールに向かった。

第2章混沌と貧困・・・鍼灸治療を通して知るネパールの現状(所要時間5:00)
ネパール生活、始まる
ネパールではカトマンズのダルマさんの家でしばらく下宿させてもらう事になった。前は一族30人で暮らしていたが今は近代化と核家族化で家族だけで暮らしている。
とにかくあわてない人々
生活に不自由はないが、連日長時間の停電と慢性的水不足があった。だが一番困るのがネパール人の時間のルーズさで、ビンドゥー教が時間を無限に考えるので時間を守る概念がないのだ。
約束よりも星占いを優先
ダルマさんの家には誰なのかわからない人たちが来て僕を遊びに誘うが数時間待っても来ない事が多い。訳を聞くと「約束なんてした?」「親戚と会ったから」「星占いで外に出るなだった」と言うのにまた誘ってくる。屋上で心を落ち着かせることもしばしばあった。
近所のお年寄りを治療
ネパールではトリヴバン大学国際語学キャンパスに入学したがお祭りが多く休校が多かった。ヒマなので近所のヒザを痛がる老女にためしに鍼治療をしてもリアクションなく黙って帰り治療経験がない自分を悔やんだ
患者が患者を呼ぶ
翌日、老女が「ラムロチャ(調子がいいよ)」と友達2人も治療してくれと連れて来て、ネズミ算式に患者が増えた。ネパール人は薬を飲まないからか?不思議と鍼治療への反応と効果が高いのだ。
貧しくて病院に行けない
それから無料鍼治療のウワサで山道を何時間もかけてくる人や、緊急手術が必要な大病の人まで来た。「貧しくて病院に行けない」と言う。彼らは呪医(バイデヤ)のプジャ(礼拝)や、悪霊祓いダミ、祈祷師のボクシーなどで病気に対処してきていた。
山の上の村へ往診
ある山村に「足の悪いビシュヌさん」の往診で行き、どこいいるか人に尋ねると「みんなビシュヌさん(よくある名前)でみんな足悪い」と言われ捜し歩いた事で無償鍼灸の噂が広まった。その後週2,3回往診に行くようになり世間話でネパール社会の現実を知る機会になった。
伝書鳩で診療日を連絡
山村には伝書鳩で往診日を伝え、僕は「ダイスキサン」「ジャパニサーブ(日本の先生)」と呼ばれるようになった。
「生まれてきてよかった」
ある日、山道で大荷物の老女がヒザを痛そうにしてるので彼女の家で診療してあげる事にした。状態も悪く家の様子から貧困だとわかった。診療後、老女マヤさんは涙を流し「生まれてきてよかった」とささやいた。
ヒンドゥー教のカースト制度(身分制度)では世襲制の職業により分類され「不浄」の位の人は精肉業、清掃業などの死や血、排せつ物に関わる職業となる。マヤさんは「ダリッド」と呼ばれる不可触の賤民(通常の民衆よりも下位の身分)だという。
1955年市民解放法でカースト差別は禁止されても差別は残り労賃も投げつけられたり、家畜が死ぬと「魔女狩り」として暴行をうけその時の骨折で今も右手が曲がったままだ。僕はカースト制度にショックを受けたが「生まれて初めて人から優しくしてもらった…」との言葉に教育もなく、宗教の輪廻(来世に期待)を待つだけの人の心を僕にも少しは救えるかも、とネパールで診療を続ける決心をした。
資金不足に直面
活動資金が底をつきそうで、知人に片っ端から援助願いの手紙を書くと賛同者が現れ、紹介者と出会い一歩ずつ前途が開けた
王族からの治療依頼
ある日、当時の国王の姉つまり王族の治療依頼を受けた。「国民のためにもこの治療を…」と「ネパールがん協会」の治療室の無償提供をうけた。がんは治せないが補助的な効果や心を救うことは出来る。無料の「鍼灸フリークリニック」を開設した。
医療キャンプの衝撃
ドクターシャルマから「医療キャンプ」に誘われボーイスカウトのノリで行った先は極西ネパールの究極の貧困村だった。
目を覆いたくなる現状
景色も美しい桃源郷のような村には何時間もかけて来た人、息もたえだえの人、感染症の子供がいて不潔で嘔吐物の異臭漂う部屋に通されエズいた。
逃げ出した弱い自分
この惨状や感染症の恐怖で汚物を見る目でそこから逃げだした僕の決意は薄っぺらで卑怯で弱い人間だと痛感した。ドクターシャルマはそれを見透かしたように「避けないで、率先して体験することだよ」と言い「へき地の現状の問題は教育の遅れにあり、医療キャンプも対処療法でしかない」とため息をついた。
ヒンドゥー教社会では女性の社会的地位が低く教育を受けると「神の怒りに触れる」とさえ言われ、手洗い習慣や水を沸かして飲む基本知識すらない。女子を産むとアラチニ(呪われた女)と言われ嫁ぎ先から追い出されることもあり、教育のない母親だけでは子供を安全に育てるのは難しい。村に来て1週間、助かる病気で子供2人が死に「教育の遅れ」を痛感した。
少年ゴビンダとの出会い
鍼で治せる患者はほとんどいないが治療を続けた。それを興味深くのぞく11歳位のゴビンダは自分の年齢を知らないが鍼に興味津々で色んな質問をしてきた。翌日は「字を教えてほしい」と言い名前の書き方を覚えて興奮した。彼の向学心と同じ頃の自分を比べ恥ずかしくなり、勉強の機会を奪われた大勢の子供がいる事を実感した。
ゴビンダの健気な優しさ
ゴビンダの家に遊びに行く事になり、粗末な家だが精一杯のもてなしをうけた。父は病気で半身不随に失語症、母は義父から「結婚持参金が足りない」と暴行され盲目になった。義両親と親族からの暴力に耐え兼ね家族で母の地元に戻ったが経済的に無理だから出て行けと言われてる。生活はゴビンダがトイレ掃除などで支えている。
「お母さんの目が見えるようになる?」
ゴビンダの母に彼が字をすぐ覚えたと伝えるととても喜んだ。勉強を続けるように言うと「字を覚えたら、お母さんの目が見えるようになる?」と言われ胸がえぐられる思いがした。
  


第3章子どもたちに教育を・・・ネパールの婦女子の現状と子供の学習支援始まる(所要時間3:45)
児童労働の実態
ネパールの子ども(5~16歳)は5人に1人は世界的に禁止の児童労働者(14歳以下の女児が多い)で採石場など過酷な仕事をしている。口減らしで山村から首都カトマンズに出され働いても逃げ出したり、貧困でストリートチルドレン(路上生活児)になる子もいる。物乞いで憐れみを買うため元締めから手足の切断や片目をつぶされる事もあるが、その治療費が借金になる。
みかん売りの少女アシュミタ
2年前鉛筆が買えず学校をやめたアシュミタは鉛筆代とお母さんのお腹の治療代のためにみかん売りで働く。
彼女の母メヌカさんは14歳で結婚し女児のアシュミタを産み「呪われた女」になった。嫁ぎ先からの暴力で右手の握力がなくなり母娘は追い出された。
ネパールは新婦家族に高額の結婚持参金制度があり「娘を三人持てば灰もなくなる」と言われるほどの負担で女児は忌み嫌われるのだ。法律上結婚は20歳だが今だ幼児婚(9歳、10歳など)もあり、これはカースト外結婚、特に逆毛婚(高カースト女性と下位カースト男性の結婚)の防止と村社会の秩序のためだ。メヌカさんの工事現場での賃金は男性の半分しかもらえず炊き出しや物乞いで食べた。カースト制度は、不浄な女性は結婚でのみ浄化されるが、離婚は「浄性が失われた寡婦」として社会から人を突き落とす宗教の闇がある。政府も教育運営資金不足から児童からも金を徴収している。僕はネパールの母子家庭の女子を支援する教育支援を決めた。
聡明な少女リタとの出会い
アシュミタの聡明な友達リタを紹介された。母サラサーティさんも母子家庭で以前の住居では近所の嫌がらせで引っ越すこともあり、彼女は話を聞いてあげただけで感謝した。みんな苦しみを打ち明けたい思いを抱えていると知る。
少女を襲う人身売買
毎年7000人以上のネパール人少女がインドの売春窟の娼婦に売り飛ばされる。年を取るかHIVなど病気になってからネパールに返される。彼女たちは親切を装う周旋人に「学校も行けるし稼げる仕事がある」とだまされるか口減らしで売られるのだ。
燃え広がる思い
ネパール人は「自業自得の母子家庭に手を差し伸べる必要はない」「アラチニを助けたら罰が当たる」と言う。厳しいカースト分断社会なのに下層の少女たちは天真爛漫に勉強したいという。僕は周囲に少女たちが学べるよう協力を訴え続けた。
ヒマラヤ青少年育成会を設立
ダルマさんの奥さんが協力を申し出てくれた頃から徐々に賛同者が出てきた。そして市長を筆頭に7人の仲間で「ヒマラヤ青少年育成会」を設立。12人の少女の就学支援活動が始まった。
直面した課題
1年後、医療活動支援者から協力者が現れ生徒数は25人になった。だが「支援者と奨学生の距離」「親の協力が得られない」などの壁にぶつかった。
お互いの顔が見える支援
1対1の里親と里子の関係での支援「里親教育基金」にして支援者と生徒がやり取りしてお互いを身近に感じ、奨学生の励みを持たせる事にした。だが「学校に行ってもお腹が満たされるわけではない」と理解のない親もいる
元ハンセン病患者ラムさん
山村へ往診に行った時ハンセン病回復者療養所の存在を知り訪ねてみた。ハンセン病は前世からのカルマと言われ差別されのに彼らはとても明るい。仲良くなったラムさんに活動の愚痴を言うと「俺は手足の指もなく顔も獅子面だけど希望を持って生きてるよ。何事も希望をもてばノープロブレムさ」と笑う。僕は自分の思うように行かないことを社会のせいにし、愚痴っていた事を恥じ自己保身に徹していたと気づかされた。悩む前に行動し分かりあえないところからスタートしようと決心した。
ジェニシャとジーナ姉妹
1期生ジェニシャとジーナの家に呼ばれていくと、姉妹は近所の子に字の読み書きを教え、母も娘に字を習いながら「私たちも何かしたいって思って」と言う。僕は「これだ」と思い夕方30分でも習える寺子屋を作る事にした。
初めての寺子屋
寺院の一角に寺子屋をつくると仕事を終えてきた50人の子供が集まった。子どもたちは学校と言う未知の世界への憧れがすごくて学校を作りたいと心が沸き立った。


第4章学校をつくりたい・・・1歩ずつ進む学校建設の道のり(所要時間3:51)
クラーク記念国際高校との出会い
学校づくりの夢を抱きながら、医療活動支援者からクラーク国際高校の先生を紹介された。学校長はスキーヤーの三浦雄一郎さん。2003年三浦さんがネパールにトレーニングに来る時、5人の生徒が同行するので社会勉強の見学をさせたいという事だった。
社会見学と交流活動
クラークの生徒たちは孤児院と奨学生の通う小学校を案内した。彼らはショックを受けながら別れ際に「絶対に何かします」と言ってくれた。
コーヒー1杯節約運動
クラーク高校生徒から、コーヒー1杯やお菓子を我慢した分の募金をする「コーヒー1杯節約運動」をすると言い、翌年浄財が贈られてきた。
夢のヒマラヤ小学校計画が始まる
三浦雄一郎校長が「世界一面白くて夢のある学校を一緒に作ろう」と学校づくりが実現化する事になった。まずは全国のクラーク校で募金活動が始まった。
夏の暑い日に触れた少年の気持ち
だが時間が経つと募金の熱意も覚めて「日本にも困っている子がいる」「学校は国が作るものだ」「そんな計画すぐ立ちいかなくなる」と厳しい意見が出た。その行き詰まり解消にネパール人留学生としてヒマラヤ青少年育英会で児童労働調査をしていた高校生のナリシュマに日本に行ってもらった。彼女の訴えで通りすがりの3人の少年がジュースをやめ募金してくれた事で、必ず彼らの思いに報いたい思いを抱いた。成功とは一足飛びでなくすべてコツコツと地歩を築いた結果だとネパールの子どもたちに伝えたいと思った。
調印式典で宣言
2003年三浦さんが登山でカトマンズに下山したので学校建設の調印式典参加のお願いに行った。他にも日本大使と日本、ネパールの政府関係者も集まった。ネパールに来て5年27歳の時だった。
学校建設への準備が始まる
学校の場所選びの条件は「自然に囲まれ、のびのびと学べる場所」「支援者との交流が可能な場所」だ。
ヤッギャ先生との出会い
学校の建設地の理想の地と教師を求め、薦められた「ブンガマティ村」はカトマンズに程近いが教育が遅れていた。だが緑に囲まれた理想的な環境。そして紹介されたヤッギャさんは中学教員経験と市役所や国際NGO組織勤務経験もあり几帳面で時間を守り、論理的で良識とユーモアもあり学校開校の熱意とビジョンがあり給与も今より安くても問題ないというホンモノの人だった。環境、人材の条件がそろったので学校建設地をここに決めた。
一目で気に入った場所
ネパールは2008年政変により連邦共和制へ移行し、教育改革プログラムが実施された。基礎教育は1年~8年の小学校5年と中学校3年、ほか高校2年で10年生が終了すると中等教育修了試験(SLC)を受け結果により2年の専門コースへ進む。ヒマラヤ小学校は初等教育の5年。100人程度で生徒に向き合える少人数制を想定した。土地の選択には時間がかかったが直感で良い土地に巡り合えた。
校舎の建設が始まる
学校建設資金が不足しているので土地購入は半分で1階のみの建設になった。建設工事も僕たちや村人友人・知人にも労働奉仕の強力を得た
ゆっくり進む工事
節約のため重機を使わず、さらに呑気なネパール人の仕事で工事進行は遅かった。
日本からの救世主
基礎ができた頃クラークの生徒の工事参加が決まり、生徒の働きは地元新聞に載り、村人と国の注目を集めた。
役所への「お百度参り」
ネパールの役所の縦割り官僚制度(ピューロクラシー)はカースト制度的だ。責任者がOKを出さないとたらいまわし。上役と仲良くなるとすぐ事が進む。
直感で決まった学校名
学校名は直感で「クラーク記念ヒマラヤ小学校」に決めた
村の尼寺で寺子屋を開校
開校半年を切った頃、尼寺の一角に開校した寺子屋は毎日100人近く子供たちが来た。そこで新入生選考と保護者の教育への啓蒙する場にした。ネパールでは4割ほどの子供が労働のために中退するのだ。選抜した68人は下層カースト、女子、10歳以上の子を優先し5歳~20歳までの子どもたちにした。入学できない子も寺子屋で引き続き学べる。
念願の小学校開校
2004年5月ついに開校した。僕は28歳になりネパールに来て6年が過ぎていた。
  

第5章学びが始まる・・・ネパールの学校でする必要な教育内容について(所要時間:4:06)
「自分がいなければ」と感じさせる
貧困家庭の親は親孝行する子どもたちの児童労働を当たり前と思い子供への感謝もなければ抱きしめるなどスキンシップもしない。生徒たちが腕をからませたり、背中にしがみつく姿を見て愛情に飢えているのを実感する。先生たちには子供たちに感謝の言葉やスキンシップで「自分は役立つ人間だ」と実感できるように対応してもらう事をお願いした。
人は不足の中でこそ育つ
学校は幼稚園2クラス小学校13クラス、教師男性3人女性2人でスタートした。備品は不足しているが、あるモノと使い切ること、感謝する事、モノがなければ作る工夫などを子供から教わった。
言葉を直せ
ネパールの言語は尊敬語から軽蔑後など語形変化がある。親の多くは子供に軽蔑後を使うので子供が先生に「先生、おいちょっとこっちへこいよ、はやくしろ馬鹿野郎」と悪意なく言う。言葉を直すために教師は常に敬語で話し少しずつ改善されていった。
シラミ退治
健康状態改善のシラミ駆除のため殺虫成分入りシャンプー・櫛・タオルを入手しシャンプーを教えたり日本の看護師が手洗い教育の紙芝居をし保健衛生の教育をした。
努力で制服がきれいに
支給した制服はすぐ破れ汚れたままの「乞食の学校」と言われたので、制服の清潔をたもつ教育や子どもたちの努力を知らない人には他のネパールの子供を引き合いに「恵まれた子どもたちね」と言われる。だが制服が必要な理由は、子供に学んでいる自覚が持てる事と心身売買から身を守れる効果があるからだ。制服は目立つので危険が生じても、目撃者がいて素早く対応できるのだ。
字を覚える喜び
字の読み書きができることは人生にとって画期的な出来事で、初めて自転車に乗れた時の感動に似ている。子どもたちは字を覚えた時、親の役に立てると一番喜ぶ。
子どもに語りかけるヤッギャ校長
元ストリートチルドレンの子は打たれ強くたくましいが、男子には感心するような悪戯をする子に手を焼く。ヤンギャ校長は彼らに散歩しながら言い分を聞き、静かに語りかけ内省の機会を与える努力をした。
弱い者を労わる優しさ
生徒には心身に障害がある子もいる。ネパールには障害児への社会福祉の確立がなくカルマだとして座敷牢に放置されるケースもある。受け入れるのはいいが、対応への心配があったが杞憂で生徒たちが障害のある子のケアをした。知的障害のサシナは学校こそが居場所になり、卒業を恐れ泣いたが、卒業も学校に来て子供たちの世話をしてもらった。
月に一度の「栄養改善プログラム」
予算的に給食の出せない学校では、少しの乾燥トウモロコシを持つ子が何もない子に分け与えたりしていた。月に一度だけ栄養満点の食事で満腹にさせようとお代わり自由の「栄養改善プログラム」は大好評だ。時々日本の支援者からもらうチョコレートは子どもたちは兄弟に食べさせたいと持ち帰る優しさに胸が熱くなる。
お金を貯めることを学ぶ
生徒たちの家庭が貧しい理由に貯金する意識の欠如がある。1日の日当以上の酒代を使い借金が増え児童労働で中退させるのだ。状況改善のために家庭に踏み込むことも必要で保護者に貯金の生活指導として学校で「児童福祉基金」を創設した。内容は児童医療費補助や貧窮家庭にヤギ1頭を貸し、産んだ子ヤギ1頭を現金化して返却する方法、退学者には返金しないが卒業時にはささやかに利息付で全額返金している。理解した親にはこうして4人の子を卒業させた親もいる。
同情が招いた大きな失敗
僕の失敗のひとつにお膳立てばかりして、子どもたちの「お手伝いしたい」「自分でやりたい」気持を奪っていたことがある。ヤッギャ校長に「子どもたちは何でもやってくれる大人を求めていません。子どもでも努力すればできるようになると信じませんか」と言われ同情して”人を育てる”事を忘れていたと気付きハッとした。
信じてくれる大人の存在
生徒の一人に不幸な生まれ育ちから、非行に走り村人から要注意人物とされる子どもがいた。ある日農家の村人が「その子はどろぼうだ」と激しく怒り暴力を振るう事件が起きた。うつむくだけの子どもに僕は「ついにやったか」と思ったがヤッギャ校長は「根拠もなしに犯人扱いは許しません」と村日にと謝罪を要求した。村人は「根拠がなくてもコイツに決まってる」「娼婦の子だ」と罵声を浴びせて憤激のまま帰った。
「一人でいいから信じてくれる大人が必要なのです。彼には学校は最後の砦なのです」とヤッギャ校長に、僕は信じることは「見捨てない」ことだと強く思い、以前の子どもを甘やかして役割を奪った事も、子どもを信じていなかったからだと思い、彼らの自らの決断も信じて最後まで付き合おう、信じようと決心した。
  

第6章運営の危機・・・経営危機を生徒たちと乗り越え成長する(所要時間4:12)
勉強を続けたい!
学校建設当時、資金不足で教室が足りず子どもたちは「2階ができなきゃ(教室不足で)出て行かなきゃいけないの?」と半泣きで尋ねてきた。すると神奈川の元教師ご夫婦・親族の方から建設費支援を申し出てくれた。ネパールは宗教観から『布施できる人の方が幸せ』の概念があるのに、子どもたちは日本のある東の方面に「ありがとう」と叫んだ。
運営費の不足
人は何も考えず勢いに乗らなければ出来ないこともあるが、確実にトラブルは発生する。
運営資金計画は建設費の残金でまかなっていたため、開校数か月後には教員への給料も滞っている中、運営委員会の一部メンバーが勝手に新規工事の発注をしたのだ。ネパール人は最善を望むことは得意でも最悪に備える事は苦手。しかもネパール社会全体の支援への依存体質「誰かか助けてくれるだろう」と甘さあるのだ。必要なのは支援への依存心を絶つ「もっと」ではなく「もう十分」と言える事。身内の意識改革も必要だった。
スポンサーシップで児童支援
運営資金支援は「キリがない」から協力を得るのは難しい。そこで生徒一人一人の個人支援する「スポンサーシップ」を創設することにした。児童一人当たり年1万円の支援なら支援者負担も少なく、中断しても別の支援者の引き継ぎがあり生徒と支援者お互いの顔が見える。
リタを連れて日本へ
20万の支援が来たが「自転車操業を止め、運営資金の目処を立てるために使う事」と留意があった。この忠告に従い第1期生のリタに日本で実情を話してもらう打開策を取る事にした。リタの経験には重みがありSLC合格直後だった。
国民と認めてもらえない
リタの渡航手続きの旅券取得するためナガリッタ(国民証)が必要になる。ところがネパールは完全な男性優位社会のため公的手続きに父親のサインは不可欠。国民証をもらえない=ネパール国民じゃない事になる。役所では「父親がいない子が何しに来た」等暴言をはかれ弁護士には大金を要求する者もいた。90年の民主化以降のネパールは官僚権力が新たなカースト制度となり、賄賂がまかり通り弱者しめつけが1996年の反政府ゲリラ闘争の原因の一因にもなった。ところが僕の患者の警察関係者の幹部が身元引受人になってくれてあっさり解決。現代版カースト制度の顕著な官僚主義を感じた。
リタの言葉が共感を呼ぶ
2005年16歳のリタの日本全国7都市の学校講演は大成功し「スポンサーシップ制度」で2008年にはほぼ全児童に支援者がついた。リタは日本人の応援と優しさに感激の涙を流し、帰国後生徒たちに話す日本と支援者の気持を伝え子供たちに強く響いた。リタは2013年弁護士になり児童労働者救済やネパール大地震の際は支援活動指導の活躍をした。アシュミタは教師になり大学院で学びながら幼児教育指導員として教員指導をしている。お金は欲すれば逃げるもの。支援後も急激なインフレの物価上昇や為替相場の影響で今も怯えながら歩く状況だが、お金だけで支援活動ができないことにも気づいた。
たくましく成長した歌姫ラクシミ
ラクシミ姉弟たちは両親の夫婦喧嘩で父が母を撲殺し路頭に迷う事になった。村八分の現状で親族も助けるどころかラクシミを人身売買しようとし、教師たちでなんとか救済、支援者も現れた。
歌唱コンテストでの優勝の快挙
ヤンギャ校長は歌の得意なラクシミを「歌唱コンテスト」に出場させることにした。ラクシミが作った「勉強したかったけど」という学校に行けない悲しみを歌った曲でソロ部門で優勝した。
自分の歌が世界へ
ラクシミの活躍が日本の支援者にも届き、支援団体「めぐりの会」が歌詞を詩集にしチャリテイー販売した収益と寄付金5万でこの歌を収録したCD「ねがい」を作った。NHK-FMや日本航空国際線でも放送され僕はこの悦びに素直に喜んだ。
ビンドゥの死
開校5周年初の卒業生を送り出せる矢先に不幸が起きた。生徒のビンドゥは病で衰弱しきっていたが両親は生まれたばかりの長男に夢中で僕たちが友人の医者に診せた。総合病院の医療費免除の紹介状も書き「介入はここまでだ」決めたのが間違いだった。両親はビンドゥを病院に連れて行かず放置し手遅れて死んでしまった。支援活動の難しさは「どこまで踏み込むか」にあり支援過多は依存心を高め、家庭問題の座視も危険なのだ。
自由をください
活動で最も悲しい出来事に後悔が止まらなかった。ネパールの男子を望む世俗の問題で少女たちは”愛されている”確信を持つことがなかった。この悲劇を無駄にしたくない。
ゼロからやり直し!
学校開設の目的は子供の命を守るため、保健衛生を根付かせようと家庭に入り込んだのは何のためか?と自問自答した。落ち込む僕を救ってくれたのはやはり子供たちで「泣かないで」と書いた寄せ書きをくれた。僕は気取り捨ててゼロから体ごとネパール社会にぶつかっていこうと思った。
  

第7章自立へ・・・人を支えるとは何か知る(所要時間:4:10)
職業訓練で自立を目指す
2009年第1期生が卒業した時、僕が33歳、ネパールに来て11年目。次の職業訓練所の設立に進む段階だった。そこは卒業生、その保護者、村の女性の自立が目的の自己実現のトレーニングの場だ。支援に頼らない学校の実現にも職業と収入を得られる技術を教える必要があるのだ。
よいものをつくりたい
よいものを作るためには「仕事に誇りを持つこと」が大切だがネパール人にはその感覚はなく、完成品はずさんで売り物にならない。だが洗練されていない独自の趣が日本でのチャリティ販売では好評でこの個性を生かせる取り組みにしようとプログラムを修正した。
信頼を稼ぐことを忘れて
職業訓練では各製品づくりでうまくいくものとそうでないものがあった。サリーの刺繍付けは生産が追い付かない人気で卒業生以外の村の女性も参加するようになったのに、主力メンバー3人が辞めてしまったのだ。原因は村人のやっかみによる悪口だから収入を得られる参加者が増えれば戻ると思っていた。だが問題はもっと根深い文化思想にあり、女性の地位の低いネパールでは女性が家事・農業以外で外で活躍することは社会秩序を乱すと村人は考え変化させる事への嫌悪感で怒っていたのだ。 自立とはまわりの支えによって実現することなのだ…。
内職型のプログラムに変更
村人の理解を得るために、作業を内職化して家事の合間に出来る生活の足し程度の収入を目指すゆるい活動にした。サリー作りは中断したままだ。
自立の道を歩み始めた子供たち
職業訓練でうまくいった部門では10年後にポツリポツリと技術の職人として生活できる卒業生も出てきた。
近代化の波に揺れる社会
ネパールは僕が来た2年前1996年から共産党武装組織マオイストによる人民戦争が始まり、10年余りの間に1万3千人が命を落とした。この間、王族9人が殺害される「ナラヤンヒティ王宮事件」の発生で治安悪化した。内戦終結するまでマオイストに一般人が殺害されるイヤな時代が終わると、2008年には王制廃止となり、ネパールは共和国になった。
治安回復は経済活動が活発化した。だが、国内に産業のないネパールは若者の多くが中東・湾岸地域に出稼ぎに行きその送金が国内総生産の3割をしめている。だがその若者は学のない単純労働者で事故病気など中断し戻った者にはエージェントへの借金だけが残る。ネパールは先の見えない状況だ。
ネパール大地震の混乱と病気
2015年のネパール大地震では生徒はみな無事だが家が倒壊したり家族が犠牲になった子もいた。混乱を極める中、僕は体調を崩し倒れ緊急精密検査をうけると膀胱がんが判明した。緊急手術を受けたが予断を許さない症状に、死を意識しつつ学校や子どもたちへの思いや地震後なのに何もできない不甲斐なさに苛立った。
一通の便り
2012年ヤンギャ先生が職業訓練に注力するため退任した。社会は近代化が進み制度主義から管理教育が推奨され、ヒマラヤ小学校は迷走し始めた。だがヤッギャ先生は「子どもがいる限り学校は大丈夫です、私はいつでも学校に戻る覚悟があります」と手紙をくれた
勇み足を踏む
癌発症から7か月過ぎたころ、僕は日本国内での活動を再開させた。日本で活動しているうちネパールで現場復帰をしたい”臆病な自尊心”が沸き起こりそれに向け動いた。それをたしなめてくれたのは支援してくれてた「めぐたまの会」の皆さんだった。僕に対し「心の片づけをしなさい」と今こそすべて現地の人に任せて彼らの自立を推し進めるべきというのだ。僕は現地の人が運営できる学校を目指していたのに、自分がいないと成り立たないと身勝手に思い込んでいたのだ。彼らの自立を阻害していたのは自分自身だったと気が付いた。僕はプレーヤーからサポーターに変わる一番重い決断をした。
心の片付け
地震後1年過ぎたころ、現地の先生や村人が行動を起こした。2017年ヤッギャ先生が運営委員会の代表と校長を兼任する事になった。僕と学校に距離ができた事でお互いに「心の片付け」ができて彼らの自立が達成できたのだ。学校には今も問題が山積しているが、悠久の時間に身をまかせ前に進んでくれるのを僕なりの新しい関わり方を模索しながら彼らの自立を見届けたいと思う。

エピローグ
これまでの20年は「挑みと挫折」の繰り返しだったように思う。厳しい現実に自己嫌悪と無力感にくじけそうな時、いろんな人に出会いふんばれた「人に恵まれた20年」だった。社会からほおり出された子供が教育により羽ばたいていく姿を見られたことは大きな喜びと学びだった。日本の若者は海外への興味や関心が薄れていると聞くが、日本では得られない学びや気付きはたくさんあると思う。外に出なければ出会えない事がたくさんあるはずだ。この本を通して世界に目を向け、何かをはじめるきっかけになればうれしい。

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『ヒマラヤに学校をつくる』読書感想文の書き方・例文とポイント

 

~大人から見た読書感想文・書き方のポイント~
この本は小学校を作った男性の話で本の扉絵からハートウォーミングな話と思わせつつ、なかなかエグいネパール社会の現実のお話です。簡単に書くならば「ネパール人が自立できてよかったです」「海外の困っている子どもたちの少しでも役に立ちたいです」が一般的ですが、これだけでは良い評価はもらえないでしょう。

読書感想文として求められる答えは「本の内容を我が事として考える」姿勢が必要だからです。
・国民同士の差別について考える
・学問を身につける重要性に考える
・上級国民ではない日本人として、格差を乗り越えるにはどうしたら良いか考える
などでしょう。

つまり本書を読み込んで「自分がネパールの少女だったらどうしたらいいのか?」自分の身に置き換えて問題定義してみることを求めているのです。そうする事で現在、高校生として日本で暮らしている今の生活を客観的に判断できるようになります。


そこで読書感想文を書くのに参考になるのが2005年日本テレビ系列の土曜ドラマ『女王の教室』です。

ドラマ概要
強権的な態度でクラスを支配する女教師・阿久津真矢(天海祐希)と半崎小学校6年3組の児童との1年間にわたる「闘い」を描いた学園ドラマ。神田和美(志田未来)を中心とした24名の教え子の思想・心理・成長を軸として物語が描かれている。熱血や道徳を定番かつ主要なテーマとしていた従来の学校教師ドラマとは対極をなすアンチテーゼ的な内容が大きな反響を呼び、開始早々から公式BBSや『あなたと日テレ』などをはじめ賛否両論の議論が巻き起り、PTAなどの団体から名指しで非難されるなどした。

特に、天海祐希演じる女教師・阿久津真矢の生徒たちへのセリフは『ヒマラヤに学校をつくる』のネパール人社会と生徒たちにもろ当てはまる忠告なのです。

「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。 賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。 それが、社会というものです。」

「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。」

「12歳の子供だって、自分の意思で断ることは出来たはずよ。 自分の罪を認めて、みんなに謝ることもね! まったくあなた達は、何か気に食わないことがあると、親が悪い、教師が悪い、友達が悪いと、人のせいにして。いい加減目覚めなさい。そんなことばかりしていると、自分では何も考えられない、思考停止人間になるだけよ。」

「いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの? 勉強は…しなきゃいけないものではありません。”したい”と思うものです。
これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。」

『女王の教室』は当時の日本社会を揶揄していますが、現代の日本の方が格差を明確に感じ学ぶことの重要さをひしひしと感じると言われています。国は違えど人はどう生きれば幸せになれるのか?と自ずと答えが出てきます。
かと言って、ネパールの反政府ゲリラのように自分勝手な正義感では誰も幸せになりません。国民全員が差別や格差などなく幸福になるにはどうしたらいいのか?「子供だから」「よくわからないから」と見て見ぬフリをすることは幸せになるチャンスを逃がしていると言えるのかもしれません。
『女王の教室』はPTAなどの団体から名指しで非難された番組です。
児童を教師がスパイにしたりキツい現実ばかり教えるので「子どもたちの夢を奪うな」というものかもしれません。ですが、子どもに本当に与えなければいけないのは「将来の夢」ではなく「将来への覚悟と生きる力」が本当なのかもしれません。

~大人から見た読書感想文例文と解説~(2313文字)

下記の読書感想文・例文は「読書感想文の書き方のポイント」に合わせて書いています。
課題の必要文字数は1200文字です。

本と出会ったきっかけ
本の簡潔な説明
なぜ面白かったのか
心に残ったところ
本を読んでわかった事学んだこと変わったとこ

 
本と出会ったきっかけ
ネパールと言う国がどこにあり、どんな国民性なのか?日本人はみんな知っているのかな?疑問に思いました。
近年は「恵まれない子供に愛の手を」というアフリカなど諸外国の子供を救うための募金の呼びかけなどはあまり見かけない気がします。なぜならば日本も格差社会になって「外国より日本国内の恵まれない子に目を向けろ」というのは至極もっともだと思うからです。
あまり知らないネパールと言う国で子供の学校を作った作者は変わり者に思えます。彼は何を思ってこの行動を取ったのか?に多少意地悪でシニカルな気持でこの本を読み始めたのです。

本の簡潔な説明
この本はネパールの悲惨な身分制度を通して、教育の大切さを実感し、学校を作り支援の輪を広げたいと奮闘した作者の素晴らしいお話です。
作者は若くて夢いっぱいにとりあえず訪れたネパールの現実を少しずつ知り、ヒンドゥー教の身分制度などで生き方まで虐げられている人々、特に婦女子の悲惨な状況に心を悼め「少しは自分にも癒すことができるかも」と鍼灸を通し、学校を作りの夢を抱く。その挑戦と向き合いながら、自分の臆病さや計画性の無さ、資金繰りに苦しみ、現地ネパール人とのやり取りの難しさや、生徒の死、自分の病気など次々と壁にぶつかり乗り越えながら子どもたちに最も必要な健康と学べる環境を自立力を身につけてもらう20年の物語です。

なぜ面白かったのか
一人の男性のその道のりは「自分探しの旅」だったのだと思います。アメリカ人になるという目標は彼の憧れでしたが、ネパールという国の残酷さを知り、感謝された事で誰かに心から認められた悦びは彼の承認欲求を満たしたものだったのだと思います。アメリカ人になりたかったきっかけも「自力でビックなオレンジジュースをゲットできた」という大きな自己肯定感からです。
物語の中でも「生徒たちは役に立つと認められることを一番求めている」という説明が幾つかあり、誰かに必要だと思われたい思いはどんな境遇にあっても万国共通なのだと知りました。

心に残ったところ
日本人でいると「この世界は残酷だ」で有名な”進撃の巨人”のセリフはフィクションの世界の事に思えます。ですが、社会から認められる人になるチャンスすらない、宗教により人間扱いされず、持つ者と持たざる者が生まれついて決まる、気を付けないと騙されて売春婦にさせられるそんな世界があること自体が信じられません。
文化圏ではマイノリティや人種差別を感じる表現へのアレルギーが強くなる一方なのに、本書を通して更に知らなかったネパールと言う国を調べると、あまりに世界から立ち遅れています。
中国とインドに挟まれたネパールは、特に西部が悲惨な地域で、隣接するインドとネパールとはビザなし渡航を認めていて容易に幼女の取引ができる状態であること。中国にも媚びなければいけないので、中国が弾圧しているチベット人をネパールが協力して捕まえたり差別弾圧している現実もあります。現状のネパールでは永遠に隣接するインドと中国に翻弄されつづけるのです。
学校を作ろうと彼が戦い改善したかったのはネパールという国の在り方そのものです。ネパール人勝ち組は「朝10時~16時勤務で女児は宝物。結婚式級のパーティーを頻繁に開きFacebookで海外旅行写真をUPする」人々です。ネパール西部の貧困層の事は意識もしていないようです。日本とネパールの関係は友好的で日本のネパールへの経済援助額はイギリスについで世界第二位です。このグチャグチャな世界はお金だけで解決できないのです。

本を読んでわかった事学んだこと変わったとこ
貧困と差別に苦しむ、ネパール人の婦女子たちは生まれついて不幸な罪の無い人々です。もし彼らに悪いところがあるとしたら、悲劇さえも受け入れてしまう依存気質にあるのかもしれません。
伝説の教育ドラマ『女王の教室』曰く「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。 賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。 それが、社会というものです。」「勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は…猿以下です。」とひどい事を言いますが、女性の社会進出を忌み嫌うネパールの村人たちは国際的に悪しき文化であろう猿の要素を感じました。
日本人にしたら、辟易するようなネパールの国の在り方と国民性・宗教観を受け入れるのは大変です。
ですが作者は最後にネパール人の自ら自立の道を模索させる必要を教えられるまで、彼らを手放しませんでした。
「自立を阻んでいたのは自分だ」と言いますが、誰よりも深くネパール人を知っていたので、彼らとその環境を信じるのが難しく手放せなかったのも理解できます。「家庭問題にどこまで踏み込むか」で失敗し一生徒が死に落ち込みましたが、恐らくあの時教員が踏み込んでその場は何とかできてもいずれは不幸が起きたかもしれません。
人間の成長とは当事者が変化しよう、向上しよう、目覚めようと思わなければ変わる事がなく、彼のネパールでの本当の指名は彼らをその気にさせることにあったと思うのです。
今回ネパールという国の悲劇を知り、ボランティアで本当に必要なものが何かを知った気がします。そして日本人であることがいかに幸せで恵まれているかを感じ取れました。
もちろん日本も隣国との問題や、国内の交差する思想のぶつかり合いで政治が揺れ動き、社会情勢の変化で格差を深くなるのを感じます。
賢い者、努力した者が富を独占するのは「自分たちは努力したのだから当然」との思いもあるのかもしれません。ですが日本はまだ人権を奪うほどの卑劣な差別は決して認めず、傷ついた人を救いたい他人に情をかける優しさ、真面目さ、愛国心があります。民主主義で自分の思いの代表者を決める選挙があります。私たちも目覚めなければいけないのです。「正しい事をしたければ、えらくなれ」という『踊る大捜査線』の名セリフの通り、広い意見を公平な目で見てジャッジできる知性と教養と好奇心をもてば、誰にも恥じない正しい大人になれるチャンスはまだまだあるのです。

『ヒマラヤに学校をつくる』読書感想文の書き方のポイントとその他オススメ本

読書感想文・用紙と字数のルール その他の詳細
原稿用紙を使用し、縦書きで自筆してください。原稿用紙の大きさ、字詰に規定はありません。
文字数については下記のとおりです。
高校生 本文1,200字以内・・・原稿用紙400字詰め3枚 
※句読点はそれぞれ1字に数えます。改行のための空白か所は字数として数えます。
※題名、学校名、氏名は字数に数えません。

応募のルールについての詳細はこちら⇒ 「青少年読書感想文全国コンクール応募要項」


【この川のむこうに君がいる/あらすじ・ネタバレ】読書感想文書き方例文・コツ・ポイント 
(理論社)
著者:濱野京子・作
本体価格:1,400円
ISBN978-4-652-20289-0


【ザ・ヘイト・ユー・ギヴ(あなたがくれた憎しみ)あらすじ・ネタバレ】読書感想文の例文と書き方
(岩崎書店)
著者:アンジー・トーマス・作 服部理佳・訳
本体価格:1,700円
ISBN978-4-265-86043-2

読書感想文の裏ワザ

どうしても簡単に感想文を終わらせたい場合は、昨年の課題図書の本がオススメです。前年の課題図書はすでに感想文を書いている人がいるので参考にできるからです。

【読書感想文2018課題図書】高校生の簡単!読める!書ける本の選び方


『車いす犬ラッキー:捨てられた命と生きる』…保健所話がえげつない、飼い主のビジネス話が長すぎる
『わたしがいどんだ戦い1939年』…主人公エイダの天邪鬼さと翻訳力不足が読みづらい
『いのちは贈りもの:ホロコーストを生きのびて』…とにかくエグい現実。腹を決めないと読めない

どうしても読書感想文を書くのが、本を読むのが苦手!という人は昨年の課題図書を参考にしても良いでしょう。なぜならばもう感想文が書かれていますので参考にすることができるからです。
個人的には昨年の課題図書も一長一短で、しいて言うなら読みやすいのは『車いす犬ラッキー:捨てられた命と生きる』でしたがどれもこれも面白くはなかったです。


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